第22話 増えていく注文、増えていく想い
追加依頼の翌朝。
麦猫堂の前では、いつもより早い時間から客がちらほら立ち止まっていた。
「エリさんはいますか」
「昨日のお屋敷の者ですが、相談がありまして」
そんな声が耳に入るたび、胸がざわつく。
「すごいねえ、エリ」
ハンナがにやりと笑いながら声をかけてきた。
「あんた、すっかり評判者だよ。ほら、これ」
差し出された小さな紙には、こう書かれていた。
陽だまりパン八個。
「ま、また……私宛ての依頼なんですか……?」
量ではなく、
自分に向けられた期待そのものに驚いてしまう。
「そうさ。昨日のが大好評だったらしくてね。
他の商品にも注文が来てるけど、それはうちでやっとく。
エリは陽だまりパンだけに集中しな」
胸がトクンと跳ねる。
(また、私が……)
「……やります。全部」
「よし、言うと思ったよ」
◇ ◇ ◇
だが、連日の依頼は決して楽ではなかった。
通常営業の合間に生地を練る。
発酵具合を見極める。
成形を整え、焼き加減を慎重に調整する。
陽だまりパンは柔らかさが命。
ちょっとした湿度や力加減で仕上がりが変わる。
「はあ……はあ……あと三個……」
腕はだるく、息は荒い。
集中が途切れかけたその瞬間、体がぐらりと傾いた。
支えてくれたのは、ひんやりとした手だった。
「お嬢様」
セシルが静かに、しかし確実な力で私の腰を支えていた。
「今のは危険でした。休んでください」
「だ、大丈夫……」
「大丈夫ではありません。指先の震えが止まっていない」
セシルが私の両手を軽く包む。
その温度にふっと力が抜けた。
「休むのも仕事のうちです。少しお茶でも飲んでください」
「で、でも……依頼が……」
「できないことを、できると言い張るのは美徳ではありません」
責めているわけでも叱っているわけでもない。
淡々とした声なのに、その言葉は胸に深く届く。
「……少しだけ、休むね」
「そうしてください」
◇ ◇ ◇
裏の小部屋でお茶を飲み、深呼吸を繰り返す。
気持ちが落ち着いて戻ると、セシルが生地の表面を丁寧に観察していた。
「ごめん……迷惑かけて」
「迷惑ではありません。止めることも私の役目です」
「……役目?」
「お嬢様が倒れたら困りますので。私は止めるためにいます」
「なんか言い方が怖いよ……」
「事実を述べただけです」
そのくせ、どこか柔らかい目をしているのだから、ずるい。
◇ ◇ ◇
午後。
すべての陽だまりパンが焼き上がり、
受け取りに来た屋敷の従者が満足そうに微笑んだ。
「ありがとうございます。お嬢様もきっと喜ばれます」
胸の奥がじんわり温かくなる。
(できた。今日も……できたんだ)
◇ ◇ ◇
閉店後。
「エリ、あんた今日ほんとに頑張ったよ」
ハンナが両手を腰に当てて言う。
「でもね、調子に乗って働きすぎちゃだめだ。倒れたら元も子もないんだから」
「……はい。気をつけます」
「セシル、あんたもありがとね。助かったよ」
「当然のことをしたまでです」
セシルは静かに言うが、どこか誇らしげだった。
「……ありがとう、セシル」
「礼は不要です。お嬢様が倒れては困りますので」
「……そういう言い方は……違う気がするけど……」
本当は分かっている。
言葉よりも、行動の方にこそ彼の想いが出てしまっていることを。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目内容金額
収入通常営業の日給+25
収入陽だまりパン追加依頼料(半割がエリ分)+30
合計+55
借金残高23,796 → 23,741リラ
セシルの一口メモ
働きすぎによる損失は、怠けよりも重いものです。
倒れれば働けない。それが最も避けるべき事態です。




