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第18話 王子の言い訳と、執事の沈黙

北壁にある王宮の私設談話室は、かつて私が何度か招かれたことのある場所だった。

 けれど今は、そこへ向かう足取りも景色も、すべてが遠い世界のように感じられた。


 石畳の廊下を進む途中、セシルが小さく囁く。


「お嬢様、緊張は不要です。

 今日ここに来たのは、呼ばれたからではなく、自分の意思で向き合うためです」


「……分かってる」


 でも、指先はわずかに震えていた。


   ◇ ◇ ◇


 侍従の案内で扉が開く。

 白い窓辺の前に立つ青年がゆっくりと振り返った。


 金の髪、青い瞳。

 第一王子、ユリウス。


 かつては未来を誓い合った相手だった。

 もう、何も感じないと思っていたのに――胸の奥がわずかにざわついた。


「……エリシア」


「殿下。ご無沙汰しております」


 深い礼はしない。もう婚約者ではないのだから。


 ユリウスは気まずそうに視線を逸らした。


「急に呼んですまなかった。

 ただ……どうしても確かめたいことがあった」


「何をでしょうか」


 隣のセシルは、一歩引いた位置で静かに控える。


「君が……本当に麦猫堂で働いているのか」


「はい。働いています。それが今の私です」


 ユリウスの眉が揺れた。


「没落後、どこかへ身を寄せたとしか聞いていなかった。

 まさか君が、自力で働いているとは……」


 胸に刺さる言葉だったが、もう泣かない。


「働くしかなかったから、働いているだけです」


「……すまなかった、エリシア」


 唐突に謝られても、理由の輪郭が曖昧なまま――

 沈黙が落ちた。


「すまなかった、と言われましても。

 殿下が何に対して謝罪されているのか、分かりません」


 私が静かに言うと、ユリウスは苦しげに目を伏せた。


「婚約を破棄したことも、あの夜……君を一人にしたことも。

 本当は、あれは私の意思ではなかった」


 その言葉を、セシルが冷たい声で遮る。


「殿下。

 事情を語る前に、お嬢様に与えた損害だけは明確にしていただきたい。

 式場費用、衣装、招待状、諸経費――王家からの一切の補償もなし」


 ユリウスはセシルを見つめた。

 そこには驚きがあった。


「……君が、エリシアを支えているのか」


「いいえ」

 セシルは静かに首を振る。

「お嬢様ご自身が立っているだけです。私はその隣にいるだけです」


 その言葉に、胸が熱くなる。


 ユリウスの表情がゆっくりと歪む。


「……本当は。

 君の家にかけられた圧力があった。

 私は逆らいきれなかった」


 それが言い訳に聞こえたとしても――

 私の答えはもう揺らがない。


「だからといって、あの夜の沈黙が許されるわけではありません」


 私は淡々と告げた。

 声は震えていなかった。


「私は何を失い、何を背負ったか。

 殿下は一度でも考えましたか」


 ユリウスは言葉を失う。


 静かに流れる時間のあと、私は小さく息を吸った。


「……でももう、大丈夫です。

 私は今、働いています。自分の足で。

 殿下は殿下の道を、お進みください」


「エリシア……」


「戻る気はありません」


 その一言で、ユリウスの表情は完全に固まった。


   ◇ ◇ ◇


 部屋を出ると、セシルが控えめに言う。


「……お嬢様。よく言いました」


「言わなきゃ前に進めないから」


 そう言うと、セシルはふっと安堵の息を漏らした。


「帰りましょう。麦猫堂へ」


 その言葉が、驚くほど優しかった。


   ◇ ◇ ◇


本日の収支記録

項目内容金額リラ

収入なし(王宮対応により勤務なし)+0

合計+0

借金残高23,906リラ(据え置き)


セシルの一口メモ

働かない日は給金がない。

しかし今日のお嬢様の言葉には、給金以上の価値がありました。

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