第2話 下着を選んだ記念日
いやいや、違う。
私は至ってノーマルだもん。
紬だって距離は近いけど、昔は好きなタイプの男の子について話してたことだってあったじゃない。
変なこと考えたら紬に失礼だ。
「紬、ごめん! もう大丈夫だから。珍しく私も感動しちゃってさ」
「ホント!? それなら誘って良かったな」
手を胸の前で組んで、嬉しそうに笑う紬の笑顔は、映画館を出てから急に色気が出てきたように、私にはとても魅力的に映った。
「それじゃあご飯食べに行こうよ。もう私お腹ペコペコなの」
「そうだな、行こうか」
右手をポケットに入れ、私は紬が組みやすいように腕を曲げる。
「へぇ、自覚でてきたじゃない。樹くん」
と、紬は口に手を当ててニマニマ笑う。
一体何が自覚なのやら。
「まあ、約束だからな」
「うんうん、そうだね。約束だもんね、偉い偉い」
クシャクシャっと頭を撫でてくる紬。
いつもなら振り払うけど、今日はそんな仕草もこの子の魅力に感じてしまい、つい優しい目で見てしまう。
「な、何よ? いつもと違わない?」
「俺は男だからな。彼女のそんな仕草にいちいち怒ったりしないさ」
「ねえ、なんかいきなりレベルアップしてない? なんかあった?」
言えるわけがない。
紬が……カワイ過ぎてなんて。
「さっきの映画で男っぽいのを学んだからな」
「ふーん?」と、紬は疑わしそうな視線を向けてきたけど、いったん気にしないことに決めたようだ。
紬は私の腕にギュッと抱きつくと、弾むような足取りで次のお店へと私を引っ張っていった。
◇◆◇
「なんかさー、そうやって食べてるの見ると本当に男の子みたいだよね」
「なんだ? 今日一日『樹』でいろって言ったのは紬の方だろ?」
「そうだけど……。なんかいつもの栞と『樹くん』が被って見えて」
案内されたファミレスのテーブル。
小柄な紬の前にちょこんと置かれたタラコパスタに対し、私の目の前には若鶏のステーキ、熱々のドリア、ほうれん草のソテーが所狭しと並べられている。
「仕方ないじゃん。普段は動いてるから、これくらい食べないと体もたないんだよ」
「そういえば次はいつ試合なの?」
「来週の土曜。って言っても、いつものところと練習試合だけどな」
「分かった、また応援行くからね!」
紬は練習試合だろうと公式だろうと、私が試合に出る時はいつも応援に来てくれる。
一年生の頃は途中から急に出ることもあったから、見られなくて悔しがってたこともあったっけ。
ちなみに紬との記念日のうち二十日くらいはバレー部関連だ。
「私と一緒に公式戦で十勝目を挙げた記念日」は、今考えても変な記念日だけど、あの無邪気に笑って私の腕をとる紬に、不意にドキッとさせられたことを覚えている。
「この後どうする? 樹、頑張ってくれてるし、行きたいところ付き合ってもいいよ?」
「いや、俺は彼氏だからな。紬の行きたいところに付き合うよ」
「カップルって、そんな一方的に我慢する関係じゃないと思うけど……。分かった、じゃあ少し付き合ってね」
駅前のショッピングモールは休日で賑わっていた。
紬は私の手を引いて二階へと案内する。
「さ、お買い物しましょ」
連れてこられたのは女性向け下着のお店。
もちろん紬と来たことはあるけど。
周囲の視線を気にしながら、私は声を押し殺して紬の耳元に囁いた。
「ちょっと待てって! 今の俺の格好でここに入るのは、絶対に変に思われるだろ!」
周囲の視線を気にしながら、私は声を押し殺して紬の耳元に囁いた。
「えー、そんなことないよ。ほら」
紬が指さす先には、カップルで来ている客も二組ほど見えた。
「ね? だから樹、私に似合う新しいの選んでくれる?」
抗いようもなく、私は紬に腕を引かれて店内へと連れ込まれた。
「ねえ、樹、こっちの淡いピンクのフリルと、こっちの黒の総レース、どっちがいいかなぁ?」
「つ、紬が付けたいのでいいんじゃないか?」
紬は二つのブラを私の目の前に差し出して聞いてくる。
他のカップルだってここまであからさまに聞いてはいない。
緊張のあまり、ギュッと握りしめていた手の中にじわっと汗が滲む。
そもそも残念なことに、私は普段スポーツブラばかりなので、こういうフリルだの色だのには全くこだわっていない。
たまに紬が付けているのを見て「可愛いな」と思うことはあっても、わざわざ自分の休日用に買うのも面倒で、自分で選んだ経験がないのだ。
「えー、だって私がいつも付けてるの、樹見てるじゃん?」
「バッ、声が大きい!」
咄嗟に紬の口をふさぐが、周りの客は自分の買い物に忙しくて、こちらなど全く見ていない。
すると、
ちゅっ、と。
突然、紬の柔らかい舌が私の手のひらを舐め上げ、私はビクッと肩を震わせて弾かれたように手を離した。
手のひらに残る生温かい感触に、一気に顔へ血が上る。
「ふふっ、樹の手はちょっとだけしょっぱいね。……ねぇ、どうせなら樹が喜んでくれる方がいいの。どっちがいい?」
小悪魔的な笑顔を見て、胸が早鐘のように鳴り始めた。
いや、手のひらを舐められたからビックリしただけだよね。
そうに決まってる。
「……ピ、ンク」
「うん?」
「つ、紬ならピンクのほうが可愛らしくていいんじゃないかな?」
紬はあらためて二つを見比べて、
「仕方ないなぁ。私は黒が良かったけど、そこまで言うなら樹の趣味に合わせてあげるよ。帰ったら見せてあげるね」
と、黒のブラを戻し、ピンクのフリル付きを持って、一人レジに行ってしまった。
「ちょ、待ってよ紬。こんなところに置いていかないで」
私の言葉に振り返って笑う紬の顔は、すごく……かわいかった。
◇◆◇
「帰ったら着けて見せてあげるからね」
「い、いいよ。どうせそのうち見れるだろ」
「あれあれ〜、樹ったら私の着替え、そんなにジロジロ見てるんだ? キャー、エッチィ!」
紬はそう言って逃げるように駆け出した。
なんだろう。駆け出す後ろ姿も、振り返る笑顔も、その仕草一つ一つがいつもの紬よりずっと可愛らしく見える。
これは男装なんてしているせいで、変に彼氏の気分に引っ張られているだけだ。
……きっと、そうに違いない。
「ちょっと、追いかけてきてよね。私バカみたいじゃない」
ぼーっと紬を見つめていると、いつの間にか彼女が目の前まで戻ってきていて、怒られた。
ツンと尖らせた口を見て目が動かせなくなる。
柔らかな頬に手を添え、ふっくらとしたそこに……。
いやいやいやいや、何考えてんの、私!
一気に顔へ熱が集まるのを感じて、私は大きく首を振って頭を覚ます。
そんな私を紬は不思議そうに見ていた。
「ほら、帰ろうよ。門限過ぎちゃうよ」
夕暮れのオレンジ色に染まる道を、紬は私の手を取って駆け出した。
私もそれに引かれながら、半歩後ろを付いていく。
だから、私からは見えなかったんだ。
前を向いて走る紬が、さっき買った下着の袋を見つめて、とても嬉しそうな笑顔をしていたことに。




