第123話 条件の輪郭
夕方の麦猫堂。
陽射しが斜めに差し込み、
棚の影が床に長く伸びている。
エリは焼き上がりを並べ終えたあと、
少しだけ手を止めた。
考えごとをしながら作業すると、
どうしても呼吸が浅くなる。
それに気づいたのは、最近の自分だった。
条件を持て。
選ぶ側でいろ。
ルチアの言葉が、
胸の奥で静かに反響している。
「エリ」
声をかけられて振り向くと、
セシルがカウンター脇に立っていた。
「少し、顔色が変わっています」
「……考えすぎてるだけ」
「考えること自体は、悪くありません」
そう言いながら、
セシルは一枚の布を畳んだ。
「ですが、堂々巡りになっている」
図星だった。
エリは小さく息を吐く。
「条件ってさ……
どうやって決めるものなんだろう」
「目的から逆算します」
即答だった。
「目的……?」
「何を守りたいか。
そして、何を失ってもよいか」
エリはその場に立ったまま、
ゆっくりと考える。
パン屋。
ハンナ。
街の人たち。
自分の生活。
そして、借金。
「……失いたくないものは、
ちゃんと見えるんだけど」
「では、それを条件にすればいい」
「でも」
言葉が詰まる。
「それを条件にしたら、
連合にどう思われるんだろうって……」
「どう思われるかではありません」
セシルは静かに言った。
「受け入れられるかどうかです」
「え……?」
「条件とは、願いではない。
交渉の線引きです」
その言葉で、
何かが少し整理された気がした。
「つまり……
私が無理だって思うことは、
最初から出していい?」
「はい」
「断られるかもしれないよ?」
「その場合は、
別の道を選ぶだけです」
エリは、
カウンターに指先を置いた。
パンを作る生活。
数を増やしすぎないこと。
名前だけで消費されないこと。
頭の中に浮かんだものを、
ひとつずつ並べる。
「……これだけは、嫌だっていうのがある」
「それが、最初の条件です」
セシルの声は、
いつもより少しだけ柔らかかった。
「条件は、
全てを得るためのものではありません」
「……じゃあ?」
「壊れないためのものです」
胸の奥が、
静かに落ち着いていく。
エリは、
ゆっくりと頷いた。
「私……
少しずつ書き出してみる」
「それがよろしいでしょう」
「完璧じゃなくていいよね」
「最初から完璧な条件など、
どこにもありません」
夕方の光が、
店内を包み込む。
エリは、
新しい紙を一枚取り出した。
まだ言葉は少ない。
でも、確かにそこに輪郭が生まれ始めていた。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目 内容 金額
収入 店頭販売(通常) +45
収入 店舗手伝いの取り分 +20
合計 +65
借金残高
21,560 → 21,495 リラ
セシルの一口メモ
条件を書くという行為は、
自分の優先順位を直視することです。
迷いながらでも構いません。
輪郭が見えた時点で、
すでに前進しています。




