勇者御一行は権威を嫌う
勇者御一行は権威を嫌う。
こんな噂がまことしやかに囁かれるようになったのは、勇者が異世界に召喚された経緯が大きく関係している。
まず、国王は召喚される勇者に対してとある幻想を抱いていた。
【運命神】の導きによって選ばれた者ならば、世界を救うという大義に感動し、強い魔物との戦いを予感して武者震いするだろう……という、王国内において武勇を渇望する男性貴族の共通認識があった。
召喚された勇者は、魔物など存在しない異世界で生まれ育った、平和を享受していた青年だった。武器など握った事もなく、将来の進路に頭を悩ませるような平凡で温厚な感性の持ち主。
いきなり異世界に召喚され、帰る手段はないから諦めろと高圧的に迫られ、周囲は出会ったばかりの王女や高位貴族のご令嬢との仲についてしつこく探りを入れる。
思春期を迎えた勇者……いや、遠藤昴にとって、それは正しく地獄のような環境だった。
過酷なトレーニングを一方的に課され、馴染みのない貴族社会での振る舞いを強要され、勇者として相応しくない言動を延々と咎められる。
異世界に召喚された際に巻き込まれただけの湯浅奏……つまり私には嘲りと無関心を向けられたが、反比例するように遠藤が背負っていたプレッシャーは相当なものだった。
日を追うごとに憔悴していく彼を見兼ねて、私は思わず今にも消えてしまいそうな手を掴んで叫んだ。
『逃げよう』
言葉にした瞬間、取り返しのつかない選択をした確信があった。
無責任で全てを投げ捨てる。それは、勇者として決して許されることはない選択肢。
私の言葉に遠藤は、ゆっくりと目を瞬かせた。
まるで、初めて聞いた言葉の意味に首を傾げるように。
『僕が逃げたら、この世界はどうなるの?』
道に迷った幼子よりも不安に満ちた顔。それなのに、彼の口から出た言葉はあまりに悲壮だった。
私の知る遠藤は、明るい後輩だった。
小指サイズにも劣る無害な虫に怯えるような、ありふれた青年だ。人を疑いきれず、誰かを庇ってしまうような優しさを持つ善良な性格。そんな彼を、この世界の人々は利用しようとしている。
『君が逃げた程度で滅びる程度の柔な世界なら、ワンチャン滅びる定めの可能性もあるっしょ!』
自分でも驚くほど軽い口調だった。
世界の命運を語るにしては不真面目で、神官に聞かれたら卒倒されそうな言い草。あまりに無責任な私の発言に、遠藤は息を詰まらせた。
『……その言葉、教皇が聞いたら怒りますよ。先輩』
困ったように笑いかけてきたその顔は、久しぶりに見る“勇者じゃない遠藤昴”のものだった。
『だってさ』
私は肩をすくめる。
『世界を救うって、君一人に全部押し付ける話じゃないでしょ。本来。こういう世界の危機ってさ、これまで憎み合ってた大人たちが、手を取り合って連携して乗り越えていくもんなの。あいつら、逃げてるだけだよ。高貴なる者の責任ってやつからさ』
困難に直面したら助け合う。それが私たちの美徳だった。誰かを生贄に、あらゆる苦難を押し付けるなんて、非道徳的だ。
私の返答に遠藤は黙り込んだ。
拳を握りしめ、ほどき、また握る。その仕草ひとつひとつに、逃げたい気持ちと逃げてはいけないという刷り込みがせめぎ合っているのが見て取れる。
『……逃げたら』
彼は小さく続ける。月に怯える小学生のように。
『きっと、追われますよ』
『うん、間違いなく追いかけてくるね』
『裏切り者って言われますよ』
『うん、言われるね』
『……先輩も』
そこで初めて、彼は私の方をちゃんと見た。
勇者ではなく、ただの青年の目で。
『先輩も、酷い事を言われるかも』
私の諦めを促すようでいる癖に、縋るような視線を隠せていない。遠藤は、そういう弱さのある人間だった。勇者なんかじゃない、一人の子ども。
だから私は、先輩として振る舞う。
『一緒に言われるよ』
私は一瞬だけ考えて、それから笑った。
覚悟というより、いつものノリに近い。
『今さらでしょ。最初から期待もされてないし』
召喚に巻き込まれただけの一般人。肩書きすらない存在。いてもいなくても変わらない。
『それに、私はさ。遠藤、君の先輩だぜ。人生の手本を見せてやるよ。とびきり傲慢で我儘で、君の唯一の共犯者さ』
遠藤は、ふっと息を吐いた。
それは、諦めの溜息ではなかった。
『先輩」
『なんだい?』
『逃げた先でさ』
『ああ』
『もし、何もなくても』
彼は、少しだけ笑った。
『それでも、僕を後輩として扱ってくれますか?』
答えは決まっている。
最初から、選択肢は一つしかなかった。
『当たり前!』
私は彼の手を引く。
『そうと決まれば、後輩に異世界を見せてやろう!』
こうして、後に語られる勇者御一行は始まった。
