空色の少女
黒く荒廃した大地の真ん中で、砂煙が立ち昇っていた。
そこから、舞い散る粉塵を振り払い、新鮮な空気を求めて輝夜が勢いよく姿を現す。
口に砂でも入ったのか、不快感に悶えた表情で、2回ほど地面に唾を吐きかける。
そうしてようやく、輝夜は重く閉ざしていた目蓋を開くことができた。
「やっぱり、さっきの景色の場所だ」
乾いた地面は所々ヒビ割れて、吹き抜けた風が小さな砂埃を巻き上げる。
そんな寂れた荒野に一人ポツンと立ち尽くす輝夜は、とりあえずは身体の五体満足に胸をなで下ろした。
異能災害に巻き込まれて、生きているだけでも上々。
自身の生存を呑気に喜びながら、あとは帰宅するだけだなと、輝夜はズボンのポケットに手を伸ばした。
「とりあえず、ここはどこだろう。あら?」
助けを呼ぼうにも、取り出したスマホは圏外だった。
アンテナが立たない画面を目に、輝夜はスンと表情を曇らせる。
これでは現在地も調べられない。
「ダメだ、こりゃ」
戦力外通告を受けたガラクタは、秒でポケットという監獄へ送り返される。
やはり、この状況で頼れるのは自分だけ。輝夜は周囲に目を配った。
しかし、草臥れた土地で得られる情報はそう多くない。
感じられるのは、駒としてこの盤上の一部にされたかのような、孤独感と寂しさだけ。
時間はかかるだろうが、進めばたどり着けなくもない距離に、どしっりと佇む巨大な森林がある。
その大きさに圧倒される輝夜であったが、それ以外は生命の『せ』の字もあったものではな──、
「花…?」
いや、あった。
花があった。
生命が枯れ果てたこの大地に、懸命に…力強く根付いている一輪の花が…。
辺りをよく見渡してみると、他にも、かろうじて息をしている花が所々に咲いている。
清廉に咲き誇るその花に目を奪われた輝夜は、思わずその場に膝をついて、花をまじまじと見下ろした。
茎、葉、花弁にいたるまで、空と同じ透明感のある澄んだ青色をしていた。
葉緑素は含まれているのだろうか?
考えれば考えるほどに、その花の構造は輝夜の好奇心をくすぐった。
不思議なことに、この植物は空からの光を取り込んで、内側から淡く発光しているようだった。
さらには、そよ風が撫でるたびに、花の表面を凛とした波紋が、花弁から茎を伝い、葉先へと走った。
これでは植物というよりも、植物の性質を象った『水』そのもの。輝夜はそんな考えにいたる。
「これ、触ったらどうなるのかな?」
その疑問にたどり着くや、輝夜はゆっくりと不思議な花へと手を伸ばす。
──その時だった。
「■■■■■■」
激情を孕んだ凛とした声が、輝夜の鼓膜を震わせる。
伸ばした手が思わず引っ込むほどの声量に、輝夜は驚いて振り返った。
そこには、少女が立っていた。
空のように透き通った青い髪に、そこから覗く大きな瞳は、彼女の活発な性格が表れているように感じられる。
しかし、何故か初対面の輝夜に対して、彼女からは明確な敵意が向けられていた。
(えっ?怒ってるの?なんで!僕なんかした!?)
地面スレスレのスカートをはためかせて、少女は困惑する輝夜へと一気に詰め寄る。すると未知の言語で、少女は口撃を開始した。
「■■■|■■■■■■■■■■《あんた異世界人でしょ!》
■■■■■■■■■■■■■■■■■■
|■■■■■■■■■■■■■■■■■■■《よくも私の根源に手を出してくれたわね!》■■■■■■■
|■■■■■■■■■■■■《絶対に許さないんだから!》」
(えっ!?何?外国語!?)
