第14話:皇帝の密使と、天をも衝く「三連重圧肉柱」
離宮は今や、帝国の歴史上もっとも奇妙な聖域と化していた。
かつては静寂が支配していた廊下を、聖女セフィリア様が「お肉のため、脂のため!」と叫びながら雑巾がけで爆走し、中庭では皇太子ジュリアン殿下が「次のハンバーグに薪が必要なんだ!」と、狂ったような速度で斧を振るっている。
そんなカオスな光景を冷ややかな目で見つめる、新たな訪問者がいた。
皇帝直属の隠密、影の公爵と呼ばれるクロムウェル卿。彼は、不浄を嫌う皇帝の命を受け、離宮の「異常事態」を調査しに来たのだ。
「……嘆かわしい。帝国最強の騎士団長が、不潔な令嬢に毒を盛られ、皇太子や聖女までもが壊れたという噂は真実だったか。この鼻を突く下卑た匂い……正気を疑う」
彼は鼻をハンカチで押さえ、私の厨房を睨みつけた。
だが、その背後に立つアラリック閣下が、彼を射殺さんばかりの魔圧で威圧する。
「クロムウェル、言葉に気をつけろ。エレーナは俺の救世主だ。そして、お前が今『下卑た』と吐き捨てたこの匂いこそが、帝国の未来を繋ぐエネルギーなのだ」
「大公、貴公まで……。もはや手遅れか。皇帝陛下への報告は『全員が発狂』で決まりだな」
クロムウェル卿が嘲笑を浮かべ、踵を返そうとしたその時だった。
私は、右手を掲げ、最高の「引き留め」を開始した。
「せっかくお越しいただいたのですから、調査報告書の『一行目』を書き換えるほどの味を知っていただかないと」
私は、これまでの集大成ともいえる、最大の「重圧」を錬成した。
「錬成――アイアンタスクボアの粗挽き赤身、そして溢れる脂身。さらに、三層に及ぶ『黄金の平パン(バンズ)』」
まな板の上に現れたのは、見上げるほど高く積み上げられた最高級の挽き肉と、バターの香りが漂うふっくらとしたパン。
私はまず、肉に大量の魔臭球と雷鳴玉葱を練り込み、厚さ三センチ、重さ三百グラムを超える肉塊を三枚作り上げた。
「エレーナ、それは……先日の肉パン(バーガー)をさらに超える、神の柱か?」
アラリック閣下が、恍惚とした表情で鉄板を見つめる。
「ええ、閣下。これは『三連重圧肉柱』。一口では決して攻略できない、絶望と快楽の巨塔ですわ」
私は熱した鉄板に、三枚の肉塊を叩きつけた。
ジィィィィィィィーーッ!!
これまでで最も激しい、鼓膜を震わせるほどの焼ける音が響く。
ボアの肉から溢れ出した黄金色の脂が、鉄板の上で激しく踊り、白い湯気となってクロムウェル卿の鼻先を掠めた。
「ッ……!? な、なんだ、この音は。そしてこの、暴力的なまでの……肉の……」
クロムウェル卿のハンカチを持つ手が、わずかに震える。
私は追い打ちをかけるように、三枚の肉の上に、スノーゴートの濃厚チーズを二枚ずつ、計六枚重ねた。
チーズが肉の熱で溶け、黄金の滝となって肉の側面を伝い落ちる。
「仕上げに、この『暗黒の照り焼きソース』と、大量の『白銀の罪』を……」
私は三段重ねの肉をパンで挟み込み、さらにその横に、カリカリに揚げた魔晶芋の山を築いた。
そして、氷をたっぷり入れたコップに、シュワシュワと泡立つ『黒い弾ける水』を注ぎ入れる。
「はい、お待たせしました。本日の最終回答、『帝国の三連重圧肉柱・完全攻略セット』ですわ」
目の前に置かれた、高さ二十センチを超える肉の塔。
クロムウェル卿は、その圧倒的なビジュアルと、脳を直接殴るような香りの前に、一歩も動けなくなった。
「……調査、だろう? クロムウェル。毒かどうか、お前の舌で確かめてみろ」
アラリック閣下が、挑発的に笑う。
クロムウェル卿は、屈辱に顔を歪めながらも、胃袋から突き上げてくる「飢え」に勝てず、ついにその巨塔を両手で掴んだ。
高級な手袋が、一瞬で肉汁と油に汚れるが、彼はもう気にしていなかった。
そして、大きく顎を外し、塔の半分を無理やり口に押し込んだ。
「――ッ!! ぉ、ぉぉぉぉぉぉぉッ!!」
クロムウェル卿の目から、光が消えた。
いや、あまりの旨さに脳が処理を拒否し、白目を剥きそうになっているのだ。
「なんだ……なんだこれは!? ザクッとしたパンの歯ごたえの後に、三層もの肉が一度に襲いかかってくる! 噛むたびに、ボアの生命力が脳髄を直撃し、この白いソースがすべてを……すべての理性を溶かしていく!」
彼は、なりふり構わず、肉汁を顎から滴らせながら、狂ったように肉の塔を咀嚼した。
そして、仕上げに『黒い弾ける水』を一気に煽る。
「……っはあぁぁぁぁぁぁぁッ!! 喉が! 喉が洗われるようだ! この弾ける刺激が、脂の重みを快楽に変え、次の一口を強要してくる! 助けてくれ、止まらない……止まらんのだ!」
隠密として生きてきた男が、離宮の床に膝をつき、夢中で肉の柱に食らいついている。
その隣では、斧を置いたジュリアン殿下と、雑巾を放り出したセフィリア様も、自分たちの分の肉柱に頭から突っ込んでいた。
「シェフ! この三段目の肉、ここが一番の『聖域』ですわ! チーズとソースが溜まって、まるでお肉の宝石箱です!」
「僕の……僕の帝国は、父上のものでも僕のものでもない。この肉の柱を高く積み上げられる者こそが、真の皇帝だ!」
もはや皇太子は、新しい国家の定義を「肉の高さ」に見出していた。
厨房を支配するのは、咀嚼音と、あまりの旨さに漏れる呻き声。
そして、ポテトをカリカリと齧る心地よいリズム。
「……エレーナ。これで、皇帝の密使も俺たちの軍門に降ったな」
アラリック閣下が、最後の一切れを私の手から直接受け取り、指先まで愛おしそうに舐め取った。
彼の瞳には、満腹感ゆえの余裕と、そして私を誰にも渡さないという暗い情熱が混ざり合っている。
「クロムウェル。報告はどうする?」
床でポテトの最後の一片を拾っていたクロムウェル卿は、油でテカテカになった顔を上げ、震える声で答えた。
「……『至急、皇帝陛下自ら離宮に赴き、この肉の柱を制圧すべし』。……それ以外、書けるわけがないだろう……」
彼は、もう二度と「清らかなスープ」では満足できない体になってしまった。
私は、アラリック閣下に力強く引き寄せられながら、窓の外を見た。
そこには、肉の匂いに導かれた新たな騎士たちが、門を突破して「配給」を待つ列を作っていた。
悪役令嬢による「胃袋からの帝国制圧」。
それは今、皇帝をも引きずり出す「肉の引力」へと進化したのだ。
私は、次のさらに高い「肉の摩天楼」を錬成するために、静かに魔力を練り始めた。




