時空の果てに
輝夜を包む『膜』は、空気を撹拌するように荒ぶる。
その奔流は周囲の砂を巻き上げ、尋常ならざる烈風があらゆる異能を跳ね返した。
「クソッ…」
優の『影縫』は無力にも、破り捨てられたように雲散霧消する。
自身のふがいなさに、優はぐっと歯を食いしばった。
彼だけではない。
もはやそこらの異能でも、抑え込むことは難しくなっていた。
「これ…『光』系統の異能じゃない…。もしかして『時空』系統…?」
異能を無理に行使したためか、優は疲弊しきっていた。
額からは嫌な汗が噴き出し、覚束ない両足は、ぐらりとよろめいて片膝をつく。
それでも友達を救うために、彼は再び大地に影を這わせる。
しかし、その出力はあまりにも弱々しい。
日の光を浴びた途端に、影は先端から焼けるように消えていった。
「おい!無理すんなって!」
力を酷使する優の肩に、力強く被さる手があった。
振り返った彼の目には、冷静に状況を見定める拓翔の顔が映り込む。
「でも、輝夜君が…」
「わかってるよ。でも見ろ!」
拓翔が指さす先を、促されるままに凝視する優。
渦中にある『膜』の中。
そこは重力という軛から解き放たれ、クルクルと無重力に弄ばれる友人の姿があった。
内側からは為す術がないと判断したのだろう。
輝夜は現状を受け入れて、クルクルと浮遊感を楽しんでいた。
その姿は洗濯機に漂泊される衣服のように見える。
──「まわる~、まわる~、風船のような~、私~」
「もっと危機感を持ってぇ!」
「見た感じ、輝夜は大丈夫だ。今のところは心配ない。……ん?って、おい!あれ見ろ!」
出し抜けに、輝夜へと近づく人影を見て、拓翔は思わず声を上げた。
それを目にした優の心に、かすかな希望の道が開ける。
「教祖!」
教団の長とは思えないラフな装いに、無機質な面をつけた男。教祖。
彼の登場に観衆は安堵に包まれる。
そして、現場を抑え込んでいる貢献者達は、ようやく肩の荷を下ろせると大きく息を吐いた。
これで事態は収束する。
誰もがそう確信しただろう。
しかし、歓声を浴びる教祖の胸には、小さな懸念があった。
力を暴走させている異能者が、見つからなかったということだ。
(まぁいい、彼を救ってから考えよう)
異能者の頂点。その内の一人。
彼らは強大な権能と別に、異能に対して絶対的な権威を有している。
まさしく、王と言っても過言ではない力。
有象無象の異能を平伏させる、この世の頂点に相応しい神の如き威光。
それを、今ここに知ら示さん。
「神威!」
──トン。と、
教祖が踵を鳴らすと、そこから波紋が瞬時に広がり、一帯の空気を重く塗り替えた。
まるで、水中で自由が制限されるような、そんな重量感に教祖を除く全員が陥る。
「あれ?力が…」
もともと、弱々しくなっていた優の影は、溶けるように霧散した。
輝夜を救出するために放たれていた異能も、同様にユラユラと質量を失っていく。
絶対的な力を前にしてゴクリと唾を飲む拓翔と優。
その後ろで、櫻は戦慄に身を震わせていた。
「これが、最初の六人の力なの…」
もはやこの場において、異能を行使できる者は一人もいない。
ひとつ、またひとつと、異能は頭を垂れ、やがて、一帯は神秘の欠片もない正常な状態へと回帰していく。
──はずだった。
「馬鹿な!?」
ここに来て、教祖の無機質な面の下に張り付いていた余裕が、初めて剥がれ落ちた。
神威領域内では、異能はその性質を問わず、一切の効力を失う。
例外は存在しない。
いや、しなかった…。
全ては過去の話。
(まさかとは思ったが…)
ここにひとつ、未知の例外が現れた。
(光の膜は異能ではない!)
異能という生命の神秘が消え失せた中、今もなお、残存し続ける輝夜を閉じ込めた光の『膜』。
教祖はそれを、異能ではない『何か』だと断定した。
しかし、二の足を踏んだが最後。
『膜』は隙を見計らったように次の段階へと移行を開始した。
「……!」
人一人を拘束できる大きさがあった『膜』は、四分の三ほどのサイズへと収縮する。
ゆっくりと、萎むように…。
「まずい!」
異能では、この未知の力に対処できない。
神威も通用しなかった。
教祖の権能は『命』を対象にして初めて輝く力。
異能に対して絶対の権威を有していた教祖も、この未知の力に対抗する術を持ち合わせていなかった。
このまま傍観していては、光の『膜』は消えてなくなるだろう。
そうなれば、輝夜の命も脅かされる。
そう予期した教祖が次に打った一手は、脳筋と言っても過言ではない、馬鹿みたいなパワープレイだった。
──ゴキン、ボキン。
神威が解かれたと同時、教祖の両腕が痛々しい音を上げてひしゃげた──かと思うと、人のものとは思えない歪な重腕に変貌を遂げた。
それは、もっとも力強い生物を思い浮かべて、咄嗟に掛け合わせた即興の御業だった。
ゴリラのような分厚い筋肉に、鳥類のように尖った爪。
爬虫類のように硬い鱗は、確かな力強さと、生命を冒涜したような醜悪さがじわじわと滲み出ていた。
一言で表現するなら、合成獣。
その肥大化した両腕を広げ、ボールを受け止める要領で、教祖は『膜』を鷲掴みにする。
そして強引に、こじ開けようと試みた。
「どわーー!怪獣!…ってあれ?みんなおっきくなってる!」
「君が小さくなってるんだ!馬鹿!」
歪み。
どうやら輝夜の視点からだと、世界が拡大されて見えているらしい。
内と外を隔てる『膜』は、空間そのものを歪曲させているようだ。
現に教祖の視覚からは、輝夜の姿が小さく映って見えていた。
(これはただの収縮じゃない。空間そのものの圧縮か?いや、これは…!)
