悪い話と…
おもむろにフッと鼻を鳴らして、リードは表情をかすかにほころばせた。
その様子を見ていたセガンは、気味が悪そうに顔をひそめる。
「どうした?急に笑い出しおって…。変な妄想でもしてたのか?キモいのう」
「うるっせぇ!違ぇよ!あれだ、あれ」
そう言ったリードの視線の先を追うと、二人の男女が仲睦まじく歩いていた。
「ほう、テスと異世界人か。険悪な仲だと思ってたんじゃが、いつの間に仲良くなったんじゃ?」
「さあな、誤解でも解けたんだろうよ」
おおよそ、リードが気でも回したのだろうと見越したセガンは、二人を微笑ましそうに見守った。同時に物悲しい感情が、彼の胸を締めつける。
「…うむ。まぁなんにせよ、仲が良いに越したことはない。それよりも、俺達は仕事を済ませるぞ。ただでさえ、行事が山積みなんじゃからな」
「これから来る嵐に、とっとと備えなくては…」
★☆★
「ねぇ、テス。みんな忙しそうにしてるけど、僕も何か手伝った方がいいかな?」
集落の忙しない様子に、輝夜の落ち着きがなくなっていく。
というのも、人々はこの短時間で集落をまるっと囲むほどの巨大なバリケードを築き始めていた。
工具を用いて、奇跡を束ねて、念には念をと言わんばかりの、何重もの層を張り巡らせて。
もはや防柵というより、砦の籠城に近い。
「大丈夫!私達にできることはなにもないから!」
そう言って、テスは意気揚々と自身の無力さを開き直る。
「それでいいんですかい…?テスさん…」
「実際、私達がいても足手まといだもん。むしろ、そういうのに重宝される奇跡も使えないから、作業効率はガクッと下がるわ」
セガンの奇跡である「呼林」によって彼の意思に応える大樹達は、たしかにこういった作業にもってこいの力と言えるだろう。
根を張るように伸びる樹木の天井を見上げながら、そうかもしれないと輝夜は納得した。
「そういえば、テスも奇跡使えるの?」
「私?もちろん!見ててよ~」
そう得意気に言うと、彼女は人差し指を輝夜の顔に向け、照準を合わせる素振りをする。
すると指先に卓球玉くらいの小さな雫が生成され、次の瞬間には躊躇なく発射されていた。
「冷た!」
ビシャリと顔中びしょ濡れになり、突然何をするんだと輝夜は眉をしかめた。
「これが私の奇跡!『天恵』だよ」
リードから魂流石の説明を受けた際、輝夜は奇跡についてもある程度の知識を身につけていた。
奇跡とは、思願を糧にして呼び起こされる、この世界特有の超常の力だ。
思願は簡単に言うと、想い、祈り、願いなどといった胸の内から湧き立つ、心のエネルギーだ。
ゆえに奇跡は、精霊が一番最初に心の底から願ったものが、奇跡として昇華される。
花を大事にしているテスだからこそ、水を操るという奇跡は実に彼女らしい力だと輝夜は思った。
「それで結局、みんなは何をしてるの?これじゃまるで、これから来る敵に備えてるみたいじゃないか」
顔にかかった水を袖で拭いながら、輝夜は怪訝に尋ねる。
すると、どうやら正解を言い当てたようで、テスは難しい顔をしながら答えた。
「実はその通りなの。今ここ、ナヒダ集落は、とある大きな問題を二つ抱えているの」
「問題?」
「そう。っていっても、片方は良い話なんだけどね。輝夜は悪い話と良い話、どっちから聞きたい?」
手を顎に当てて、輝夜は考える素振りを見せる。
だが彼の性格上、自分の中の期待値を上げるために、楽しみは最後まで取っておくのが輝夜のセオリーだ。
したがって、彼が返した答えは…。
「じゃあ、悪い話から聞きたい」
「わかったわ。私が馬鹿でもわかるように丁寧に説明してあげる」
そう言うと、テスは空を見上げた。
