第83話 評価されるのはパンだけじゃない
朝の麦猫堂は、いつもより少し静かだった。
客足が落ちたわけではない。
むしろ安定している。
それなのに、空気が張りつめているように感じるのは――
エリ自身の心が、昨日とは違う場所に立っているからだった。
(評価される……内側からも)
パンを並べながら、
エリはふと視線を上げる。
いつもなら、焼き色や配置に集中しているはずなのに、
今日は無意識に周囲を見ていた。
「エリ、集中しすぎだよ」
ハンナが苦笑する。
「……ごめんなさい」
「いや、悪い意味じゃないさ」
ハンナは肩をすくめた。
「考える顔になってるってだけ」
エリは小さく息を吐いた。
「昨日、商人連合の人が来たでしょう。
あれから、なんだか……見られてる気がして」
「そりゃあ見られるさ」
ハンナは即答した。
「今までの倍は」
「倍……」
「売り上げだけじゃない。
誰が焼いてるか。
誰が店に立ってるか。
どんな態度で商人と話すか」
ハンナはエリを見る。
「エリ、あんたは今、
パン屋の娘としてじゃなく、
ひとつの責任ある作り手として見られてる」
胸の奥が、少しだけ重くなる。
「……私、ちゃんとできてるかな」
「できてるかどうかは、他人が決める」
ハンナはそう言ってから、
優しく続けた。
「でも、誤魔化してないかどうかは、自分が一番知ってるだろ」
エリは答えられなかった。
その沈黙自体が、答えだった。
◇ ◇ ◇
昼前。
店の前に、見慣れた文官服が現れた。
昨日とは別の人物。
だが、立ち方と視線で分かる。
商人連合の人間だ。
「麦猫堂の状況確認に参りました」
名乗りは簡潔だった。
必要以上の雑談はない。
「本日は、販売の流れと在庫管理を拝見します」
「どうぞ」
セシルが一歩前に出る。
文官の視線が、店内を一巡する。
棚、帳簿、作業台、そしてエリ。
(やっぱり……見られてる)
パンを手渡す動作一つで、
背筋が伸びる。
丁寧に。
いつも通りに。
自分に言い聞かせながら、
エリは接客を続けた。
◇ ◇ ◇
文官が帰ったあと、
エリは思わず息を吐いた。
「……疲れた」
「自然な反応です」
セシルが言う。
「評価とは、見られる側の消耗を伴います」
「でも……嫌じゃなかった」
エリは自分でも驚いた。
「怖かったけど、
ちゃんとやり切ったって思える」
セシルは、静かに頷く。
「それが重要です」
「セシル」
「はい」
「私、パンだけじゃなくて、
自分も一緒に育てていかなきゃいけないんだね」
その言葉に、
セシルの目がほんの少し柔らかくなる。
「ええ。
ですが、エリはすでに歩き始めています」
エリは、カウンター越しに店内を見渡した。
小さな店。
変わらない香り。
変わり始めた立場。
(それでも、ここは私の場所だ)
その確信が、
胸の奥で静かに形を持った。
本日の収支記録
項目 内容 金額
収入 店頭販売(安定) +25
収入 店舗手伝いの取り分 +20
合計 +45
借金残高:22,621 → 22,576リラ
セシルの一口メモ
評価とは、変えられるものではありません。
積み重ねによって、自然と形作られるものです。




