第118話 静かな招待
◇
扉を開けたのはアンナだった。
「エリさん。突然で失礼いたします」
「いえ……どうぞ」
アンナは一通の封書を差し出した。
「奥様よりお預かりしております。
本日でなくて構いません。
ですが、できれば早めにお目通しを」
封蝋はない。
ただ丁寧に折られた紙だけ。
それが、かえって重かった。
◇ ◇ ◇
アンナが去ったあと、
エリは店の奥で封を開いた。
短い文面だった。
・体調を気遣う言葉
・最近の街の噂に触れる一文
・そして、結びにひとこと
「近日中に、
静かな場所でお話ができれば幸いです」
◇ ◇ ◇
「……来ましたね」
セシルが、紙に視線を落としたまま言う。
「うん。アークさんのあとに、ルチアさん」
「偶然ではありません」
静かな断定だった。
「連合が動けば、
社交の側も必ず反応します」
「どっちも、
私に何かを決めさせたいんだよね」
「ええ。
ただし、求める形は違う」
◇ ◇ ◇
エリは椅子に腰掛け、
指先を組んだ。
(条件……
私は、何を守りたいんだろう)
・一気に広がらないこと
・パンの質を落とさないこと
・自分の生活を壊さないこと
それは、もうはっきりしている。
でも。
(それを、誰にどう渡すかで、
意味が変わる)
◇ ◇ ◇
「セシル」
「はい」
「ルチアさんに会うとしたら……
どんなふうに伝えるのが正解だと思う?」
「正解はありません」
即答だった。
「ですが、
奥様は条件そのものより、
エリの覚悟を見るでしょう」
「覚悟……」
「ええ。
守るために引いた線なのか、
逃げるために作った壁なのか」
エリは、ゆっくりと息を吐いた。
(逃げじゃない。
これは、私が立ち続けるための線)
◇ ◇ ◇
夕方。
店を閉める準備をしながら、
エリは決めていた。
「……まずは、整理する」
「それが良いでしょう」
「条件を、誰の言葉にも染まらない形にする」
セシルは、ほんのわずかに目を細めた。
「それができたなら、
どちらに渡しても揺らぎません」
◇ ◇ ◇
外は、穏やかな夕暮れだった。
だがその静けさは、
嵐の前のそれに近い。
エリは胸の奥に、
小さく確かな芯が生まれるのを感じていた。
(もう、流されない)
選ばされる立場でも、
選び返すことはできる。
その準備が、
今、始まったのだ。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目 内容 金額
収入 通常営業 +24
合計 +24
借金残高 21,672リラ
セシルの一口メモ
誰に渡すかを迷うのは、
条件がまだ自分の言葉になっていない証拠です。
言葉が整えば、相手は自ずと定まります。




