第61話 静かに潜む、風の気配
貴族街の午後は、どこか不自然な静けさをまとっていた。
整えられた庭園の間を抜ける風は軽やかなのに、
街の空気は妙に重たく、視線のようなものが背後にまとわりつく。
(なんだろう……この感じ)
エリは、胸の奥に小さなざわつきを抱えながら歩いていた。
今日のクレアル邸への納品は無事に済んだ。
アンナの受け取りも丁寧で、奥様ルチアにも問題はなかった。
それでも帰り道でふと感じた違和感が、足を鈍らせていた。
「エリ。足が止まっていますよ」
隣のセシルが静かに声をかける。
「あ……ごめん。なんか……」
「違和感、でしょう?」
セシルが言うと、エリは驚いて目を向けた。
「分かったの?」
「ええ。この空気は、街に妙な噂が流れている時に似ています」
「……噂……」
エリの胸が少し縮こまる。
「セシル。今日のルチアさんの言葉……覚えてる?」
「もちろんです」
セシルは淡々としていた。
「できれば、しばらく目立たぬようにしていただきたい。
納品も、丁寧に。しかし静かに」
「……うん。その言葉が、なんか……胸に残ってて」
エリは胸に手を当てた。
「私が変に目立つと、何か良くないことが起こるみたいで……」
「エリ。胸のざわつきは、危機を知らせる鐘です」
セシルの声は静かだが、どこか鋭かった。
「だからこそ、今日は遠回りして帰りましょう。
不自然に見えない程度に、ですが」
「……分かった」
エリは頷いたが、不安は消えない。
(何が……来てるんだろう)
足取りは自然に、しかし心は荒い波のように揺れていた。
◇ ◇ ◇
貴族街の外れに差しかかった頃だった。
「……やはりな」
セシルが小さくつぶやき、エリの腕をそっと引いた。
「えっ……?」
「エリ、こちらへ」
その声は落ち着いているのに、どこか切迫感があった。
二人が曲がった先の道。
そこに、誰かが立っていた。
フードはかぶっていない。
だが、昨日の影と同じ、冷たい目をした男だった。
「また……!」
エリは思わず息を呑む。
男はこちらをじっと見つめ、ゆっくりと言った。
「やはり……リースフェルト家の娘だな」
その言葉が、鋭い刃のように胸に食い込んだ。
(どうして……どうして私を……)
セシルが一歩前に出る。
「ご用件を伺いましょう。
ですが、彼女に狼藉を働くつもりならば……その先はありません」
男の口元に薄い嘲笑が浮かんだ。
「物騒だな、元執事殿。
ただ……少し話をしたいだけだ」
「話……?」
エリの声は震えていた。
「ご安心ください、エリ。後ろに下がって」
セシルがそっとエリを庇う。
男はその様子を見て、薄く笑った。
「心配するな。
お前に危害を加えるつもりはない――今のところはな」
ぞくりと、背筋を冷たいものが走った。
(この人……何を知ってるの……?
どうして私を……)
セシルの目が鋭く光る。
「場所を変えましょう。
ここは人目があります」
男は肩をすくめた。
「いいだろう。だが――逃げるなよ、娘」
エリは息を飲む。
(逃げたい……でも、逃げられない)
セシルの手がそっと背中に触れ、安心を与えるように支えてくれた。
「大丈夫です。必ず守ります」
その声だけが、今のエリを支えていた。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目内容金額
収入※本日は納品のみで店頭売上なし0
収入店舗手伝いの取り分(最低保証)+10
合計+10
借金残高22,560 → 22,550リラ
セシルの一口メモ
静寂の中にこそ、影は潜みます。
気づいたということは、それだけで大きな前進です。
どうか、恐れずに。ただし気は抜かず。守り抜く準備は整っています。




