第100話 条件を歪めて迫る外圧
朝の麦猫堂は、いつもより静かだった。
焼き上がりを告げる香りは同じなのに、空気の張りが違う。
(今日は……何か来る)
理由は分からない。
ただ、そう感じた。
◇ ◇ ◇
開店から間もなく、扉が叩かれた。
控えめだが、迷いのない音。
「失礼する」
入ってきたのは、見覚えのある顔だった。
商人連合の事務方。名を聞いたことはあるが、直接話すのは初めてだ。
「本日は、ご相談がありまして」
「……どのような?」
セシルが一歩前に出る。
「催事の件です」
その言葉に、厨房の空気が一段重くなった。
◇ ◇ ◇
「条件を出された件については、承知しています」
事務官は、穏やかな笑みを浮かべて続けた。
「ただし、連合としては少々受け取り方が異なりまして」
エリの胸がきゅっと締まる。
「異なる……?」
「はい。
あの条件は、参加を前提とした調整要望だと解釈しました」
言葉は丁寧だが、意味は明確だった。
「つまり……」
エリが口を開く。
「私が、参加しない選択を残しているとは考えていない、ということですか」
一瞬、事務官の目が細くなる。
「強いですね、エリシア様」
否定はしなかった。
◇ ◇ ◇
「連合は、あなたを表に出したい」
事務官は静かに言う。
「注目が集まり、話題性があり、
条件を出せるほどに認められた準会員」
「ですが、それは私が望んだ形ではありません」
エリははっきりと答えた。
「私は、派手な売り出しを避けたいと伝えました」
「ええ。そこも承知しています」
事務官は頷く。
「ですから、こうして配慮案を持ってきたのです」
差し出された紙。
そこには、条件を満たしているようで、
どこか歪んだ内容が並んでいた。
参加は必須。
ただし露出は抑える。
だが、結果次第では再調整。
(……逃げ道が、ない)
◇ ◇ ◇
セシルが低く口を開く。
「それは条件の尊重とは言えません」
「解釈の問題です」
事務官は穏やかに返す。
「条件を受け入れたからこそ、調整案が出せるのですよ」
「……選ぶ権利があると、アークは言いました」
エリの声は震えていない。
「今は、その権利が削られているように感じます」
沈黙が落ちる。
◇ ◇ ◇
その時だった。
「失礼」
奥から入ってきたのは、監督官アークだった。
「話は、ここまでにしましょう」
事務官がわずかに姿勢を正す。
「アーク監督官。ですが、この件は――」
「承知しています」
アークはエリの方を見た。
「そして、歪んでいることも」
◇ ◇ ◇
アークは机の上の紙を手に取る。
「これは配慮ではない。圧力です」
はっきりと言い切った。
「条件を尊重したふりをして、
参加を既定路線にするやり方」
事務官は口をつぐむ。
「連合は大きい。
だが、ルールを歪めて信頼を削るほど愚かではない」
アークは紙を戻し、続けた。
「この案は却下です」
◇ ◇ ◇
事務官は一礼し、店を出て行った。
扉が閉まったあと、エリは息を吐いた。
「……ありがとう、ございます」
「礼を言われることではありません」
アークは淡々と答える。
「条件を出した以上、
それを歪められるかどうかを見るのも、試験の一部です」
「試験……?」
「ええ」
アークは短く頷いた。
「あなたが、折れるのか。
曖昧に流すのか。
それとも、立ち止まるのか」
◇ ◇ ◇
「エリ」
セシルが静かに呼ぶ。
「外圧は、これからも来ます」
エリは、拳をぎゅっと握った。
「……分かってる」
怖い。
でも、逃げたくない。
「私、条件を下げるつもりはない」
その声は、小さいが確かだった。
◇ ◇ ◇
店の外では、いつも通り人が行き交っている。
だが、その流れの中で、
エリの名前はもう、何度も囁かれているのだろう。
条件は、試されている。
そしてそれを出したエリ自身も。
◇ ◇ ◇
本日の収支記録
項目 内容 金額
収入 店頭販売(通常) +23
収入 店舗手伝いの取り分 +20
合計 +43
借金残高 21,629 → 21,586リラ
セシルの一口メモ
条件を歪める者は、
選ばれる覚悟を持たない者です。
守り通す意思があるかどうか。
それが、次の分かれ道になります。




