第104話 条件のかたち条件のかたち
朝の仕込みが一段落した頃、
エリはカウンターの隅で小さな紙片を広げていた。
空白の多い紙。
そこに、考えた言葉を書いては消す。
(条件……って、何をどう決めればいいんだろう)
参加するか、しないか。
動くか、抑えるか。
その二択だけでは足りないと、今ははっきり分かっている。
◇ ◇ ◇
「何を書いてるの」
ハンナが湯気の立つ鍋をかき混ぜながら聞いてきた。
「まだ下書きですけど……
これから先、もし何かに参加するなら、
守りたいことを先に決めておこうと思って」
「おや。偉く慎重だねえ」
「ううん。逃げないためにです」
ハンナは一度だけ手を止め、
エリの顔を見た。
「いいね。条件を決めるってのは、
誰かに使われないための考え方だ」
その言葉が、胸に静かに残る。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ。
店の奥で、セシルが同じ紙を覗き込む。
「項目が三つ、ありますね」
「はい」
エリは指で一つずつ示した。
一つ目。
店の通常営業を削らないこと。
二つ目。
納品と出張は、体力と人数の範囲内に限定すること。
三つ目。
名前と過去を、勝手に売り物にしないこと。
セシルは一息置き、頷いた。
「とても明確です」
「……欲張りでしょうか」
「いいえ。これがなければ、
条件ではなく、願いになってしまう」
◇ ◇ ◇
エリは紙を見つめ直した。
(選ばない、って決めた時より……
今のほうが、ちゃんと前を向いてる)
断るだけでは、何も守れない。
選ぶためには、基準が要る。
「セシル」
「はい」
「これを、誰に伝えるのが一番いいと思う?」
一瞬、迷いが走る。
アーク。
数字と管理の人。
ルチア。
気配と立場の人。
セシルは即答しなかった。
「……どちらにも利点があります。
ですが、先に会えば、もう一方が黙っていないでしょう」
「挟まれちゃう、よね」
「ええ」
エリは紙を折り畳み、胸元にしまった。
(でも……逃げないって決めた)
◇ ◇ ◇
夕方。
店の前に並ぶ、短い列。
常連が会釈し、
新規客が様子をうかがう。
守る日常は、ここにある。
「今日も同じでいいですか」
「はい。いつものを」
そのやり取りが、なぜだか心強い。
◇ ◇ ◇
夜、帳簿を閉じながら、
エリは小さく頷いた。
条件は、交渉の道具じゃない。
自分が壊れないための、形だ。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目 内容 金額
収入 店頭販売 +26
収入 定期納品分 +18
合計 +44
借金残高 21,732リラ(前日比 −44)
セシルの一口メモ
条件とは、縛りではありません。
自分が立つ場所を示す、境界線です。




