第112話 選ばせない期限
翌朝、
麦猫堂の開店準備はいつもより静かだった。
エリは棚のパン布を整えながら、
昨日の紙切れを思い出していた。
(まだ、渡してない)
(でも……時間は待ってくれない)
その予感は、開店から一時間も経たずに現実になった。
◇ ◇ ◇
扉が鳴る。
カラン、という音が、
なぜかやけに重く響いた。
「失礼」
入ってきたのは、商人連合の伝達役だった。
見覚えのある制服。
柔らかいが、感情を感じさせない表情。
「エリシア・フォン・リースフェルト準会員に、
連合より正式な通知です」
胸が、ぎゅっと縮む。
「……はい」
差し出された封筒は、薄い。
だが、重かった。
セシルが一歩前に出る。
「内容を伺っても」
「構いません」
エリは封を切った。
紙に並んでいたのは、簡潔な文面。
準会員エリシアに対し、
連合主催催事への参加可否を
三日以内に回答すること。
期限を過ぎた場合、
対応は連合裁量とする。
「……裁量」
思わず、声に出る。
「はい」
伝達役は淡々と続ける。
「今回の催事は注目度が高く、
枠の調整が難しいためです」
つまり。
選ばなければ、選ばされる。
「質問は?」
「……ありません」
そう答えるしかなかった。
伝達役は一礼し、
静かに店を出ていった。
◇ ◇ ◇
扉が閉まる音が、
やけに遠く聞こえた。
「三日……」
エリは呟く。
「思っていたより、短いですね」
セシルの声は冷静だった。
「選ばせないつもりだよね、これ」
苦笑まじりに言ってしまう。
「ええ」
即答だった。
「連合は、曖昧な立場を嫌います」
厨房の奥から、ハンナの声が飛んだ。
「何だい、朝から難しい顔して」
エリは一瞬迷い、
それでも正直に言った。
「……選択を迫られてて」
「ほう」
ハンナは腕を組む。
「期限つきかい?」
「三日」
「短いねえ」
だが、ハンナはあっさり言った。
「でもさ。決めないことも、選択だよ」
「……どういう意味?」
「決めなきゃ、誰かが決める」
はっきりとした口調だった。
「それが一番、あとで後悔する」
エリは、机の上の条件案に視線を落とす。
(準備はできてる)
(覚悟も……あるつもり)
「でも……誰に渡すかが……」
その言葉に、
セシルが小さく頷いた。
「期限が来た、ということは」
彼は静かに言う。
「外はもう、待つ気がないということです」
三日。
長いようで、短い。
この三日で、
アークか、ルチアか。
あるいは、第三の道か。
選ばなければならない。
◇ ◇ ◇
その日の午後。
客足は途切れなかったが、
エリの意識はずっと別の場所にあった。
(選ぶって……
受け身じゃ、駄目なんだ)
渡す相手だけでなく、
渡し方も、言葉も。
(条件を、どう使うか)
夜、店を閉めたあと。
エリは深く息を吸い、
顔を上げた。
「……三日あれば、準備はできるよね」
「はい」
セシルは迷いなく答える。
「そのために、私はいます」
期限は、
逃げ場を塞ぐためのもの。
だが同時に、
踏み出すための合図でもあった。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目 内容 金額
収入 店頭販売(通常) +22
合計 +22
借金残高 21,818 → 21,796リラ
セシルの一口メモ
期限は、敵ではありません。
決断を形に変えるための、
静かな圧力です。




