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第30話 査定開始

重厚な扉の向こうから、足音が響き始めた。

 一歩、二歩、規則的でありながら緊張感を帯びた音。


(来る……)


 喉の奥がきゅっと締まる。

 胸の鼓動が耳に触れるほど大きくなった。


 扉が開き、三人の人物が静かに入室した。


 最初に入ってきたのは、恰幅の良い白髪混じりの男性。

 半ば鋭い視線を持つが、どこか穏やかな気配をまとっている。


「本日の査定役を務める、商人連合第三査定官ギルバートだ」


 低く、よく通る声。


 続いて、細身の女性が歩み出る。

 赤茶の髪をきつく束ね、指先まで神経が行き届いているような雰囲気。


「第一加工部門のオルタと申します。よろしく」


 最後は浅黒い肌に腕の太い、職人然とした男。

 金槌の形をしたバッジを胸につけていた。


「製パン査定補佐のバルド。よろしく頼む」


(職人……!)


 視線だけで判断されてしまいそうな鋭さに、背筋が伸びる。


 ギルバートが机の前に立ち、淡々と言った。


「本日の査定は簡潔だ。

 君が焼いた三種のパンを我々が試食し、

 技術、味、独自性の三点から評価する」


「……はい」


 声が震えたが、なんとか絞り出すことができた。


「まずはこれだな」

 ギルバートが銀皿に置かれた陽だまりパンを見つめる。

「見た目は悪くない。一つ頂こう」


 彼がナイフでそっと切ると、断面から柔らかな香りがふわりと広がった。


(息……止めちゃだめ……)


 私は両手を胸の前で組み、ただ祈るように見守る。


 ギルバートはひとかけらを口に運んだ。


 噛む。

 目を閉じる。

 ゆっくりと味わっているようだった。


(ど……どうだろう)


 次にオルタがパンを裂き、口へ運ぶ。

 彼女の細い指が、柔らかさと弾力を確かめるように生地を押す。


「ほう……」


 短い声だが、どこか興味を引かれたような響きがあった。


 最後にバルドが豪快にひとかけをちぎって食べる。


「……」


 無言。

 表情も変わらない。


(わ、分かりづらい……!)


 評価が全然読めない。


   ◇ ◇ ◇


「ふむ」

 ギルバートがパンを皿に戻し、眉をわずかに上げた。

「柔らかい。だがそれだけではない。温度……香り……」


 視線が私へ向いた。


「少し聞きたい。これはどの温度で発酵させた?」


「えっと……気温が低かったので、布を多めに重ねて……

 二十七度くらいを目安に……あ、でも……途中で……」


 うまく言えるか分からない。

 頭が真っ白になりそうで、言葉が喉にひっかかる。


 そんな時。


 背後から、セシルの静かな気配がした。


「エリシア様。落ち着いて」


 その小さな囁きだけで、頭の霧がふっと晴れた。


「……途中で手温を使いました。

 気温との差が大きかったので、少しだけ体温を加えて

 生地の伸びを揃えるために……」


「なるほど」

 ギルバートが深く頷く。

「珍しいが、理にかなっている。

 丁寧に手をかけている証拠だ」


「ほぉ……」

 バルドが腕を組んだ。

「手で温度を調整したか。素人がやれば失敗するやつだが……

 お前さんはちゃんと加減してる」


 オルタも細い指を組みながら言う。


「この柔らかさ、機械では出せないわね。

 悪くないどころか……むしろ美点よ」


(……よかった……!)


 胸の奥でじんわりと温かい何かが広がった。


   ◇ ◇ ◇


「では次に月うさぎパンとミニパンだ」


「はい……!」


 査定が淡々と進んでいく。


 緊張は続くけれど、

 先ほどより呼吸がしやすくなっていた。


 セシルがそばに立っている。

 それだけで、不思議と心が折れない。


(私……ちゃんと立ててる。ここに)


 やがて三種類すべての試食が終わり、

 役員たちが書類に何かを書き込む。


 その瞬間、部屋の扉が再びノックされた。


「失礼いたします。審査長がお見えです」


(……審査長?)


 三人の役員が一斉に姿勢を正した。


「来られたか」

 ギルバートが呟く。


 扉が静かに開いた。


 長身の人物がゆっくりと入室した。

 黒い外套、深い蒼の瞳、洗練された歩き方。


 その空気だけで、部屋の温度が変わる。


「商人連合第四席、

 並びに本日の最終査定を担当する審査長……

 ルーベルト殿である」


 ギルバートが紹介するより先に、

 その人物の視線がまっすぐ私に向いた。


「……君が、エリシアか」


 静かで、深く、どこか探るような声だった。


 息が止まりそうになる。


(この人が……最後の査定役……!)


 緊張の波が押し寄せる。


 セシルは、いつになく鋭い表情でその人物を見つめていた。


(セシル……?)


 その横顔には、驚きでも不安でもない、

 もっと複雑な影が宿っていた。


 私は気づく。


 この人とセシルは――ただの初対面ではない。


   ◇ ◇ ◇


本日の収支記録

項目内容金額リラ

収入通常営業の日給(査定のため半休)+12

収入役員控室へのサンプル提供謝礼+15

合計+27

借金残高23,521 → 23,494リラ


セシルの一口メモ

審査長ルーベルト殿は、商人連合の中でも特に影響力のある人物です。

お嬢様、決して気後れなさりませんよう。

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