第24話 夜の気配と、届く知らせ
ヒルダ、クロフォード家、そして町の噂。
陽だまりパンの評判は、静かに、しかし確実に広がっていた。
「今日もいっぱいだねえ」
ハンナが棚を見上げて笑う。
「ありがたいこったよ。エリ、注文の紙、これね」
差し出された紙には、陽だまりパン六個と書かれていた。
(昨日より少し少ない……だけど)
それでも、私個人への指名注文が続くことに変わりはない。
「エリ、いけるかい?」
「はい。作ります」
気持ちを切り替え、生地に向き合う。
もはや陽だまりパンの手順は体に馴染み始め、作業は以前よりずっと滑らかだった。
◇ ◇ ◇
昼前、依頼分を焼き終えたころ。
店の外で聞き慣れた声がした。
「麦猫堂はここかしら」
振り返ると、昨日のヒルダが立っていた。
「ヒルダさん!」
「こんにちは。追加で四個、お願いできますか?」
「はい! すぐに焼きます」
「急ぎませんので、ゆっくりで大丈夫です」
ヒルダは微笑んだあと、続けて小さく付け加えた。
「お嬢様がお友達にも差し上げたいそうで」
(広がってる……本当に、広がってるんだ)
実感が胸の奥にひたひたと満ちていく。
◇ ◇ ◇
午後の仕込みが一段落し、私は粉で白くなった手を洗った。
「ふう……今日もなんとか乗り切った……」
「お嬢様」
セシルが隣にきて、タオルを差し出す。
「ありがとう」
「どういたしまして」
セシルはいつも通りの穏やかな目をしていた。
……はずだった。
(あれ……?)
その瞳の奥に、ほんの小さい、けれど鋭い影が見えた気がした。
「セシル、何かあった?」
「いえ。問題はありません」
「でも……少し、疲れてる?」
「お嬢様こそ、休むべきです。私は大丈夫です」
言い切る声は静かだが、どこか張り詰めている。
聞こうとしたその瞬間――
店の扉が開いた。
「失礼します!」
駆け込んできたのは、小柄な少年だった。
息を切らして、セシルに駆け寄る。
「クロフォード家の方から……伝言です!
至急、お越し願いたいと……!」
店の空気が、ぴんと張り詰めた。
「……分かりました」
セシルはわずかに表情を引き締め、帽子を取って軽く頭を下げた。
「お嬢様。少し席を外します」
「え、ええ。気をつけて」
去っていく背中。
その横顔は一瞬だけ、見たことがないほど複雑な色をしていた。
◇ ◇ ◇
「セシル、大丈夫かね……」
ハンナが腕を組んで呟いた。
「……心配です」
私の胸の奥にも、不安の影がじわりと広がる。
セシルはいつも冷静で、どんな相手にも余計な顔色を見せない。
そんな彼が、今、呼び出しに向かう時だけは、違う目をしている。
(いったい……何があるの?)
その答えはまだ分からなかった。
◇ ◇ ◇
その日の夜遅く。
セシルは戻らなかった。
私は膝の上でそっと手を握りしめた。
(セシル……無事でいて)
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目内容金額
収入通常営業の日給+25
収入陽だまりパン依頼(ヒルダ分・エリ取り分)+12
合計+37
借金残高23,694 → 23,657リラ
セシルの一口メモ
本日は記録なし。
(本人不在のため、エリがページを閉じた。)




