新しい生活
輝夜の毎朝のルーティンは、起床後の歯磨きから始まる。
朝が弱い彼にとって、口内への刺激と口いっぱいに広がる歯磨き粉の清涼感は、眠気を吹き飛ばすのに最も効率のよい覚醒手段であった。
しかし、本日に限ってだけは、その限りではない。
早朝から鳴り響くスマホのアラームを一秒にも満たない早業で停止させ、寝癖まじりの白い髪をブワッと揺らしながら、覚醒した少年はベッドから颯爽と飛び起きた。
そうして向かった先は洗面所。歯磨き、洗顔、髪のブラッシングと、同時並行で行われる荒業は、一秒たりとて無駄にはしないという、彼の熱意が感じられる。
「よーし!次!」
自室に戻った頃には、せっかく整えた癖毛はこの短い道中で息を吹き返していた。そのことに気づかないまま輝夜はクローゼットの前に立つと、一着の制服をハンガーから引き剥がした。
「間違えた、これじゃない。こっちだこっちだ」
誤って手にした古い制服を元に戻し、使用した形跡がほとんどない真新しい制服を取り出すと、輝夜はパジャマを脱ぎ捨てて、その新品の衣に身を包んだ。
身分を示し、所属を示し、脅威から身を守るための学生に義務付けられた特別な制服。白をベースにしたそれは、どちらかというと軍服を連想させる硬いデザインになっている。
だが、そんなことはどうだっていい。
輝夜にとって最も重要なのは、似合っているかいないかだ。
クローゼットの横に立てかけられた大鏡へと向かい、全体の身だしなみを確認する。
彼の白い肌に透明感のある色素の抜けた髪と相まって、白く威厳を感じさせる制服は、意外とマッチしていた。
輝夜自身、新たな自分の姿に満足した様子だった。
ただ、紅い瞳に映り込んだ自身の癖毛の主張の強さに、輝夜は髪をいじりながら小さな溜息を吐いた。
気を取り直し、支度を終えた輝夜はリビングへと向かった。
「おっはよう!」
軽い足取りでリビングに足を踏み入れた輝夜は、最初に視界に入ったテーブルでコーヒーを啜る父に、元気いっぱいな朝の挨拶をした。
その大きな声は、台所で朝食を作っていた母にも届き、二人は「おはよう」と微笑んだ。
「今日はやけに早いな、輝夜」
「もちろん!今日は僕にとって、とっても大事な日だからね!」
「ふふ、それもそうね」
気遣いのできる優しい息子に助けられながら、母はスクランブルエッグとハムが乗った皿を持って、慎重にテーブルへと向かう。そうしてみんなで食卓を囲み、いつもの家族の団欒が始った。
今日の輝夜は、いつにも増してテンションが高かった。
というのも、今日は輝夜にとって、新たなステージへの一歩を踏み出す、待ちに待っていた特別な日。高校生活一日目、登校初日の入学式であった。
両親が見つめる今の息子の姿に、幼い頃に見た陰気な面影は一切ない。あの時の迷える小さな子共は、見違えるほどに明るく成長した。
これも自分たちの教育方針の賜物か。どうあれ二人は、息子の立派な姿に感慨深くなるのだった。
「ごちそうさま!」
朝食を終え、輝夜は息つく暇もなく玄関へと向かう。そうして、昨夜に磨いておいた真っ白な靴を手に取った。制服と合わせて新調したその革製の靴は、父が輝夜のためにと奮発した、少しばかり値が張る代物だった。
輝夜はそれを大事そうにしながら、慎重に足を通していく。
「似合ってるぞ」
背後からの声に、輝夜は振り返った。
見送りに来た父の言葉に、輝夜は「当然!」と鼻を鳴らす。
すると父の後ろから、母も見送りにやってきた。そして、おもむろに息子に問うた。
「輝夜、学校は楽しみ?」
心配性の母。だがそれも、息子の境遇を知っているからこそ。
もし高校生活で同級生に馴染めなくても…、
幼い頃のように学校に居場所がなかったとしても…、
そうなってしまったらこの家に引き籠っつしまっても構わない。
彼女はそう考えていた。
誰だって、身内が苦しむ姿を見たくはない。
だが、子共の成長というのは、親の想像を常に凌駕していくもので──、
「うん!すっごい楽しみ!」
輝夜は立ち上がり様に、そう、笑顔で言い切って見せた。
──孤独だった頃の彼はもういない。
あの日…。
無限にも等しい数多の星が、夜空に光の橋を架けた日。願いを星に預けたあの日から、輝夜は見違えていくように変わっていった。
デタラメだと知らなかったにしろ、父から伝授された『友達を作る』という秘伝技を素直に信じて、輝夜はたくさんの人と『話』をしたのだ。
トラブルを起こして頬を腫らすこともあったが、それでも輝夜はめげなかった。
意地悪をする子たち、隣の席になった同級生、はたまたクラスの全員、さらには他クラスの生徒まで…。
言葉を交わし、情報を交換し、相互に理解を深めあう。
そうして紡いでいった人と人との縁は、輝夜を明るい性格へと導いた。
そして、今に至る。
「そう…」
まだ輝夜が幼かったときは、将来が不安で仕方がなかった。世間との違いに心が折れて、塞ぎ込んでしまうんじゃないかと心が張り裂けそうだった。
だが、そうはならなかった。
大きく、優しく、立派になった息子の姿に安堵しながら、母は口をほころばせる。
「なら、またたくさん友達を作ってらっしゃい。それと、今日は大事な話があるから、早く帰ってきてね」
輝夜はドアノブに手をかけて、ゆっくりと扉を開ける。
「うん、わかった。じゃあ行ってきます!」
「「行ってらっしゃい」」
そうして二人は息子の新たな旅立ちの門出を見届けた。
その大きくなった背中に穏やかな微笑みを添えて。




