第95話 選ぶための条件
朝の光が、麦猫堂の床に細く差し込んでいた。
エリは開店前の店内で、
いつものようにパン籠を整えていたが、
視線はときどき宙を彷徨っていた。
(選ぶか、選ばないかじゃ……足りない)
連合の催事。
出るか、出ないか。
それだけの話だったはずなのに、
世界はすでに「待たない」と言っている。
◇ ◇ ◇
「エリ、手、止まってるよ」
ハンナの声に、はっと我に返る。
「ご、ごめんなさい」
「考えごとかい?」
少しだけ迷って、エリは頷いた。
「……催事のこと」
ハンナは何も言わず、
パンの並びを直しながら耳を傾ける。
「出るかどうか、まだ決めてないのは変わらないんです。
でも……昨日、分かったことがあって」
「ほう」
「出ない、って言っても、
何もしないままではいられない。
それなら……」
エリは、言葉を探す。
「どういう形なら出られるのか、
自分で決めないといけないんだって」
ハンナは、ふっと息を吐いた。
「やっと、そこまで来たか」
◇ ◇ ◇
午前の合間。
店の奥で、エリは帳簿を広げた。
売上、仕込み量、体力。
納品との両立。
(条件……条件……)
頭の中で、浮かんでは消えていく。
(全部を欲張ったら、きっと壊れる)
エリはペンを取り、
小さく、しかしはっきりと文字を書いた。
・麦猫堂の通常営業を優先すること
・納品を減らさないこと
・私一人で背負わないこと
そして――
少しだけ迷ってから、もう一行。
・「見せ物」にならないこと
書き終えた瞬間、
胸の奥で何かが、すっと落ち着いた。
◇ ◇ ◇
「いい顔ですね」
静かな声に、顔を上げる。
セシルが、いつの間にか立っていた。
「条件を……考えてました」
「出るための、ですか」
「はい。
出るかどうかより……どう出るかを」
セシルは、紙を一瞥し、頷いた。
「現実的です。
特に最後の一行は」
「……やっぱり、変ですか」
「いえ」
セシルは即座に否定した。
「あなたらしい」
エリは小さく笑った。
「私、前は……
決められた条件の中で、
どう生きるかしか考えてなかった」
「ええ」
「でも今は……
自分で条件を出してもいいんだって、
初めて思えたんです」
セシルは、ゆっくりと言った。
「それが、主導権です」
◇ ◇ ◇
夕方。
店を閉める頃。
エリは、昼に書いた紙を折りたたみ、
胸元にしまった。
(まだ……答えは出してない)
でも、以前とは違う。
(選ばされるんじゃない。
選ぶための準備をしてる)
その自覚が、
足元をしっかり支えていた。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目 内容 金額
収入 店頭販売(通常) +22
収入 店舗手伝いの取り分 +20
合計 +42
借金残高 21,830 → 21,788リラ
セシルの一口メモ
条件を考え始めた時点で、
受け身ではなくなっています。
選択とは、
自分の守りたいものを言葉にすることです。




