第114話 静かな招待
昼過ぎ。
麦猫堂の通りが少し静まった頃、
店先に影が差した。
「お邪魔します」
落ち着いた声。
顔を上げる前に分かった。
「ルチア様……」
クレアル家の奥様は、
華やかさのない身なりで、静かに立っていた。
「急に押しかけてごめんなさい。
少しだけ、時間をいただけるかしら」
「はい。どうぞ」
セシルが一礼し、
奥の席を整える。
◇ ◇ ◇
席に着くなり、
ルチアは余計な前置きをしなかった。
「今朝、連合が動きました」
エリの指先が、わずかに強張る。
「監督官アークが、あなたのもとへ先に行った。
そう聞いています」
「……はい」
「それでいいのです」
即答だった。
「先に来た者が正しいとは限りません。
ですが、先に動いたという事実は、
必ず別の波を呼びます」
ルチアは、
柔らかいが逃げ場のない目でエリを見る。
「今日は、その波の話をしに来ました」
◇ ◇ ◇
「連合は、数字と将来性を見ます」
「一方で、街と家は、立場と物語を見る」
「物語……」
「ええ。
元侯爵家の娘が、パン屋で名を上げている。
今のあなたは、そう語られています」
エリの胸が、きゅっと縮む。
「語られること自体が、危ういのです」
「……目立つな、と?」
ルチアは首を振った。
「違います」
「語られ方を、選びなさい」
言葉が、静かに刺さった。
「条件を出すのでしょう」
「……はい」
「ならば、条件は二重に意味を持ちます」
ルチアは指を二本立てる。
「連合への条件」
「そして、街と家に向けた姿勢」
セシルが、低く問う。
「奥様は、どちらを優先すべきとお考えで」
「エリさん自身です」
迷いのない答えだった。
◇ ◇ ◇
沈黙が落ちる。
やがて、ルチアは声の調子を少し和らげた。
「もしも」
「あなたが条件を提示するなら、
私を経由しても構いません」
エリは目を見開いた。
「それは……」
「盾にも、橋にもなりましょう」
「ただし、代わりに決めることはしません」
ルチアは微笑む。
「選び続けるのは、あなたです」
(アークか、ルチアか)
(それとも……別の形か)
答えは、まだ胸の中だ。
◇ ◇ ◇
「今日は、これだけです」
ルチアは立ち上がった。
「今夜。
あなたが選んだ道は、必ず誰かに伝わります」
それだけ言い、
静かに店を後にする。
◇ ◇ ◇
扉が閉まったあと。
「……どうする?」
エリは、小さく息を吐いた。
「どちらも、正しいことを言ってる」
「ええ」
セシルは頷く。
「ですが、正しさは一つでなくとも、
選択は一つです」
エリは、
胸の奥にしまっていた紙の感触を確かめた。
「……今夜、決めるよ」
迷いは残っている。
それでも、足は止まらない。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目 内容 金額
収入 店頭販売(通常) +22
合計 +22
借金残高 21,772 → 21,750リラ
セシルの一口メモ
選択肢が示されるのは、
選ぶ力がある証です。
今夜の沈黙は、
逃げではなく準備です。




