星に願いを…
これは、とある運命を背負った、一人の少年の原点となった話である。
建物、街灯、電車、家、車。
夜の都会に蠢く光は、生物に不可欠な血管のように絶え間なく駆け巡っている。
それらの創造主たる人々が奏でる生活音は、まるで慌ただしい息遣いだ。
しかし、その鼓動も、その息吹も、息を呑むような静寂に包まれていった。
諸人は一人…また一人と、顔を上げて観測者へと変わっていく。
その理由は空にあった。
あと数十分もすれば、一面の闇を引き裂くと取り沙汰されている流星群が空に瞬くのだ。
──ある少女は豪邸のベランダから、メイド達と共に優雅に空を見上げた。
──ある少年は、その奇跡を片鱗だけでもいいからと、草臥れた借家からそっと窓の外を覗き込んだ。
以前からニュースで取り上げられていたためか、街中は空を見上げる観測者であふれかえり、人々の期待は今やピークに達していた。
本来なら街が灯す光の前で、星の明かりは霞んでしまうのだが、この流星群は別格にして例外だった。
その時が来れば、文明が生み出した光害などもろともせず、鮮烈な光明は雨の如く降り注ぐだろう。
それでも、宇宙の大自然が創り出す神秘の灯火を、十全たる姿で目に焼き付けたいのなら、文明の光が届かない大自然の下で見ることをオススメする。
──「ぬんっ!」
空も動物も寝静まった夜。
この沈黙を是とする草原に吹き抜けていく夜風は、まるで健やかな寝息のように繰り返される。
息を呑むほどの静けさ。
さりとて、太陽が休息を取っている今。
その影に埋もれていた星々は、自らの在処を誇示し、主張するかのように、この空に鮮明に輝いていた。
──「ぬ~ん!」
浅く息をする大地。無尽蔵に
目を見開く空。
まさしく、自然が築き上げた神秘。
しかしながら、そんな不可思議な絶景が並ぶ一方で、壁のように立ちはだかる猛威も、この世には存在してしまっているのだ。
「ぬーん!」
緩やかに高みへと続く斜面は、最大の試練であるかのように小さな少年の前に立ち塞がった。
少年は白い髪を揺らして、その苦難に懸命に挑む。
「ぬんっ!ぬんっ!はぁ~…。お父さん、まだ~?僕もう帰りたいよ~」
「急かすなって、もう少しだよ」
「ほら、頑張って!」
歩き疲れ、嘆息し、不貞腐れる少年を鼓舞しながら、女は子共の手を引いて歩いた。
男と女と幼い少年。
この三人もまた、流星群の物珍しさに釣られてやってきた、仲の良い家族である。
息子は乗り気ではない様子だったが、それでも懸命に足を動かし続けた。
「うん、ここにしよう」
一家はしばらく進むと、人工の光が届かない見晴らしの良い高原で足を止めた。
そして、三人は柔らかい草の絨毯に背中を預けて、仲良く川の字を作った。
草の香りに鼻腔がくすぐられ、不思議と心地よかった。
さらには、黒のキャンバスに書き綴ったような、見渡す限りの冷たい星々。
だけどその明るみは、どこか温かく感じられた。
ここに到着するまでの道中、星に一切の興味を示さなかった少年は、光の点が織りなす絶景を前にして、少しだけ表情が明るくなった。
「あっ!」
刹那、明るい闇夜の中に、白い閃光が走り抜けて、溶けるように消えていった。
テレビの奥でしか見たことのない流れ星の煌めき。
少年は願い事をすることすら忘れ、消え去った一瞬の奇跡に、ひたすらに目を輝かせた。
「お父さん!お母さん!今の見た!?流れ星だよ!」
息子の喜びように、両親は互いの顔を見つめ合いながら、ここに連れてきた甲斐があったと小さく微笑んだ。
心も身体も成長するにつれ、他者との違いに塞ぎ込んでいた少年のためにと、今回のイベントは二人が密かに企画したものだった。