とりあえずは、彼女との間に生じた誤解を解くために、輝夜はあまり得意とは言えない、カタコトな英語を披露した。
「あ…アイム、ジャンピング!ゆ…ユーとフレンドリーラブラブ!(輝夜脳内特別略:僕は日本人だよ!君と仲良くしたいな!)」
「■■■■■■■」
「痛いっ!?」
挑発されたと思ったのか、少女の気合の入った右ストレートが、輝夜の顔面にクリーンヒットした。
〈…テ…〉
刹那──、
「い…痛い…」
こめかみにドリルをぶち込まれたような、強い激痛に襲われた。
〈…父……〉〈ノ……〉〈殺………で〉
痛みの正体。
〈いやだ!〉〈化け物!〉〈やめなさい!〉〈来るなぁ!〉
それは、言語という情報の嵐だった。
〈許さない!〉〈出ていけ〉〈ついてきて〉
日本語や英語。少なくとも輝夜の知るどの国の言語体系にも当てはまらない、未知の言語。
それは、少女が今しがた口にした言葉と同質のものだった。
「ああっ!痛っ…痛ーい!」
〈あなたの名前は■■■よ〉〈大丈夫、私がついてるから〉〈ほら、こっち〉〈逃げよう〉〈誰もいない場所に〉〈お父様〉〈父上!〉〈クソガキ!〉〈パパー〉〈遊ぼう〉〈人類と仲良くなりたいんだ〉〈私は王になるよ!〉〈これで私たち大家族だね〉〈なに…あれ…〉〈逃げなさい〉〈ボクの家族が…〉〈お前を倒す〉〈いやだ…死なないで…〉〈凄く綺麗…〉〈ごめんね〉
〈愛してる〉
言葉の嵐は唐突に静まった。
同時に、痛みも嘘のように引いていく。
「あんた、大丈夫?そんなに強くしたつもりはなかったんだけど…」
さっきの様子とは打って変わって、少女は心配そうに輝夜の顔を覗き込んだ。
思いのほか、輝夜が苦痛に悶えていたものだから、少し責任を感じたらしい。
それよりも、少女の言葉を耳にした途端、輝夜はハッと我に返った。
「あれ?…わかる…。言葉がわかる!」
まさか!僕の新たな才能が開花したのか!などと、真面目な顔で白い両手を見つめながら、自身の隠された才覚が恐ろしくなる輝夜であった。
さておき、
「……………」
「ところで、君は誰?ここはどこ?」
新たな知識として、脳内にインプットされた言語を、さっそく使いこなす輝夜。
すると少女は、少し考える素振りをしながら、思い出したかのように声を上げた。
「そうだ!あんた『外』から来たんでしょ!ここは危ないからついてきなさい!」
「『外』?ここはもう外ですが?って、ちょっとぉ!」
「いいから急いで!」
少女は強引に輝夜の手を取ると、大森林へ向かって走り出した。
状況がわからない輝夜は、とりあえずは流れに身を任せることにする。
「あの、ちょっと説明が欲しいんだけど、どういう状況なの?」
「あんたが落ちてきた衝撃で、眠ってた魔恩達が目覚めたの!後ろを見てみなさいよ!」
言われるがままに後方を確認すると、黎く巨大な『何か』の群れが、波のように迫ってきているのが見えた。
しばらくして、輝夜は少女に視線を戻した。
「あの、ちょっと説明が欲しいんだけど、どういう状況なの?」
「見なかったことにするんじゃないわよ!魔恩が来てるって言ってるでしょ!まっ!おっ!んっ!」
「だから説明してよ!魔恩ってなにさ!?醒獣じゃなくて?」
「醒獣?そんなの知らないわよ。いいから!もう説明はあと!それよりも走りなさい、追いつかれるわよ!」
少女は走る速度を上げる。
輝夜はすでに息が上がり、引きずられるように走るので精一杯だった。
「あんた、おっそいわね!」
少女の足を引っ張っている事実に、輝夜は申し訳なくなる。