剣も称号も神託も揃っていない、ただの逃走者の集まりとして。
後に人々は言う。
彼らは権威を嫌ったのだと。
実際は少し違う。
私たちはただ、人が人であることを許さない仕組みから、全力で逃げただけだった。
そして、勇者を拐かした世界に対する大犯罪者として、私の悪名は大陸を轟かせたのであった。
◇◆◇◆
エルドラの転移魔術によって、一瞬の浮遊感の後に喧騒に満ちていた冒険者のギルドから魔法学園の一室に場所が移り変わる。
頑丈な魔耐性に優れた大理石の柱によって支えられた、重厚な作りの応接室。威圧をメインに設計された空間は、かつて訪れた貴族の居城や魔王城を彷彿とさせるデザインだ。
その威圧的な空間で、誰よりも威圧を放つ人物がいた。
背もたれに体を預け、建物の主より踏ん張り返る一国の王。頭上に煌めく冠は漆黒の宝玉が嵌め込まれている。無精髭を生やし、野心的な目を胡乱に私へ向けた。
「久しいな、勇者の友たちよ」
国王の背後で、学園長と思しき老齢の女性が軽く会釈を行う。
エルドラは臣下の礼を取ることもなく、退屈そうに首を横に振った。
「くだらん社交辞令は時間の無駄だ。要件を言え」
国王に対してあまりに無礼な振る舞いと言葉だが、それすら許されてしまう。勇者御一行には、それほどまでの地位と名誉があるのだ。
「ふふ、なに。盗賊風情が……失礼。魔術に関して基礎教養すらないような者に、魔法学園の特別講師が務まるのかと疑問でな。付け焼き刃の知識で教壇に立たれては、我が国の沽券に関わるのだ」
ちなみに、私は国王に嫌われている。それはもう、蜥蜴の如く。最初に私を盗賊扱いしたのも、何を隠そう国王なのだ。
なるほど、今日は面談と称して国王は私に喧嘩を売りに来たらしい。
私は内心でそう結論づけ、深々と溜息を吐いた。
「講師なんて肩書き、別に欲しくてやってるわけじゃないんですけどね。善意で引き受けてるだけで」
言外に「あなたの許可など必要ない」と含めると、国王の眉がぴくりと跳ねた。実に分かりやすい。
学園長が咳払いをひとつして、場を取り繕うように口を挟む。
「陛下、彼女の実績は既にご存知のはずです。勇者御一行の──」
「その“勇者御一行”という呼び方も気に食わん」
国王は低く唸るように言い切った。
「勇者は一人だ。逃亡を唆した犯罪者と、正体不明の魔術師、野良の神官を一纏めに英雄扱いするのは、勇者への冒涜だろう」
ほう、と私は感心する。
相変わらず解釈が都合いい。
「勇者への冒涜を騙る前に、謝罪が先でしょう」
「減らず口を」
「事実確認してるだけです。結果として魔王は討たれ、国は滅びなかった。勇者は帰還し、民は救われた。なのに手段だけを切り取って、気に入らないから無効ですって? それ、一国の王が主張するには随分と雑ではありませんか?」
国王の視線が、今度ははっきりと私を射抜いた。
威圧。恐怖。権力という名の重力。
かつての遠藤だったら、きっと息を詰まらせて俯いていただろう。
でも、ここに“勇者”はいない。
「お前は変わらんな」
国王は、どこか苦々しげに言った。
「己の立場も弁えず、王に説教を垂れる。盗賊風情のままで」
「その盗賊に名誉を与えたのは他ならぬ貴方でしょう」
私は笑う。
「今の私は“勇者を誑かした大犯罪者”ではなく、勇者御一行の盗賊です。貴方がそう恩赦を与えた」
エルドラが小さく肩を震わせ、学園長は頭を抱えた。
「……で、本題だけど」
私は話を戻す。
「私が講師に相応しいかどうかを吟味するために、わざわざ面談をこじつけたわけじゃないでしょう。王様が本当に知りたいのは、別のこと」
国王はしばし沈黙した後、ゆっくりと口角を上げた。
「察しがいいな。では単刀直入に聞こう」
彼の視線が、刃のように鋭くなる。
「二年前、どうやって魔王軍を退けた?」
勇者御一行の活躍は、広く世に知られている。
魔王軍幹部を倒した。魔王軍に制圧された都市を解放した。前人未到の迷宮を攻略して、金銀財宝を持ち帰って寄付した……まるで夢物語のように鮮烈で、英雄的な癖に、その手段や中身が欠落している。
目撃談は極めて少なく、当事者は口を噤むからだ。
「その当時、軍を率いていた将が穏健派だっただけですよ。話し合ったら理解してくれました」
私の返答に、国王は顔を一瞬で赤く染める。
「そんな訳がないっ!」
国王の声が石造りの応接室に響く。
「魔王軍だぞ! 交渉など成立するはずがない! 連中は人を喰い、都市を焼き、神を嘲笑う存在だ!」
……ああ、なるほど。
やっぱりこの人、何も知らない。
私は思わず、ほんの少しだけ表情を緩めてしまった。
「陛下」
声は穏やかに。
怒鳴り返す必要はない。理科室で暴れる生徒に向ける教師のトーンだ。
