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第38話 焦りとすれ違い

三日目の朝。

 陽だまりパンを焼く手は、昨日より速く動いていた。


(今日は……絶対に達成する)


 胸の奥では焦るほどに火が強まる。


「エリ、休憩しながらやりなよ」

 ハンナが心配そうに言う。


「大丈夫です。今日は遅れられないから」


 乾いた返事しか出てこなかった。


   ◇ ◇ ◇


 城下の広場。

 昨日よりさらに声が増えている。


「肉パイ、熱々だよ!」

「焼き菓子はどうだい!」


 賑やかさが、私の声を飲み込む。


「陽だまりパンです! 焼きたてです!」


 しかし、足を止める人は少ない。


(なんで……昨日より落ちてるの……)


 籠を抱え続ける腕が、重たい。


   ◇ ◇ ◇


「エリ」


 セシルが横に並ぶ。


「少し場所を移りましょう。

 大通りに近い方が……」


「セシルは、自分の方で売ってきて」


「ですが」


「私、一人でできるから!」


 自分でも驚くほど強い声だった。


 セシルがわずかに目を見開いた。


「……分かりました。

 ですが無理は――」


「無理しなきゃ数字は動かない!」


 言ってしまった。

 セシルの言葉を遮って。


 周囲が一瞬静かになったような気がした。


 セシルは短く息を吐き、

 静かに頭を下げた。


「承知しました。

 お気をつけて」


 その背中が離れていく。


(違う……)


 胸がぎゅっと痛む。


(セシルに怒ったんじゃない……

 焦ってるのは、私自身なのに)


   ◇ ◇ ◇


 午後の光が斜めに差し込む。

 籠のパンはまだ三分の一残っている。


(このままじゃ……)


 声を張るたび喉が掠れる。

 足は重く、思考はどんどん狭くなる。


(数字が……数字が……)


 その時。


「エリ」


 背後から、静かな声。


「少し、休みましょう」


 セシルだった。

 短い言葉なのに、

 なぜか崩れ落ちそうになった。


「休んでる暇なんてないよ!」


「休まなければ、倒れます」

 セシルの声は少し荒かった。

「倒れたら、全てが止まります」


「…………」


 何も言い返せなかった。


「数字を挙げることは重要です。

 ですが、数字のために自分を失っては……」


「やだ……言わないで……」

 言葉が震えた。


「私は、エリを壊したくない」


 その声は、苦しいほど真剣だった。


(ああ……私、間違ってた)


 数字を掴むことばかりに必死になって、

 一番大事なものを見落とすところだった。


「……ありがとう、セシル」

「すみません。強く言いすぎました」


 視線がぶつかり、

 二人でふっと息を吐く。


(私は一人じゃない。

 絶対に一人じゃない)


   ◇ ◇ ◇


「よし。もう一度行こう」

 力を取り戻して、声を上げる。


「陽だまりパン、焼きたてです!」


 焦りではなく、今度は前へ進む力で。


   ◇ ◇ ◇


本日の収支記録

項目内容金額リラ

収入陽だまりパン販売(出張三日目前半)+25

収入通常営業取り分(少量)+10

合計+35

借金残高23,211 → 23,176リラ


セシルの一口メモ

焦るほど、心は見えなくなります。

だからこそ、立ち止まる勇気が必要なのです。

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