プロローグ―崩れた誓いの夜に
それは、祝福の鐘が鳴るはずだった夜だった。
王都を包む冬の空は澄みきり、街の灯が金色に揺れていた。
白いドレスに袖を通した私は、鏡の中で微笑む自分に言葉をかける。
――ようやく、幸せになれる。
けれど、その扉を開けた瞬間。
待っていたのは光ではなく、沈黙だった。
彼はそこに立っていた。
かつて私に未来を約束した男――第一王子、ユリウス。
彼の瞳には、もう私の姿は映っていなかった。
「……すまない、エリシア。
君との婚約は、取り消させてもらう」
その一言で、すべてが崩れた。
理由も、釈明もなかった。
ただ、隣には見知らぬ令嬢が立っていた。
王家の後ろ盾を失ったリースフェルト家は一夜にして地位を失い、
翌日には屋敷が差し押さえられた。
残されたのは――支払いきれない式場の費用と、
装飾品、料理、招待状、ドレスのキャンセル料。
その総額、二万五千リラ。
家族は散り、使用人も去った。
ただ一人、私の傍に残ったのは――皮肉屋の執事、セシルだけだった。
夜明け前の部屋。
冷えたカップの紅茶を前に、私は呟いた。
「……働くしか、ないのね」
「ようやく、現実をご覧になりましたか」
セシルは静かに答え、少しだけ笑った。
「いいでしょう。
では、お嬢様。次の人生は――どこで始めますか?」
私は息を吸い込んで、顔を上げた。
焦げたパンの匂いが、夜明けの風に混じっていた。
――そう、ここから始めよう。
誇りと借金と、少しの意地を抱えて。