「それ、どこ情報です?」
「……は?」
国王は虚を突かれたように間抜けな声を漏らす。
「魔王軍が人を喰うとか、神を嘲笑うとか。誰が言い出したんです? 神殿? 貴族? それとも、戦争で飯を食ってる連中?」
国王は言葉に詰まる。
否定できないのだ。全部“聞いた話”だから。
「実際に会いましたよ、私たち」
私は淡々と続ける。
「将軍と、その副官と、配下の魔物たち。怖かったです。見た目も種族も文化も違う。でもね」
記憶の中で、あの夜営地の焚き火が揺れる。
「彼ら、めちゃくちゃ疲れてました。補給線はズタズタ、内政は崩壊寸前。上からは“敵を阻止しろ”って命令だけが降ってくる。兵士が足りないから、まだ狩りすら知らない幼子を戦場に連れ出していた。理由も目的も分からないまま」
「……戯言だ」
「戯言かどうか、判断する前に質問していいです?」
私は一歩、玉座に近づく。
「陛下。二年前、あなたの軍は“何のために”展開していたんです?」
「それは……迫り来る魔王軍を討伐するために──」
「違う」
私は首を振る。
「あなたの軍が、魔王を刺激した。それが魔王軍結成の答えです」
空気が、ひやりと冷える。
「戦争ってね、陛下。全員が悪人で始まるわけじゃないんですよ。むしろ大半は、“止め方を知らない普通の連中”で出来てる」
国王の表情が、怒りから困惑へと移ろぐ。
「私たちは、剣を振る前に話しました。相手の要求を聞いて、こちらの条件を提示して、妥協点を探した」
私は指を一本立てる。
「結果。彼らは撤退しました。だって、侵攻を続ける理由がなかったから」
「……勇者は?」
国王が、低く問う。
「勇者は、隣で黙って立ってました」
私は少し笑う。
「剣を抜かなかった。それだけで、交渉の場に立てたんです。あれ、すごい才能ですよ。“殺さない選択を取れる英雄”って、物語だと大抵途中で死ぬ役回りですから」
エルドラが腕を組み、面白そうに頷いた。
学園長は、静かに目を閉じている。
「……つまり」
国王は、絞り出すように言った。
「武力ではなく、対話で退けたと?」
「正確には」
私は言い直す。
「武力を振るわなくても済む状況を、全員で作った。勇者一人じゃ無理でしたよ。だから“勇者御一行”なんです」
沈黙。
長く、重い沈黙。
やがて国王は、深く息を吐いた。
「……それが、民に知られれば」
「困りますよね」
私は即答する。
「“勇者が剣を振るわなくても世界は救えた”なんて話、都合が悪い人が多すぎる」
王権、神殿、軍部、貴族。
英雄譚に寄生している連中の顔が、頭に浮かぶ。
「だから、詳細は伏せられた。勇者御一行は、戦って勝ったことになった」
私は肩をすくめる。
「私たちは黙ってました。だって、どうでもよかったので。魔王と戦うつもりなんてなかったんですよ、あの時の私たちは。迷宮を攻略して、金銀財宝に目を輝かせる……ありふれた冒険者らしい、目的でしょう?」
国王は、しばらく私を見つめていた。
威圧でも敵意でもない、評価の視線。
「……やはり、お前は危険だな」
彼は、そう結論づける。
「褒め言葉として受け取っておきます」
私は軽く頭を下げた。
「で、陛下。これで疑問は解けました?」
「一つだけ残っている」
国王は、ゆっくりと立ち上がる。
「お前に戦闘能力はないはずだ。魔力の量も、属性も、およそ戦闘向きではない」
国王は自らの手で、部屋の外に通じる扉を開けた。
扉の前に立つのは側近に囲まれた王太子。血の繋がりを思わせる太い眉に慇懃無礼な睨め付ける眼差し。敵意を隠そうともしない表情を浮かべる、二十歳ほどの男性だ。
「故に、我が息子リチャードと実践形式で能力がある事を証明してほしいのだ」
エルドラが鼻で笑ったのが聞こえた。
どうやら国王の要望は、エルドラが想定していた中でも最も悪手なものだったらしい。私もそう思う。
恐らく、国王の中ではリチャード王太子が勝つ算段があるのだろう。勇者御一行のメンバーに勝てたという話は、社交界でそれなりに持て囃されるに違いない。
しかし、気づいていないのだろうか。
喧嘩っ早い権力者の一族が、これからの時代に求められていないという事を。
視野狭窄に陥った権力者ほど厄介なものはない。
……勇者御一行は権威を嫌う。
こういった見せしめ染みた“お披露目”やら“訓練”やらに付き合わされる、こちらの身にもなってほしいものだ。
「ユアサ、相手は王太子殿下だ。手を抜く事は礼を失する行為だ。全力で相手をしてやってほしい」
そして、エルドラはわざわざ私にこう言った。
「おーけい、了解。全力で頑張る!」
なので、私もガッツポーズを彼に見せながら宣言した。
さあ、どうやって王太子に勝とうかな。