母はアルビノという稀な体質で、肌は陶器のように白く、瞳は薄めた血のように赤い。髪も色素が抜けたようにまっさらで、まるでおとぎ話の世界から飛び出してきたような、美しい女性だった。
少年もまた、その因子を色濃く引き継いでいた。
唯一違うところは、父親譲りの跳ねに跳ねた癖っ毛だ。
それはさておき──、
白い体質のことを周囲の子供達から揶揄され、少年は幼いながらに苦悩を抱えていたのだ。
しかし、そんな心の影りは、星の瞬きを前にして薄っすらと霞んでしまったらしい。
叶えたい願い事を思い浮かべながら、上機嫌になった少年は次の流れ星を今か今かと待っていた。
「そう気を張る必要はないぞ、輝夜。さっきのは始まりに過ぎない。ここからが本番なんだから」
「ホント!」
「ああ、これからもっとたくさんの流れ星が見られるんだ。そうしたら輝夜の願い事、叶え放題だぞぅ!」
意気揚々とした父の言葉に、輝夜と呼ばれた少年は夜空から目が離せなくなった。
すべての願いを叶えられる。
幼い少年にとって、それはこの上なく魅力的な話だっただろう。
そうして眉間に皺を寄せているうちに、また新たな閃光が夜空に煌めいた。
そして、残像だけが瞳の奥に虚しく残る。
輝夜はなにもできなかった。
悔しさと、早く願い事を考えなきゃという焦りで、じわじわと目尻に涙が溜まっていく。
「焦らないで、輝夜」
そう……逸る気持ちを落ち着かせるように、母は優しい口調で言った。
「でもお母さん。早くしないと流れ星が終わっちゃうよ……」
「フフ…大丈夫よ、お父さんも言ってたでしょ。これからが本番だって……。それまで時間はあるから、その時に備えて、今のうちに願い事をいっぱい考えよっか」
「うん、わかった」
母に諭され、輝夜は願い事を考えることに専念した。
「そういえば輝夜、学校は楽しい?」
話題は唐突に切り替わり、近況を母に尋ねられた輝夜は、思い出したくないことを思い出して嫌そうに口を窄めた。
「楽しくない…。みんな意地悪するんだ。髪の毛を引っ張ったり、仲間はずれにしたり。僕もう学校に行きたくないよ…」
表情を曇らせた息子を見て、母もまた辛そうに眉をひそめた。
輝夜は今、小学一年生。
普通でありながら普通とは違う、それだけの理由でのけ者扱いされる辛さは、彼女も痛いほど知っている。
だからこそ、息子を自分と同じ体質に産んでしまったことを…、
同じ境遇に立たせてしまったことを、母は酷く悔いていた。
しかし、父の考えはまったく異なるものだった。
「きっとその子たちは、輝夜のことが羨ましいんだな」
「僕が?どうして?」
「輝夜が普通とは、少し違うからかな」
「僕、普通じゃないの?」
「そうだよ。でも、それは悪いことじゃないんだ。普通と違うってことは、見方によっては特別だったりもするからね。きっとその子たちは、輝夜が普通と違うから、特別に映って見えるんだろう。特別で羨ましいから、みんなは自分の方が特別なんだ!って、輝夜に意地悪をしてしまうのさ」
「う~ん、僕にはわかんないや」
幼い少年の理解力では、父の話は難しかっただろうに。
輝夜は目を棒にして、頭に疑問符を乗せた。
そんな息子に父は嘆息しつつ、不意に得意気な表情を作った。
「じゃあ、我が家に伝わる、友達をたくさん作る方法を輝夜に伝授してあげよう」
ピクリと、輝夜の耳に熱が籠る。
友達のいない輝夜にとって、それは願ってもない話だった。
だが無論、父の話は息子の興味を引き、勇気づけるための方便に過ぎなかった。
そんな都合のいい秘伝技など、最初から存在しないのだから…。
