第17話 祭りの翌日に訪れる影
祭りの翌朝。
広場の喧騒が嘘のように、王都は静かだった。
私とセシルは麦猫堂へ向かいながら、昨日の筋肉痛に少し顔をしかめていた。
腕も脚も、いつもより重い。
「……痛い」
「当然です。普段から鍛えていれば問題ないのですが」
「うるさいわね……!」
通りの角を曲がると、麦猫堂の前に見慣れない馬車が止まっていた。
濃紺の布をかけた上質な馬車。
紋章は隠されているが、長く貴族社会にいた私にはすぐ分かった。
「……これ、王宮の馬車よね」
「お嬢様。後ろ姿でも緊張が分かります」
「分かってるわよ!」
馬車の脇には、王宮侍従の証を胸に付けた青年が立っていた。
「失礼いたします。麦猫堂に、エリシア=フォン=リースフェルト様はお見えですか」
胸が一瞬で締め付けられた。
「はい。私です」
侍従は深々と頭を下げる。
「殿下がお呼びです。第一王子、ユリウス殿下より。
お話がしたいとのことで、至急お越しください」
空気が凍りついた。
セシルが隣でわずかに深呼吸をする。
「……私が、ですか」
「はい。場所は北壁の私設談話室。人目につかないところで、とのご配慮です」
その言い方が、逆に冷たい。
私は拳を握りしめた。
「……分かりました。行きます」
侍従は礼をして、馬車へ戻っていく。
◇ ◇ ◇
その前に――私は麦猫堂の扉を軽く叩いた。
中ではハンナが仕込み用の生地を叩いていた。
「おや、二人とも早いじゃないか……って、その顔は?」
「ハンナさん、ごめんなさい。
今日、どうしても抜けられない用事ができてしまって」
ハンナは眉を上げ、セシルを見、それから私を見た。
「……なんだい。出勤前にそんな顔して言うんじゃないよ。
大丈夫。祭り明けなんだから、人は少ない。
その代わり――帰ってきたら話、ちゃんと聞かせな」
「はい」
「気をつけて行っておいで」
強くも優しいその声に、胸が少し軽くなった。
◇ ◇ ◇
ハンナに頭を下げて店を出ると、セシルが私の隣に立った。
「……お嬢様。本当に行かれるのですか」
「……行くわ。逃げても、また呼ばれるだけだもの」
「お嬢様が行く必要はありません。
殿下の都合だけの呼び出しです」
「でも、いつか向き合う時が来ると思ってた」
セシルの表情がわずかに曇る。
いつもの皮肉な笑みは消え、静かな怒りが滲んでいた。
「……私も同行します」
「セシル……?」
「お嬢様を一人で王宮へ向かわせるなど、ありえません。
何が起きようと、必ずそばに」
胸が熱くなる。
「ありがとう、セシル」
「礼は不要です。ただし――」
彼の声が鋼のように落ち着いた響きを帯びる。
「殿下と向き合うのは、必ず私の目の前でお願いします」
強い言葉なのに、どこか優しさを含んでいた。
「分かったわ。一人になったりしないから」
「当然です」
こうして私たちは、ユリウスとの再会へ向かった。
焼き立ての匂いがまだ残る祭りの翌日、
私の過去は静かに、再び動き始めた。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目内容金額
収入なし(王宮への呼び出しにより勤務なし)+0
合計+0
借金残高23,906リラ(据え置き)
セシルの一口メモ
店に事情を伝える。
社会では当然のことですが、お嬢様が自然にできたのは大きな成長です。




