第90話 正式な呼び出し
翌朝。
麦猫堂の扉が開くより早く、控えめなノック音が響いた。
「……こんな時間に?」
ハンナが怪訝そうにしながら扉を開けると、
そこには濃紺の制服を着た文官が立っていた。
「商人連合より参りました。
エリシア・リースフェルト様は、こちらに?」
その名を聞いた瞬間、
厨房の空気がわずかに張りつめる。
「……私です」
エリが一歩前に出ると、
文官は淡々と書状を差し出した。
「準会員エリシア様へ。
本日午後、連合第四席執務室までお越しください」
「午後……今日、ですか」
「はい。内容は口頭にて、とのことです」
それだけ告げると、文官は一礼して去っていった。
◇ ◇ ◇
扉が閉まったあと、
しばらく誰も言葉を発しなかった。
「……来たね」
ハンナが低く言う。
「ええ」
セシルが短く頷いた。
エリは胸の奥を押さえた。
(正式な呼び出し。
偶然じゃない)
「悪い話、かな」
「まだ分かりません」
セシルは落ち着いた声で答える。
「ただ、今の状況を考えれば、
無関係ではないでしょう」
「私の過去……?」
「それも含めて、です」
エリは小さく息を吸った。
(逃げないって、決めた)
◇ ◇ ◇
午前の営業は、静かだった。
噂好きの客も、
今日は妙に遠慮がちだ。
(もう、街にも伝わってるのかも)
そんな思いがよぎる。
「エリ」
ハンナが声をかけた。
「行ってきな。
店のことは気にしなくていい」
「……ありがとう」
「ちゃんと話して、
ちゃんと戻ってくるんだよ」
その言葉に、胸が少し軽くなる。
◇ ◇ ◇
昼前。
身支度を整え、
エリとセシルは連合へ向かった。
石造りの建物は、
いつもより重たく見える。
「セシル」
「はい」
「もし……
何か良くない話だったら」
「その時は、その時です」
きっぱりと言い切る声。
「エリが積み上げてきた事実は、
誰にも消せません」
その一言が、背中を支えた。
◇ ◇ ◇
連合の執務棟に入ると、
受付の職員が静かに案内する。
「第四席、こちらです」
重厚な扉の前で足が止まる。
中から、落ち着いた声が聞こえた。
「入ってください」
エリは一度だけ深呼吸し、
扉を開いた。
そこに待っていたのは、
監督官アークと、
見慣れないもう一人の人物だった。
(……誰?)
新たな局面の気配が、
はっきりと立ち上がっていた。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目|内容金額
収入|午前の店頭販売(控えめ)|+14
収入|店舗手伝いの取り分|+20
合計||+34
借金残高:21,950 → 21,916リラ
セシルの一口メモ
正式な呼び出しは、脅しではありません。
整理と選別の場です。
恐れるべきは内容ではなく、
向き合わないことです。