なにしろ輝夜は、手先は器用でも、運動は得意とは言えない。
せめて体力作りでもしておけばよかったと、輝夜は後悔しながら歯を食いしばった。
(追いつかれそうだ…)
目と鼻の先に迫る怪物の群れに、輝夜の心拍数はぐんと跳ね上がる。
蠍、蟻、蟷螂。
輝夜の目から見て、その魔恩は虫の攻撃的な部位を良いとこ取りしたような、混成虫と言った印象だった。
蠍の鋭い尾に、蟻の強靭な手足と顎。そして背部から伸びた蟷螂の鋭利な鎌。
随分と凶悪な風貌に、輝夜の全身から嫌な汗が噴き出す。
(ひぇぇ…)
その時──、
「テス!だから言ったろうが、禁足地に一人で行くなって!」
芯のある低い声が頭上から響いたかと思うと、目前に迫ってきた一体の怪物の頭部を、一人の男が踏み潰した。
怪物は割れた水風船のように、黎い体液を周囲に撒き散らす。
それは振り返った少女と輝夜に、ダイレクトに飛散した。
「うわっ、最悪…」
「おえっ!口に入った!なんで僕ばっかりこんな目に…!」
少女は不快そうに眉をつり上げる。
輝夜は大げさに転げ回ると、口に入った粘液を必死になって吐き出した。
すると、その黎い体液は引火でもしたかと思うほどに烟り、やがて何事もなかったかのように跡形もなく消失した。
男に踏み潰された魔恩の死体ごと。
「おっ!悪いな!おらっ!」
男の名は…リード・ガネロン。
ガネロン大森林の中でも、言わずと知れた戦士である。
真紅の髪に敵を射殺すような眼光。
腹筋胸筋を見せびらかすような、簡素な上着を纏っている。
ほぼ上裸と言っていい。
彼は威嚇でもするように、持っていた質素な棍棒を蠢く怪物の群れに振りかざす。警戒してか、魔恩は甲高い奇声を上げながら、輝夜達から距離を保ち始めた。
すると、リードはテスと呼ばれた少女に目を向けた。
その刺すような視線に、隣にいた輝夜は震え上がる。
「言いたいことはあるが、今はとにかく走れ。新しい群れが来てるぞ。ここは俺が食い止め──」
「わかったわ!」
「おい!早いって!」
リードが話している途中、少女は説教から逃げるかのように、輝夜を連れて走り出した。
「えええ!お兄さん置いて行っちゃうの!?」
「大丈夫。あの人、無茶苦茶強いから!」
真紅の青年からどんどん距離が離れていく。輝夜が心配して振り返った頃には、彼はすでに魔恩の群れの中にいた。
★☆★
「はぁ、世話が焼けるな…」
二人の背中を見送ると、リードは全身から『闘気』を漲らせた。陽炎のように揺らめくそのオーラは、身体能力を向上させる『気魂術』の基礎である。
(異世界人は…見た感じ、悪い奴じゃなさそうだったな。頼りなさそうではあったが…)
とりあえず、異世界人の問題は置いておくとして、目の前の問題を早々に片付ける。
リードは闘気を纏ったまま、臨戦態勢に入る──と思いきや、これから闘う者とは思えない、無防備な姿を晒した。
ゆっくりと、祈るように目をつむる。
雑音は遠ざかり、クリアになっていくリードの心には、ひとつの純粋な『願い』が残された。
ただ…『守る』という素朴な願いが。
瞬間、大地が鼓動した。
正しくは、砂が舞い上がったのだ。
まるで意思を持ったかのように、地面の砂、塵、大気中の埃に至るまで、微細な粒子が世界に牙を剥き始める。
紅蓮の願いに応えるかのように…。
「塵芥」
それは異能とは異なる、輝夜や、ましてや教祖すら知らない未知の理。
『願い』を糧に呼び起こされる、『奇跡』という名の神秘である。




