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第48話 奥様ルチアが語る選んだ理由

玄関ホールは白を基調とした広い空間で、

 静けさの中に気品が漂っていた。


 奥へ続く大階段の手前で、

 一人の女性がゆっくりと歩み寄ってくる。


 金色の柔らかな髪、

 飾り気のない薄い青のドレス。

 派手さはないのに、存在そのものが上品だった。


「ようこそお越しくださいました。

 クレアル家のルチアと申します」


 エリとセシルは礼をとった。


「麦猫堂の者でございます。

 この度のご依頼、誠にありがとうございます」

 セシルが落ち着いた声で言う。


 ルチアは微笑んで頷いた。


「こちらこそ。

 私は、あのパンを気に入っております。

 そして、作り手にも興味を抱きました」


 その言葉に、エリは少し身を固くする。


「お名前を、伺ってもよろしいかしら」


「え、えっと……エリ、と申します」


「セシルと申します」


 ルチアは二人の顔を、静かに、丁寧に眺めた。

 その眼差しは決して値踏みするものではなく、

 むしろ相手の心を覗くように穏やかだった。


「エリさん。

 あなたが、出張販売で接客してくれたのですね」


「はい……少しだけ……」


「あなたの声と仕草が、とても優しかったと聞きました」


「わ、私……?」


「いえ、過剰な飾りではありません。

 ただ、丁寧に向き合おうとする気持ちが伝わったのだと思います」


 褒められているのに、

 胸の奥にじんわり温かさと痛みが混ざる。


(昔の私は……あんなふうに誰かに褒められたこと、あったかな)


 ふと過去の影が揺れた。


 その気配に、セシルがわずかに視線を寄せる。


   ◇ ◇ ◇


「それに……」

 ルチアは続けた。


「陽だまりパンは、温かさのある味です。

 食べた人がほっと息をつくような……

 そんな優しい香りがしました」


「それは……ハンナさんや、みんなのおかげで……」


「いいえ。

 最後に形を整え、想いを込めるのは作り手です」


 エリの指先がかすかに震えた。


 ルチアの言葉は優しいのに、

 どこか見透かされているようで、胸がざわつく。


(私……そんなふうに見えるのかな。

 逃げてばかりだった私が……)


   ◇ ◇ ◇


「エリさん」

 ルチアはそっと微笑んだ。


「もし、あなたがよければですが……」


 エリは息を呑む。


「陽だまりパンを、家族の朝食の定番にしたいのです。

 毎日でなくてかまいません。

 週に二度ほど、お願いできますか」


「え……」


「もちろん、量や日程は調整いたします。

 無理を言うつもりはありません」


 胸が大きく揺れた。


(こんな私に……そんな言葉を……)


 エリは、かつての貴族社会の冷たい視線と、

 今日目の前にいる淑やかな奥様の優しい眼差しを比較して、

 胸の奥がきゅっと締めつけられる。


「……私で、いいんでしょうか」


 思わずこぼれた弱い声。


 ルチアは軽く首を振って言った。


「あなたでなければ、頼みません」


 その一言は、

 まるで新しい朝が差し込むように胸へ染み込んだ。


   ◇ ◇ ◇


「セシルさん」

 ルチアが視線を向ける。


「あなたの所作は、軍務についていた方のように見えますね。

 護衛の心得もお持ちなのでは」


「いささか……」


 セシルの返事はわずかに低い。


 ルチアはそれ以上は問い詰めなかった。

 ただ優雅に微笑むだけ。


「二人は、とても良い空気を持っています。

 この依頼は、私のささやかな楽しみにもなるでしょう」


 その言葉を残し、ルチアは静かに踵を返した。


「アンナ。

 お二人を門までお見送りして」


「かしこまりました」


   ◇ ◇ ◇


 屋敷を出て門が閉まった瞬間、

 エリは大きく息を吐いた。


「すごい人だった……

 なんか、空気が綺麗な感じの……」


「上に立つべくして立っている方は、ああいうものです」


 セシルが淡々と言う。


「でも……ちょっと怖かった?」


 問いかけると、セシルは一瞬だけ視線をそらした。


「……いえ、少しばかり、驚いただけです」


「本当に?」


「本当です」


 嘘ではないようだが、何かを隠している気配がした。


(セシルにも、あの奥様には感じるものがあったのかな)


 そんな思いが胸に残るまま、

 二人は麦猫堂へ向かって歩き出した。


   ◇ ◇ ◇


本日の収支記録

項目内容金額リラ

収入店頭販売(通常)+20

収入店舗手伝いの取り分+20

合計+40

借金残高22,853 → 22,813リラ


セシルの一口メモ

視線には、言葉以上の力があります。

丁寧に向けられた一つの眼差しが、

道を照らすこともあるのです。

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