表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/51

第25話 セシルが帰ってくる朝

その夜、セシルは結局戻らなかった。


 眠りたいのに眠れず、胸の奥がざわざわしたまま朝を迎えた。


(セシル……どこにいるの。

 本当に、無事なの……?)


 胸の痛みを抱えたまま麦猫堂に向かうと。


「お嬢様」


「……っ!」


 裏口に、セシルが立っていた。


 朝日を背に、静かに頭を下げている。


「遅くなりました。戻りました」


「セシル……っ、よかった……!」


 安堵した途端、目の奥が熱くなった。


 だがすぐに気づく。


(この外套……びしょ濡れ……夜のうちに、何が……)


「セシル、その服……」


「ご心配には及びません。少々、長引いただけです」


「どこに行ってたの……? 何をしてたの?」


 問いかけると、セシルは一瞬だけ目を伏せた。

 その影が、とても深く見えた。


「お嬢様の知る必要はありません」


「でも……」


「心配してくださるお気持ちは、ありがたく頂戴します」


 そう言って微笑んだけれど、それはどこか無理をした笑みだった。

 決して、いつもの落ち着いた優しさではない。


   ◇ ◇ ◇


「エリ、来たね……って、あらあら」


 ハンナはセシルを見るなり、ため息をついた。


「また夜通しだったのかい。顔が真っ青だよ」


「お気になさらず。問題ありません」


「問題ない顔じゃないから言ってんだよ」


 ハンナは手を腰に当て、エリの背中を軽く押す。


「エリ、今日はセシルと一緒に一回休憩しな。

 焼き上げは私がやっとくから」


「でも、私……」


「倒れられたら困るんだよ。あんたも、あの子もね」


 私はセシルの袖をそっと握った。


「行こう……少しだけ」


「お嬢様がそう仰るなら」


   ◇ ◇ ◇


 裏庭の木陰に腰掛けると、朝の風が冷たかった。


「セシル……昨日、何があったの?」


 セシルはすぐには答えなかった。

 風の音だけが静かに流れる。


「お嬢様。私は執事です。

 主人の命には従うべき立場にあります。

 しかし……お嬢様が心配する必要はありません」


「それって、何も教えないってこと……?」


「はい」


 当たり前のように言われてしまい、胸がきゅっと締め付けられる。


「……言ってよ」


 気づいたら、声が震えていた。


「私……心配したんだよ。

 帰ってこないのが、本当に怖かったんだよ……」


 セシルの目が、驚いたように見開かれる。


「……お嬢様」


 呼ぶ声が、いつもよりずっと柔らかかった。


「ご心配をおかけして……申し訳ありません」


「それだけじゃ嫌なの……」


 胸の奥にある、名もない痛みが勝手に溢れ出てくる。


「だって……セシルは、私の……」


 私の……なんだろう。

 言いかけて、言葉が喉で止まった。


   ◇ ◇ ◇


 しばらく沈黙が続いたあと、セシルが静かに口を開いた。


「……私は、エリ様とは別の方に借りがあります」


「別の……?」


「その方の呼び出しだけは、逆らえません。

 どれだけ夜が深くとも、どれだけ遠くても」


 重い言葉だった。


 それだけでは説明できない深さが、彼の声に宿っていた。


「でも、それ以上を語ることは……できません」


 そう言ったセシルの横顔は、痛いほど苦しげだった。


「……分かったよ」


 胸の奥がズキズキしていた。

 けれど、それ以上踏み込んだら、もっと苦しめてしまう気がした。


(セシルにも……抱えているものがある。

 分かってたはずなのに……こんなに、苦しいなんて)


   ◇ ◇ ◇


 休憩が終わるころ、セシルは姿勢を正した。


「お嬢様。私は大丈夫です。

 どうか、必要以上にお気になさらないでください」


「それ……無理だよ」


 思わず零れた言葉に、セシルは少しだけ目を丸くした。


「……困りましたね」


 その微笑みは、とても弱く、

 それでもどこか――優しかった。


   ◇ ◇ ◇


本日の収支記録

項目内容金額リラ

収入通常営業の日給(半日扱い)+15

収入個別依頼なし+0

合計+15

借金残高23,657 → 23,642リラ


セシルの一口メモ

本日分はお嬢様が記録されました。

私は問題ありません。どうかご安心を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