瞬間、教祖は光の『膜』の表面に青い景色を見た。
何処かの上空から見渡した青く澄んだ空に、彼方まで続く黒く淀んだ大地。
その景色は、『膜』の中にいた輝夜からも見えていたようで、「今の見ました?」と馴れ馴れしく呟きながら、教祖を呆気にとられた顔で凝視していた。
「これは空間転移!今の景色はどこだ!」
場所さえ分かれば救助を送れる。
しかし、そう踏んだ教祖を阻むように、光の奔流が…『世界』と共に追い打ちをかける。
「ぐっ!?」
荒れ狂う『膜』との押し相撲の果て。教祖は突如として押し負け、8メートル後方へと吹き飛ばされた。
「ぬうッ!?」
尻餅をつくことなく、華麗に受け身を取る教祖。
しかし、状況は緊迫していた。
唯一の希望であった教祖をやすやすと退けた未知の力に、観衆は言葉を失う。
だがそれ以上に、理解不能な事態に陥った教祖は、力なくその場に俯いた。
「ありえない…」
見下ろす先にあるのは、何の変哲もない自身の両手。
ただし、その権能を解いた覚えはない。
にも拘らず、両腕は変貌させる前の、いつもの健康な肌色に戻っていた。
「『世界』から授かった権能が…。干渉するなということなのか…」
意味深に独りごちる教祖を遠目に、輝夜もまた、なにかしなければと危機感を覚えた。
内側からだと、いまいち状況の把握がしづらい。
やれることも限られている。
みんなが自分を救出するために頑張ってくれていることはわかるが、教祖が飛ばされたのを見て万策尽きたようにも思えた。
──うん。やれることはやった。
──この後どうなるかは運次第だ。
──きっと、大丈夫!
そう、輝夜は楽観的に考える。
さらにはそのポジティブ思考が、ネジの外れた頭の中に馬鹿みたいな発想をよぎらせた。
(あっ!もしかしてこれ…今が最高のタイミングなのでは?)
大勢のギャラリー。
その全員の注目を浴びる今、やむなく中断してしまった自己紹介を再開するのにはもってこいではないだろうか?
そんな突拍子もないことを思いついた。
もはや、子供の悪巧みにも等しい。
しかし、頭に浮かんだが最後、、輝夜は後先を考えずに大きく息を吸い込んだ。
そうなれば、吐き出すだけ…。
輝夜は全員に届くほどの、大きな声で呼びかける。
「みんなー!」
注目が集まる。
「さっきは言いそびれたけど、これからちゃんと自己紹介するねー!僕の名前は竹取輝夜!誕生日は1月1日。好きな食べ物はハンバーグ。趣味はアニメ鑑賞だよ。もう気づいてると思うけれど、僕はアルビノ体質なんだ!日焼けすると全身真っ赤になっちゃうから、毎夏の日焼け止め対策が大変なんだ…。だから嫌いなものは夏!それとね──」
口からぺらぺらと出るわ出るわ。
良く言えば目立ちたがり。
悪く言えば空気の読めない馬鹿。
アイツはこの状況で何をしているんだ…と、困惑や呆れといった痛々しい視線が輝夜に集まった。
多少の反感や悪態は承知の上。
だがこれで、輝夜を知らない者はこの場にいなくなったことだろう。
これが次に話をするときの、きっかけになればいいなぁ…なんて、そんなことを考えながら輝夜は続ける。
「この光の壁、時空系の異能みたいだよ!教祖がさっき言ってたんだ!僕、これからどこかに跳ばされちゃうみたい!だけど大丈夫!僕だって異能者だ。宇宙の果てに跳ばされない限りはへっちゃらだ!」
輝夜は自身が安全であることを強く主張する。
そうすることで、みんなに心配をかけないよう配慮したのだろう。
そうしてグルンと、光の『膜』はまた一層小さくなる。
輝夜はタイムリミットが近づいていたことを、『膜』のわずかな変化から感じ取っていた。
それゆえの、咄嗟の行動だった。
やがて彼の視界は、広大に広がって、音も光もない真っ暗な──、
「ごめん!みんな!僕を──」
見つけて!と言うよりも早く。
『膜』はギュルンと収縮し、最後には空間を裂くようにして教祖達の前から消失した。
入れ替わる虚空。
その場にいた教祖、教師、生徒達は、その顛末をただ茫然と見届けることしかできなかった。
そこにあるのはただの無のみ。
その場所には、騒動の真っ只中だったとは思えない静寂と空虚な虚無だけが、ただポツンと残されたのだった。




