第19話 「おかえり」と言ってくれる場所
王宮での一件から一夜明け、私はぐっすりと眠っていた。
目覚めた時、まだ胸のどこかに薄い痛みのようなざわつきが残っていたけれど、
心は不思議と軽かった。
「……よし」
気持ちを整え、麦猫堂へ向かった。
◇ ◇ ◇
「エリ、来たね!」
店の扉を開けた瞬間、いつもの明るい声が飛んできた。
「昨日は大変だったみたいだね。ほら、顔にちょっと出てるよ」
「すみません……」
「謝ることないさ。無事ならそれで十分」
その声だけで胸の緊張がほどけていく。
奥ではセシルが仕込みを続けており、私を見ると小さく頷いた。
「お嬢様。よく眠れましたか」
「ええ、多分ね。セシルは?」
「問題ありません。私はああいう場所には慣れていますので」
◇ ◇ ◇
生地をこねていたハンナが、ちらりと私を見た。
「で、あの立派な馬車の相手とは、ちゃんと話ついたのかい?」
「……ついたよ。
言うべきことは、全部言えた」
「それならよかった。
あんたみたいな頑張り屋が、いつまでも胸に穴開けてたらもったいないからね」
「……ありがとうございます」
「礼はいらないよ。働きに来た子は、勝手に家族みたいに思っちゃうのさ。
だからまあ……戻ってきてくれて嬉しいよ」
胸の奥がじんわり温かくなる。
◇ ◇ ◇
昼。パンを並べていると、ハンナが手を叩いた。
「エリ、裏に来な」
「はい?」
裏口の棚の一段に布を敷いた小さなスペースができていた。
「ここ、あんたの場所にしときな」
「私の……?」
「道具でもエプロンでも置いていきな。
毎日頑張って帰るんだろう? 荷物くらい置いていきなっての」
「……ありがとうございます、本当に」
「泣くんじゃないよ。ほら、店戻りな!」
「は、はい!」
◇ ◇ ◇
店に戻ると、セシルが少し意外そうに私を見た。
「お嬢様、すっきりした顔をしていますね」
「うん……なんかね。
ここで、おかえりって言ってもらえた気がしたから」
「そうですか」
セシルは、ほんのわずか表情を緩めた。
「では――改めて。
おかえりなさいませ、お嬢様」
「っ……!」
胸が跳ねる。
「べ、別に帰ってきたわけじゃないし!」
「仕事に戻られたのですから帰還と同じです」
「もう! そういう言い方……!」
顔が熱くなりながら、私はカウンターに向き直った。
でも確かに――
聞こえた気がする。
おかえり。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目内容金額
収入通常営業の日給+25
合計+25
借金残高23,906 → 23,881リラ
セシルの一口メモ
帰り道とは、歩く場所ではなく迎えてくれる人の存在です。




