第54話 セシルの決意と、静かな守り
翌朝の麦猫堂は、いつもより少し早い緊張感に包まれていた。
夜明けの光が薄く差し込み、生地の湯気がふわりと立ちのぼる。
(今日も……普通に始められる。
それだけで、ちょっと安心する)
エリは心の中でそう呟き、こね台に向かった。
「エリ、いい手つきだよ」
ハンナが目を細める。
「はい……昨日より落ち着いてます」
「うんうん。それでいいさ。怖さはあって当たり前だよ。
大事なのは、それで止まらないこと」
「……はい」
その言葉が胸に沁みた。
◇ ◇ ◇
開店準備が一段落したころ、
セシルが店の裏口から静かに戻ってきた。
「見回り、終わりました。今のところ不審な影はありません」
「ありがとう、セシル!」
エリがほっとした表情を浮かべる。
すると、セシルは少し視線を落としたまま口を開いた。
「エリ。これを」
差し出されたのは、小さな革袋。
触ると中に細い金属が入っている感触がした。
「これ……?」
「音鳴り石の護符です。袋を握って力を入れると音が鳴ります。
外には聞こえにくいですが、私には届きます」
「そんな……わざわざ……」
「わざわざではありません。必要だからです」
セシルの声は静かだったが、強さがあった。
「あなたが外に出る時、もし危険を感じたらすぐに握ってください」
「でも……セシルがそんな……」
「守りたいのです。あなたを」
その言葉に、エリの胸が一気に熱くなる。
「……守られるだけじゃ、だめだよね」
エリがぽつりと呟くと、セシルは首を横に振った。
「違います。役割が違うだけです。
エリはパンを作り、人に届ける。
私はその邪魔を排除する。それだけです」
「……セシル」
淡々とした口調なのに、言葉の奥にある決意が強く突き刺さる。
(セシルは……やっぱり、優しい。
優しいだけじゃなくて……強いんだ)
◇ ◇ ◇
昼時。
店内はいつも通りのにぎわいを見せ、エリも自然と笑顔が増えた。
「エリちゃん! あの朝食のパン、ほんと美味しかったよ!」
「また買いに来るね!」
貴族街での評判が街にも広がっているらしい。
嬉しさと同時に、ほんの少しだけ緊張が胸をよぎる。
(みんなが期待してくれる……それは、怖いけど……嬉しい)
「エリ、午後は少し休憩しましょう」
セシルが言う。
「でも、お客さん……」
「大丈夫です。午後の仕込みは私が少し手伝います。
休むことも働くうちです」
「……うん」
席に座ると、ようやく呼吸が整った。
◇ ◇ ◇
休憩中、ふとエリは昨日の影の言葉を思い出した。
「ねえ、セシル……」
「はい」
「私のこと、また誰かが探してるのかな」
セシルは少しの沈黙の後、静かに答えた。
「……可能性はあります。
ですが、あなたを傷つけさせるつもりはありません」
「でも……もし迷惑がかかったら……」
「エリ」
セシルが真っすぐに見つめる。
「あなたが生きたい場所で生きることを、迷惑とは言いません。
それは、誰にも否定できません」
「……!」
エリは胸にじんと熱が溜まるのを感じた。
(私……ずっと、自分が迷惑だと思ってたのに)
「だから、恐れずに。
影は私が払います。あなたは前を向いていてください」
「……はい」
エリは、しっかりと頷いた。
◇ ◇ ◇
午後、風が少し強くなった。
エリは護符の革袋をそっと触る。
(大丈夫。
私はここで、生きていく。
そして……守ってくれる人がいる)
心はまだ揺れる。
けれど揺れながらでも、一歩ずつ進める。
エリは窓越しに、店の看板を見つめた。
(麦猫堂……私の場所)
静かに、けれど確かに胸が温かくなった。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目 内容 金額
収入 店頭販売(通常) +22
収入 店舗手伝いの取り分 +20
合計 +42
借金残高 22,635 → 22,593リラ
セシルの一口メモ
恐れは消すものではなく、抱えながら進むものです。
それを支える手があることを、忘れないでください。