そんな事実など知る由もない輝夜は、父がした作り話を鵜呑みにして、面白いくらいに鼻息を荒くした。
「そんな方法があるの!?教えて!」
その微笑ましさに、両親は小さく微笑んだ。
父は輝夜の頭を撫でて、空を見上げながら答えた。
「それはね、人とたくさんお話をするんだ」
「お話?それだけでいいの?」
「ああ。お話をして、相手に自分のことを知ってもらえばいい。話しているうちに、自分も相手のことも理解して、そうして気づいたときには、お互いに友達になっているさ」
「ホントに!僕、次に学校に行ったとき、早速試してみるよ!」
純真にして無垢。
期待を胸に、少年は意気込んで見せた。
その微笑ましい姿に、両親は息子の未来が楽しみで仕方ないのであった。
「さぁ、そろそろ時間よ」
スマホのアラームが鳴ると、母は二人にそう呼びかけた。
ようやく、待ちわびた瞬間がやってくる。
「輝夜。ここからは、瞬き厳禁だ!」
「うん!」
夜空という壮大なスクリーンに、視線が釘付けになる一家。
風がほんのりと肌を撫で、静寂を連れて来る。
映画が始まる直前のような短い沈黙に、輝夜の期待値はぐんぐんと上がっていく。
そして、今度こそ願い事を叶えるんだと、懸命に目を凝らした。
──五秒後。
一筋の光が宙を引き裂いた。
「………あっ…」
呆けた悲鳴の後、星に願いを託し損ねた輝夜は、「しまったぁ!」と情けない声を上げた。
ふるふると頬を震わせて、悔しそうに唇を噛む。
だが、今の閃きがこれから始まる壮大な奇跡の予兆でしかなかったことを、輝夜はこれから身をもって知ることになるだろう。
──そこからさらに八秒後。
『さんっ』『にっ』『いちっ』
と、まるでカウントダウンを始めるかのように、夜空に三本の白い線が駆け抜けた。
その直後、その流れ星の筆跡を新たな軌跡が追従し、目にも止まらぬ速さで、何度も何度も、閃き、煌めき、瞬いた。
輝夜が息を呑んだ頃には、無限とも思えるような群星が折り重なる。
そして、清冽な川の激流が如く、流星群は一天を埋め尽くした。
時折観せる化学反応の火球。
夜は捲れ上がり、星彩のみが空を綾なす。
「輝夜、願い事は大丈夫?」
母の言葉で、ハッと我に返る輝夜。
願いはもう考えついた。
筆舌に尽くしがたい感動で目を丸くしながら、少年は祈るように両手を握りしめる。
そして静かに、胸の内を空に打ち明けた。
(お星さま…どうか僕に、たくさんの友達ができますように…。そして──)
大いなる星の流れに、その純粋な願いを託した。
(その仲間たちと誰も見たこともない冒険をして、最高の人生を送りたいです…)
そうして、光が干上がる最後の瞬間まで、輝夜は星の行く末を見届けた。
その先で、自身が託した願いが、成就されることを信じて…。
これが、竹取輝夜の原点のひとつ。
彼の人格に多大なる影響を及ぼした、転換点とも言える出来事だった。
そんな彼には遠い未来、多くの苦難が立ち塞がることになる。
運命的な出会いをすることもだろう。
壮大な別れに涙することもあるだろう。
絶望に打ちひしがれて膝をつくこともあるだろう。
その度に、少年は立ち上がり続けるだろう。
そうした数多の経験を経て、いつしか少年は世界を救うまでの成長を遂げるのだ。
ともあれ──、
まだ見ぬ不透明な未来を語るよりも、今は確実に言えることがある。
祝福を授けるように…
運命を慈しむように…
希望を抱けるように…
絶望を払いのけるように…
そして、世界に愛されているかのように…
この瞬間は紛れもなく、輝夜を中心にこの世界は回っていた。




