大は小なり、小は大なり
竹取輝夜は闇の中を漂っていた。
足場もない底なしの深淵。
身動きは取れるが、進むことすらままならない。
宇宙に飛ばされなければ問題無いと明言していた輝夜であったが、これはこれで想定外の展開であった。
不自由を強いられた空間の中、筆舌に尽くしがたい戦慄がギュルギュルと少年の胸を締め付ける。
──「クオオォォォオオオン!」
クロール、バタフライ、平泳ぎ。
無駄な足掻きをしていると、闇の中を甲高い歌声が走り抜けた。
その腹に響くような温かい咆哮は、輝夜の中で蠢いていた淀みを瞬く間に吹き飛ばしていく。
そして入れ替わるように、未知への好奇心が輝夜の背中を後押しした。
「あれは…」
現れた咆哮の主は、巨大な生き物のように見えた。
「鯨…なのかな?」
目を大きく見開き、曖昧な言葉を絞り出す輝夜。
巨大な体躯に大きな胸ビレ。
そして、上下に揺れて推進力を生み出す尾ビレは、確かに鯨と言っても差し支えない。
しかし、その鯨は輪郭だけがはっきりしているだけで、全身が透明な硝子のように透き通っていた。
輝夜が煮え切らなかったのも、そういった理由からだろう。
だが空っぽというわけでもなかった。
透明な鯨の体内には、無数に煌めく光の渦が、キラキラとひしめき合っていた。
弱い光。
眩しい光。
青い光。
冷たい光。
豊かな光。
鯨の心臓にあたる部分には、太陽のように躍動している光があった。
まるで生物を象った宇宙。
あるいは銀河…。
あるいは世界…。
神秘的な生き物を前にして、輝夜はそんな感想を抱いた。
しかし、それだけに留まらない。
なぜならその生命体は、一体だけではなかったのだから。
──「クオオォォォオン!」
再び咆哮を上げて、鯨の巨大な体躯が輝夜の眼前を横切る。
輝夜はもがくように体をねじり、鯨の行方を追い掛けた。
するともうひとつ。
鯨とは異なる丸い輪郭の『何か』が、視線の先に佇んでいた。
輝夜よりも何十倍も大きい球体。
生命体とは程遠い姿をしているが、その内側は鯨同様に無尽蔵な光が渦巻いている。
中心部分にはメラメラと燃える心臓らしき核が存在し、その周りを規模も色もバラバラな珠が浮遊していた。
宇宙を彷彿とさせた鯨の姿と、類似点が多く散見される。
おそらく、あの鯨と同種なのだろう。
そこで輝夜はふと、球体の『何か』に既視感を覚えた。
「あれ?これって…」
心臓らしき太陽核、それを軸に浮かぶ珠。
見間違えるはずもない。
──太陽系。
そんな言葉が、輝夜の脳裏に浮かんだ。
(まさか、ここから僕が出てきた…なんてことはないよね…)
そう、輝夜はその考えを殴り捨てた。
──「キィィイイイイン!」
鯨とは明らかに違う咆哮。
金属音にも似た鼓膜をつんざく音が、輝夜の骨という骨に響き渡る。
「うわっ!ってなになに!?」
その音に引き寄せられたのか、多種多様な姿をした『何か』が、輝夜の眼前に集い始めた。
海月。曇。天輪。円柱。
円盤。羽。蝶々。大鷲。
エトセトラ…。
どの『何か』も、やはり輪郭だけがくっきり見えて、透き通った体の中に宇宙のような光を内包していた。
それが発する光によって、輝夜の視界はみるみる明るくなる。
「あれは…人…?」
そこで輝夜は遠方に怪しい人影を目にした。
最初は、その人影も『何か』の仲間だと思った。
しかし、透き通った体をしていなかったことで、輝夜はそれを自分と同じ人間だと判断できた。
それも二人。
一人は背の高い男性らしいシルエット。
そして輝夜を挟んだ反対側に、スカートを履いた女の子らしい姿を見た。
「やっぱり人だ!おーい!」
──「クウゥゥゥゥゥン」
輝夜の声は、『何か』の咆哮によって掻き消される。
それでも、自分以外にも誰かがいてくれたことで、少し気が楽になった。
──それも束の間。
「うおおおおい!なんだよこれぇえええ!」
端正な男の悲鳴と共に、状況はまたも一変する。
「え?」
突如、男性のシルエットの奥に、女性の姿をした『何か』が見下ろすように現れた。
その距離感たるや、男の文字通りの目と鼻の先。
輝夜がマヌケな声を漏らした頃には、『何か』の腕がゆっくりと男に伸びていた。
「わっ!なんだなんだぁ!?」
慌てふためく男を包囲するように、その手は彼の背後に回る。
まるで、愛おしいものを抱きしめるかのように……。
すると男は、『何か』の胸の中で、強力な酸によって消化されたかのようにフッと霧散した。
「え…?食べられた…の…?」
突然の出来事に、輝夜の身体は硬直する。
一呼吸してハッと我に返ると、凍てつくような悪寒がゾクリと背筋に走り抜けた。
「………………ヤバい」
捕食されたのか、吸収されたのか。
どちらにせよ、『何か』が人を食すのであれば、早くこの場から逃げなければならない。
「逃げなきゃ……」
しかし、人型の『何か』は、輝夜に逃げる余裕すら与えてはくれなかった。
人型の『何か』は次の瞬間、輝夜の眼前にフワリと距離を詰めていた。
「いやああああああ!こっち来るなにゃあああ!」
涙目になりながら、ジタバタと悪足掻きをする輝夜。
その抵抗も虚しく、人型の『何か』の胸の中に、輝夜は呆気なく囚われる。
「僕は美味しくないよーー!わあああ!」
食べられる~!
そう思った刹那。
輝夜の視界は流転する。
「お!?おわ!?うわああああ!?」
暗闇は青空へ。
すべてが幻であったかのように、『何か』達の存在は消え失せていた。
代わりに懐かしの大地が、輝夜の眼下に出迎える。
「どえええええ!」
──天に群青、地に漆黒。
地上から、およそ1万フィートに及ぶ上空。
あの『景色』と同じ場所へと、輝夜は勢いよく放り出された。
七色の焔に包まれて。
ただ、導かれるように落ちていく。




