第122話 別の重さ、別の守り方
昼下がりの麦猫堂は、いつもより少し静かだった。
焼き上がりの波が落ち着き、
店内には小麦と温もりだけが残っている。
エリはカウンターを拭きながら、
先日の連合の話を頭の奥で反芻していた。
条件。
選択。
目立つということ。
考えれば考えるほど、
正解は遠ざかっていく。
「失礼するわ」
その声に顔を上げると、
入口に立っていたのはルチアだった。
落ち着いた佇まい。
しかし今日は、どこか視線が鋭い。
「いらっしゃいませ」
エリが頭を下げると、
ルチアは店内を一度ゆっくり見渡した。
棚に並ぶパン。
忙しそうに動くハンナ。
それから、エリの手元。
「いい店ね」
「ありがとうございます」
「売れているでしょう」
断定ではなく、確認に近い声だった。
「……少しずつ、ですが」
ルチアは頷き、
そしてすぐ本題に入った。
「エリさん。
連合の話、もう耳に入っているでしょう」
胸がきゅっと縮む。
「はい……」
「驚かないで聞いてほしいのだけれど」
ルチアはすぐには言葉を続けなかった。
店内に漂う焼きたての香りに、
一度だけ視線を向けてから、静かに口を開く。
「今、あなたは狙われています」
エリの指が止まった。
「敵意だけとは限らない。
利用価値として、という意味です」
「……連合、ですか?」
「ええ。
そしてそれ以外の場所からも」
セシルの表情がわずかに硬くなる。
「奥様、それは」
「知っている情報の範囲よ」
遮ることなく、ルチアは言った。
「名が売れるというのは、
守られることと同時に、
切り取られる危険も増えるということ」
エリは息を整えながら聞いていた。
「でも……動かないほうがいい、と言われても」
「逃げろ、とは言わないわ」
ルチアはきっぱりと首を振る。
「ただし、条件は持ちなさい」
「条件……?」
「連合に対しても。
取引先に対しても。
そして、自分自身に対しても」
その言葉に、
エリの胸の奥が静かに反応した。
「条件がなければ、
あなたはただ流される側になる」
「……」
「でも条件があれば、
選ぶ側でいられる」
セシルが一歩近づいた。
「奥様は、
連合ではなく、エリ自身を守る視点で
話しておられる」
「当然よ」
ルチアは微笑んだ。
「商人連合は力がある。
でも万能ではない」
「……私は、どうすれば」
その問いに、
ルチアはすぐ答えなかった。
「今はまだ、
形にしなくていいわ」
「え……?」
「考えること。
誰と、どこまで関わるか。
何を差し出して、
何を決して差し出さないか」
それだけ言って、
ルチアは軽く身を翻した。
「急がなくていい。
でも、備えなさい」
扉が閉まり、
店内に再び静けさが戻る。
エリは、
自分の手のひらを見つめた。
守られるだけでは足りない。
選ぶための条件が必要なのだ。
「……セシル」
「はい」
「条件って……怖いね」
「ええ」
即答だった。
「ですが、条件を持たぬ者のほうが
よほど危険です」
エリは小さく息を吐いた。
少しずつだ。
でも確実に、
次の段階へ足を踏み出している。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目 内容 金額
収入 店頭販売(通常) +40
収入 店舗手伝いの取り分 +20
合計 +60
借金残高
21,620 → 21,560 リラ
セシルの一口メモ
助言は、
力の使い方を変えるために存在します。
従うか、使うかを決めるのは、
常にエリ自身です。




