第37話 目に見えない壁
二日目の朝は、不安より期待が勝っていた。
(今日も五十を売れたら、期限前に達成できる)
そう思うと、陽だまりパンの香りが
いつもより明るく感じられた。
「エリ、今日も頑張ろう」
ハンナが笑う。
「はい!」
私は胸を張って店を飛び出した。
◇ ◇ ◇
まず向かったのは、昨日手応えのあった貴族街。
「陽だまりパン、焼きたてです!」
しかし。
「今日はもう間に合っているの」
「昨日買ったからいいわ」
断られる声が増えていた。
(どうして……)
同じ情熱で声を張っているはずなのに、
昨日と空気が違う。
「街角販売なんて、品がないわ」
背後で囁かれた言葉が、
ひやりと心を突いた。
(数字を出した途端、見方が変わるの……?)
◇ ◇ ◇
気を取り直して城下へ移動する。
「陽だまりパンはいかがですか!」
けれどそこには、昨日なかった屋台がずらり。
「安いよ! 肉パイだよ!」
声が重なり、
陽だまりパンの居場所がなくなっていた。
「競合が増えたか……」
隣のセシルが低く呟いた。
「競合……?」
「お嬢様が売り上げを伸ばした影響でしょう。
市場は敏感です」
(成功すれば……敵もできる)
胸がぎゅっと締め付けられる。
◇ ◇ ◇
「さて、今日はどれほど売れたかな」
涼やかな声が背後から落ちた。
アーク。
監督官が現れた。
「ちらほら見ていたが……
昨日より売れ行きが落ちているな」
冷たい事実を突きつけられる。
「ですが、まだ昼前です。
これから挽回します」
私は強く言った。
「意気は良い。だが意気だけでは世界は動かぬ」
アークは通り過ぎながら囁く。
「数字の壁はどこにでもある。
そしてその壁は、誰にも代わりに破れない」
その言葉が、背中に刺さった。
(誰にも……代わりに破れない)
セシルは隣にいる。
ハンナも、ベンさんも助けてくれた。
たくさんの人の支えがある。
だけど――
(数字を掴むのは、私自身の声と手だ)
(セシルが支えてくれても、前に出るのは私)
覚悟が、胸の奥で固まっていく。
◇ ◇ ◇
午後の光が傾く頃。
籠は朝より少し軽くなっただけ。
「エリ」
セシルが見つめていた。
その目には焦りが滲む。
「焦らなくていい。
ただ、諦めないでください」
「うん」
深く息を吸う。
声を張る。
「陽だまりパン、焼きたてです!」
掠れた声でも構わない。
数を動かすのは――私だ。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目内容金額
収入陽だまりパン販売(出張二日目)+30
収入通常営業取り分(少量)+8
合計+38
借金残高23,249 → 23,211リラ
セシルの一口メモ
数字には波がある。
沈む時こそ、立ち続けなければなりません。




