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第32話 待つという時間

商人連合での査定が終わって二日が経った。

 結果はまだ届かない。

 朝が来るたび、そのことが胸のどこかをざわつかせる。


「エリ、焦ってもしょうがないよ。

 連合は返事が遅いんだから」


 ハンナの言葉に、私は苦笑するしかなかった。


「はい……」


 でも、気になって仕方がない。

 合否がどうであれ、きっと私の人生は変わる。

 その変化を、素直に楽しむにはまだ勇気が足りなかった。


   ◇ ◇ ◇


 陽だまりパンの注文はいつも通りある。

 お屋敷から、商人連合の職人から、近所の家族連れから。


(いつも通り……だけど)


 ひとつひとつ作るたび、

 昨日までよりも自分に厳しくなっていくのを感じた。


「エリ」

 仕込みが終わったころ、セシルが声をかけてきた。

「少し休まれては」


「大丈夫……です。まだ焼く分が残ってるし」


「お嬢様が倒れれば、それ以上は焼けなくなります」


 冷静な声。

 けれど、その奥にある焦りを私は見逃さなかった。


(セシル……私に気を遣ってるの?)


 ただ支えてくれているだけじゃない。

 彼の中にも何かが揺らいでいる。


「セシルは……どうだった?」


「どう、とは」


「査定の時。

 何か……気になることがあったんじゃない?」


 審査長ルーベルトの顔と、

 あの時のセシルの鋭い視線が脳裏に浮かぶ。


 セシルはわずかに目を伏せた。


「……別に、何も」


 その返答は、嘘の匂いがした。


「呼び出しは……最近どう?」


「今はありません」


「でも、またあるんでしょ?」


 セシルの肩が小さく揺れた。


「……その話は、今は」


 言いかけて、飲み込む。

 沈黙が、答えを雄弁に物語っていた。


(やっぱり……何かある)


 けれど、追い詰めたくなかった。

 セシルは私を守るために、秘密を抱えているのだから。


「……分かった。言いたくなったら言ってね」


 そう返すと、セシルは驚いたように目を上げた。


「お嬢様……」


「私は信じてるから。

 セシルがそばにいてくれる限り、大丈夫だって」


 セシルは、数秒だけ言葉を失っていた。


 そして――


「ありがとうございます」


 その声は、少し震えていた。


   ◇ ◇ ◇


 夜。

 結果はまだ届かない。


 宿へ帰る道で、私は空を見上げた。

 雲の切れ間から、細い月が覗いている。


「怖いな……」


 呟きが夜風に溶けた。


 でも、次の瞬間。


「お嬢様」


 少し前を歩いていたセシルが、振り返った。


「私は必ず、お嬢様の隣におります。

 たとえ何があろうとも」


 その言葉は、夜の中でひときわ強く響いた。


(ありがとう。セシルの言葉に、どれだけ救われたか)


 結果はまだ分からない。

 明日も変わらずパンを焼く。

 その繰り返しの先に、きっと答えがある。


   ◇ ◇ ◇


本日の収支記録(第32話)

項目内容金額リラ

収入通常営業の日給+25

収入陽だまりパン指名依頼(小量)+10

合計+35

借金残高23,449 → 23,414リラ


セシルの一口メモ

お嬢様が前を向こうとしている限り、

私が迷う理由はありません。

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