第5話:包囲された離宮と、肉厚の「重層重圧パン」
離宮の朝は、これまでになく騒がしかった。
私がまだベッドの中でまどろんでいると、窓の外から地響きのような唸り声が聞こえてきたのだ。
それは魔獣の襲撃でも、敵国の軍勢でもない。
「……腹が減った」
「あの匂いの正体を突き止めるまでは、一歩も動かんぞ」
「昨日、バレット伯爵が泣きながら円盤を食べていたという噂は本当か?」
離宮を囲んでいたのは、訓練を放り出してきた帝国騎士団の精鋭たちだった。
彼らは皆、鼻をヒクつかせ、飢えた狼のような目で厨房の煙突を見上げている。
「エレーナ、起きたか。外の連中については気にするな。俺が後で全員、再教育いてやる」
厨房へ向かうと、すでにフル装備のアラリック閣下が腕を組んで立っていた。
彼の背後では、グンターが申し訳なさそうに、けれど期待に満ちた目で鉄板を磨いている。
閣下は私の姿を見るなり、その鋭い眼差しをわずかに和らげた。
「……閣下。外の騎士様たち、このままだと離宮の門を食い破りそうですよ」
「ふん。奴らは『清らかな食事』という名の空腹に耐えかねているだけだ。だが、お前を外に出すわけにはいかない。お前が作る至高の一皿は、俺だけの特権だ」
閣下の独占欲は日に日に増している。
けれど、これだけの屈強な騎士たちが暴動を起こせば、私の平穏な「ジャンクライフ」が脅かされる。
ここは一つ、彼らの理性を完全に焼き切るほどの「重い」一撃をお見舞いして、私の支配力を知らしめるべきね。
「分かりました。では、今朝は騎士様たちの胃袋に、消えない刻印を残してあげましょう」
私は右手を高く掲げた。
今までで最大の魔力を練り上げる。
「錬成――アイアンタスクボアの極厚挽き肉。そして、それを挟み込むための、バターを限界まで練り込んだ『黄金の円形パン』」
作業台の上に、これでもかと積み上げられた肉の塊と、艶やかに光るパンが現れる。
アラリック閣下がその肉の厚みを見て、ゴクリと喉を鳴らした。
「エレーナ、それは……ステーキをパンで挟むつもりか?」
「いいえ閣下。ステーキよりもさらにジューシーで、さらに背徳的な食べ物……『重層重圧肉パン(スタックバーガー)』ですわ」
私はまず、アイアンタスクボアの肉に、細かく刻んだ魔臭球と塩、そして大量の胡椒を混ぜ込み、巨大な円盤状に成形した。
それを、熱した巨大な鉄板の上に並べる。
ジゥゥゥゥーーッ!!
これまでで最大の肉の焼ける音が、厨房中に鳴り響いた。
溢れ出す脂が鉄板の上で踊り、白い煙となって通気口から外へと漏れ出していく。
「あああぁぁぁ! 肉だ! 肉が焼ける匂いだ!」
「この匂いだけで、魔力が回復していく……!」
外の騎士たちが狂喜乱舞するのが聞こえる。
私は追い打ちをかけるように、肉の上にスノーゴートの黄色い濃厚チーズを二枚ずつ重ねた。
熱でチーズがとろりと溶け、肉の表面を包み込んでいく。
「仕上げに、この甘辛く煮詰めた『黒蜜魔臭球ソース』を……」
私は焼いたパンの断面に、たっぷりとソースを塗り、レタスに似たシャキシャキの『水精菜』、そして厚切りの肉を二枚、贅沢に積み上げた。
「はい、お待たせしました。騎士団長閣下、そしてグンターさん。まずは試作品をどうぞ」
それは、大人の男が両手で持たなければならないほどの、巨大な「肉の塔」だった。
アラリック閣下は、その暴力的なビジュアルに圧倒されながらも、迷うことなくそれを掴み取った。
「……食べるぞ。これを口にすれば、俺はもう戻れない気がするが……構わん!」
閣下は、大きな口を開け、重層重圧肉パンにかぶりついた。
ガブリッ、と。
肉を噛み切る鈍い音がし、次の瞬間、閣下の口の端から透明な脂とチーズが溢れ出した。
「――っ!? っ、ふ、ぉぉぉ……っ!!」
アラリック閣下は、声にならない咆哮を上げた。
彼は目を剥き、咀嚼するたびに全身を震わせている。
「なんだ、この弾力! 噛むたびに肉の繊維が弾け、中から熱い肉汁の鉄砲水が溢れてくる! そしてこのパン……肉の脂をすべて吸い込んで、それ自体が旨味の塊になっているではないか!」
「自分も、失礼します……っ! はぐっ! ……う、うわぁぁぁ! なんだこのソース! 甘いのに辛い! そして魔臭球の香りが鼻を突き抜けて、脳が震えます! エレーナ様、これは……これは食べ物という名の兵器ですよ!」
グンターもまた、顔中をソースと脂でベタベタにしながら、夢中で肉の塔に食らいついている。
「このチーズが、肉の荒々しさを包み込んで……なのに、後味にくるこの塩気が、また次の一口を誘う。ああ、もう止まらない。俺の胃袋が、もっと、もっとこの肉を積み上げろと叫んでいる!」
アラリック閣下は、騎士団長としての誇りも何もかも忘れたかのように、溢れる肉汁を指で拭い、それさえも愛おしそうに舐めとった。
「……さて。閣下、お腹が満たされたところで、外の『狼たち』をどうにかしてくださる?」
私がそう言うと、閣下はハッと我に返った。
彼は満足感でテカテカになった顔を一度、布で乱暴に拭くと、冷徹な騎士団長の顔(ただし、目はまだ恍惚としている)に戻って窓を開けた。
「貴様ら、静聴せよ!」
閣下の声に、外の騎士たちが一斉に静まる。
閣下は、食べかけの巨大な肉パンを彼らに見せつけるように掲げた。
「このエレーナが作る『聖なる食事』は、帝国の極秘事項だ。しかし、貴様たちの忠誠心と空腹も理解できなくはない。今から一刻(二時間)以内に、通常訓練の三倍をこなした者から順に、この肉パンの配給を許可する!」
「「「うぉぉぉぉぉぉぉーーーッ!!」」」
大地を揺らすような歓声。
さっきまで飢えて倒れそうだった騎士たちが、信じられない速度で修練場へと走り去っていった。
モチベーションの力、というか、肉と油の力は恐ろしい。
「……閣下。一刻で数百人分なんて、私一人では作れませんよ?」
私が困った顔をすると、アラリック閣下は私の腰をグイと引き寄せ、耳元で低く笑った。
「案ずるな、エレーナ。グンターをはじめ、バレットも手伝わせる。お前はただ、俺の隣で、その美しい手で魔力を練ってくれればいい」
彼は、私の指先に残ったパンの粉を、そっと唇で拭った。
「お前の作る毒に、俺はもう完全に侵されている。責任を取ってもらうぞ、エレーナ」
その熱い視線に、私は心臓が跳ねるのを感じた。
冤罪で処刑されるはずだった私が、今や帝国最強の軍団を胃袋から支配し、その長に溺愛されている。
まあ、これもすべては、美味しいお肉とニンニクのおかげね。
私は、次の「肉の塔」を錬成するために、再び右手に力を込めた。




