第6話:限界騎士たちの救済と、白濁した「背徳の滴」
離宮の修練場には、かつてないほどの熱気が渦巻いていた。
通常訓練の三倍。それは帝国騎士団の歴史においても、過酷を極める地獄のメニューだ。
しかし、そこにあるのは悲壮感ではない。
「肉を……あの肉厚のパンを食うんだ!」
「俺はチーズの滝に溺れるために、この剣を振るう!」
狂気にも似た執念が、騎士たちの限界を軽々と突破させていた。
私は厨房の窓から、砂塵を上げて訓練に励む男たちを見下ろし、小さく笑みを浮かべた。
胃袋を掴むというのは、これほどまでに人を強く、そして単純にするものなのね。
「エレーナ、連中への配給準備は整っているのか? 俺の分は、もちろん……特別だろうな」
背後から、低い熱を帯びた声がした。
振り向くと、そこには鍛錬を終えたばかりのアラリック閣下が立っていた。
汗で濡れたシャツが、彼のしなやかで強靭な肉体に張り付いている。
その瞳は、獲物を狙う猛獣のように鋭く、私の手元を、そして私自身を射抜いていた。
「ええ。ですが閣下、あの『肉の塔』を数百人分作るのは流石に魔力が持ちません。ですから今日は、より効率的に、より破壊的に胃袋を充填できる『丼』を用意しましたわ」
「丼……? 器の中に、すべてを封じ込めるというのか」
「その通りです。名付けて、『魔臭球バターの背徳肉まみれ飯』」
私は調理台の上に、錬成したばかりの食材を並べる。
まずは、炊きたてで艶やかな『白真珠米』の山。
次に、アイアンタスクボアのバラ肉。脂身と赤身のバランスが完璧な部位だ。
そして、今回の主役となる調味料を錬成する。
「錬成――黄金の雪山バター。そして、命を刈り取る魔臭球の刻み」
熱したフライパンにバターを塊のまま投入すると、離宮全体を震わせるような、芳醇で暴力的な香りが立ち上った。
そこへ、大量の魔臭球を投入する。
バチバチと弾ける音と共に、ガーリックの刺激がバターの甘みを抱き込み、脳の奥を直接叩くような匂いへと進化していく。
「ぐっ、うぅ……。この匂いだけで、修練で使い果たした魔力が、急速に再構築されていくようだ」
アラリック閣下が、自身の胸に手を当てて呻く。
私はそこへ、薄切りにしたボアの肉を一気に流し込んだ。
強火で煽られ、肉の脂とバター、魔臭球が渾然一体となって、褐色の宝石のように輝き始める。
「仕上げに、これですわ。錬成――『白銀の罪』」
私は、卵の黄身と油、酢を魔力で高速攪拌して作り上げた、白くもったりとした濃厚なソース……いわゆるマヨネーズを、肉の山の上にこれでもかと格子状にかけ回した。
「エレーナ、その白い液体は何だ? 雪のように美しいが、同時に、触れてはいけない禁忌のような……恐ろしい気配を感じる」
「これは、旨味を増幅させるための『増幅剤』です。さあ、召し上がれ」
私は、山盛りの米の上に、バターと魔臭球で炒めた肉を載せ、その上に『白銀の罪』をたっぷりとかけた丼を、まずはアラリック閣下へと差し出した。
閣下は震える手でスプーンを取り、米と肉、そして白いソースを一度に掬い上げた。
その一口を、迷わず口に運ぶ。
「――ッ!! お、おぉぉ……っ!!」
アラリック閣下の体が、びくんと大きく跳ねた。
彼は口を押さえ、あまりの衝撃に膝をつきそうになるのを、調理台を掴んで辛うじて耐えている。
「なんだ、この口内爆発は……! 米の一粒一粒が、肉の脂とバター、そしてこの白い悪魔のソースにコーティングされ、喉を通るたびに快楽の雷を落としていく! 魔臭球のパンチが、この白いソースによってまろやかに、だがより深く、より逃れられない中毒性を持って俺を支配する!」
「閣下、大丈夫ですか!?」
「大丈夫なものか! これを知る前の俺は、死んでいたも同然だ! エレーナ、お前は……お前は神か、それとも俺を堕落させる魔女なのか!」
閣下は、顔を真っ赤にしながら、まるで何かに憑りつかれたような速度で丼を空にしていく。
その隣では、我慢の限界を迎えたグンターも、兵士用の特大丼に食らいついていた。
「う、うますぎる……! この『白銀の罪』、反則ですよ! 肉の塩気と、このソースのまろやかな酸味が合わさると、米が飲み物のようです! 噛まなくても、勝手に胃の中に吸い込まれていく!」
グンターは、涙を流しながら、空になった丼の底をスプーンでガリガリと擦っている。
「エレーナ様、これ……これを食べた後の自分なら、上位魔獣の三匹や四匹、素手で捻り潰せる気がします!」
「ふふ、頼もしいわね。さあ、外の騎士様たちにも配ってあげて。彼らには、この『白銀の罪』を各自で好きなだけかけられる『かけ放題』形式で提供しますわ」
離宮の門が開き、完成した数百杯の丼が運び出された。
そこからの光景は、もはや戦場だった。
一口食べた騎士たちが、その場で咆哮を上げ、マヨネーズのボトルを奪い合うようにして丼にぶちまける。
「なんだこれは! 力が、力が溢れてくる!」
「今まで食べていた、貴族のスカスカなスープは忘れた! 俺はこの白いソースのために命を懸ける!」
騎士たちの魔力が共鳴し、離宮の空が黄金色に輝く。
それは、史上最強の「ジャンクフード軍団」が誕生した瞬間だった。
しかし、その狂乱を冷ややかな目で見つめる影があった。
離宮の影から現れたのは、煌びやかな衣装に身を包んだ、皇太子ジュリアン。
そして、その隣で不快そうに鼻を鳴らす、聖女セフィリアだった。
「……何という醜態だ。アラリック大公、君は狂ったのか? このような下品な匂いを撒き散らし、兵士たちを堕落させるとは」
ジュリアンの声は冷たかった。
だが、その視線は、騎士たちがむさぼり食う『背徳肉まみれ飯』から離れることができない。
セフィリアもまた、彼女の「浄化の魔法」でさえ消し去れない、この強烈な「旨味の匂い」に、無意識のうちに喉を鳴らしていた。
「殿下。清らかさだけでは、人は守れませんわ」
私は、手に持ったマヨネーズのボトルを軽く振り、不敵な笑みを浮かべた。
「もしよろしければ、殿下もいかがですか? その高貴な理性を、一瞬で粉砕して差し上げますけれど」
「黙れ、不潔な女め!」
ジュリアンは叫んだ。
けれど、彼の瞳には、恐怖と……それ以上の、抗いがたい『渇望』が宿っていた。
私は確信した。
この国の権威も、伝統も、私の作る「ジャンクフード」の前に、まもなく跪くことになるのだと。




