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第111話 誰に渡すべきか

夜の帳が下りるころ、

麦猫堂の厨房には焼き終えたあとの静けさが満ちていた。


エリは、片付け途中の木机に肘をつき、

小さく息を吐いた。


(条件は、決めた)

(でも……誰に渡す?)


「疲れましたか」


振り向くと、セシルが湯を注いだカップを差し出していた。


「ありがとう……」

エリは受け取りながら、視線を落とす。


「セシル」

少し迷ってから、口にした。

「この条件……誰に伝えるのが正解だと思う?」


即答は返ってこない。

それが答えを重くする。


「監督官アークに出すなら――」

エリは指を折る。

「連合の正式な窓口になる。

でも、数字と効率を優先される」


「ええ」

セシルは頷いた。

「理としては、最も正しい」


「ルチアさんなら……」

続けて言葉を重ねる。

「人として、聞いてくれると思う。

でも、それって……連合を通さない逃げ道にも見えない?」


沈黙が落ちる。


外では、夜風に看板がきしんだ。


「どちらも、間違いではありません」

セシルが静かに言う。

「ただし、意味は変わります」


「意味?」


「アークに出せば、これは制度の話になる」

低く、落ち着いた声。

「ルチアに出せば、人脈と影響力の話になる」


エリは目を閉じる。


(私は……どっちを選びたい?)


「守りたいのは、麦猫堂」

エリはぽつりと言った。

「でも、逃げたいわけじゃない」


言葉にした瞬間、胸が少し締まる。


「エリ」

セシルは一歩距離を詰めた。

「条件を渡す相手は、味方を選ぶ行為ではありません」


「……」


「立場を選ぶ行為です」


その一言が、深く刺さった。


(立場……)


連合の準会員としてか。

一人の職人としてか。

それとも、守られる存在としてか。


「もし、アークに出したら」

エリは考えながら言った。

「連合は私を試す。

数字で、態度で」


「はい」


「ルチアさんに出したら……」

少しだけ声が弱くなる。

「守ってくれるかもしれない。

でも、それは……借りになる」


セシルは否定しなかった。


「借りは、いつか返すものです」

ただ、静かにそう言った。


しばらく、二人は黙ったまま立っていた。


やがてエリが、決めきれないまま口を開く。


「……まだ、決められない」


「それで構いません」

セシルは即座に応じた。

「揺れているうちは、まだ考えられています」


エリは、机の上に置かれた条件の書き留めを見つめた。


(渡した瞬間、戻れない)

(でも……出さなきゃ、外が決める)


どちらを選んでも、

この場所には立ち続ける。


その覚悟だけが、今の支えだった。


   ◇ ◇ ◇


本日の収支記録

項目 内容 金額リラ

収入 店頭販売(控えめ) +18

合計 +18


借金残高 21,836 → 21,818リラ


セシルの一口メモ


選べない時は、弱さではありません。

選び続けようとする意思が、

すでに立場を作っています。

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