「今から10日後くらいに、このガネロン大森林の真上を『穢れた大地』が通過するの」
「はいっ。その…穢れた大地ってなんですか?」
聞き慣れない単語に興味を引かれた輝夜は、首を傾げながら挙手した。
すると空色の髪を揺らして、テスは輝夜に視線を戻した。
「さっきの話、覚えてる?」
「どの話?アクアルシル?」
「違う、もっと前」
「神様の話?」
「そう。神様と邪神の戦いの話」
記憶に新しい会話を、早々に忘れるはずもない。
四千年も昔、精霊の神様と邪神との戦いがあった。
結果は相討ち。
神様は散り際に、己の臨終の地を青い花で飾って、眠るように息を引き取った。そうして彼の恩寵が世界に溶け込み、後に精霊が誕生するきっかけになったとか。
「うん、覚えてるよ」
「よろしい。でも、全部を語ったわけじゃないの」
「どういうこと?」
輝夜の言葉に、テスは目を細め、深刻そうにうつむいた。
「邪神は存在するだけでも、触れたすべてのものを穢して死に至らしめたそうよ。土地や命、神様の子供たちまでも…。その脅威は死んでも変わらなかった。だから神様は、邪神によって汚染された土地を、邪神の亡骸ごと空に飛ばしたの。たぶん輝夜も見てるはずよ、今も空を漂っている黎く淀んだ星を…」
それを聞いて、記憶の断片を漁った輝夜は、頭の隅にくすぶるおぼろげな風景を想起させた。
「確かに見たかも。あの時は遠かったし、あまり気にもならなかったけど…。でもそれが何だって言うの?神様は邪神の亡骸を空に打ち上げることで、その穢れを封印したってことでしょ?」
「それが、そうもいかなかったの。神様の死後に精霊が誕生するようになったのと同じように、邪神の死で魔恩という異形がこの地にたびたび生まれてくるようになった。しかも年々、その数が多くなってきてる」
「それって…」
何かを察したように、輝夜は表情を曇らせる。
邪神の死によって誕生したという魔恩。
その原因は、今もこの空を漂い続けている。
穢れた大地という名前で…。
「そう…。穢れた大地の真下は、魔恩の発生率が極端に高いの…」
穢れた大地とは、この世界の住民達に恐れられている、いわば災害のひとつである。
そのことを認識した輝夜は、みるみると顔を青くした。
「やばいじゃん!それ!」
「そう!やばいの!」
事の深刻さに、二人は顔を突き合わせる。まるで、胸の内に感じた重大さを二人で再確認するかのように。
しかし、そんなこともあろうかと言わんばかりに、テスは意気揚々と胸をそらした。
「でも、こんな時に私達を守ってくれるのが、聖都の秩序安寧機関…浄化部隊なの」
「浄化部隊?」
「まぁ、魔恩退治のプロだと思ってくれればいいわ」
あの怪物を退治してくれるエキスパート達が存在する。その事実に、輝夜はホッと胸をなで下ろした。
「なぁんだ!そんな人達がいるんだったら、僕達も安心だね!」
「それに、リードさんとセガンさんも、元浄化部隊の精鋭だったのよ!」
「ええっ!」
セガンはともかく、リードの狂戦士ぶりの戦闘を目の前で目撃した輝夜は、腑に落ちたように防柵作りに従事している紅い青年に畏敬の念を抱いた。
(どうりで強いわけだよ…)
納得しながら、輝夜はテスに視線を戻す。
「それで、今のが良い話ってこと?」
「まさかっ。良い話はこれからだよ!」
テスは嬉々としながら、遠くで作業をしているセガンへ向けて声を張り上げた。
「セガンさーん!輝夜に『聖宮』を見せてもいいー!」
「おおっ!いいんじゃねぇーかぁぁ!見せてやれぇー!」
大手を振って返事をするセガン。
了承を得たテスは、早々に輝夜を連れて歩き出す。
「どこに行くの?」
「すぐそこ。見てもらった方が速いから」
「精霊が誕生する奇跡の瞬間ってやつをさ!」




