貧乏だからオヤツを日持ちさせようとしていただけなのに幸せになれました。なんで?
ナターリア・ビウボーンは太陽の光と熱を利用して干し上げたリンゴのスライスを丁寧に瓶に詰めていた。
「今回もなかなかいい出来だわ。出来るだけ日持ちしますようにっと」
そんな祈りを込めてナターリアは瓶に蓋をする。
立ち上る微かな甘い香りが、貧乏子爵であるビウボーン家の古びたキッチンを満たす。
ドライフルーツを作るのも、食べるのも、ナターリアの唯一の楽しみであり、ささやかな喜びだった。
ビウボーン子爵家は、没落寸前の貴族だった。
今はまだ王都のタウンハウスを維持できているけれど、いつ手放してもおかしくない。
そういう状態だった。
ナターリアがドライフルーツを作るのは、貴重なおやつを可能な限り日持ちさせようという涙ぐましい努力なのだ。泣ける。
父であるヌマール・ビウボーン子爵は、長女ナターリアには家を継がせるための教育を施し、次女ノエラには良縁を見つけて家を救うという計画を立てていた。
ただし、あまり上手くはいっていない。
「お姉さまはいいわよね、もう婚約者が決まっていて」
「あら、それなら交代する?」
「無理だとわかっていていわないでよ!」
豪華な新作のドレスを試着したノエラが、吐き捨てるようにいった。
もちろんナターリアも軽い冗談として口にしただけだった。
ノエラは17歳を迎えてかなりあせっていた。
父の狙いはわかっている。裕福な貴族家にノエラを嫁がせて支援を手に入れようとしていたのだ。
しかし、相手も貴族だからそれくらいのことはわかっている。
お互いにメリットがあるのならともかく、一方的な支援を求められても受け入れられない。
だから婚約者がなかなか決まらなかった。
そこを娘の美しさでどうにかしようなどという父の考えが浅はかではないかとナターリアは思っていたけれど、妹の華やかな道のために自分が家の裏方を支える慎ましい存在でいることは疑問に思わなかった。
何しろ金がないのだ。
亡くなった母の代わりの女主人としての仕事以外に、父の領地経営の仕事も跡継ぎとしてこなしていたからナターリアはビウボーン子爵家の懐事情を誰よりも把握していた。
結婚できなければ妹の豪華なドレスはただの無駄遣いだというのに。
仕事はナターリアがおこなうけれど、決定権は基本的に父であるヌマールが握っている。
妹の結婚で支援を願うのなら貴族家をあきらめて商家を狙うべきだとナターリアは思っていたけれど、それを口に出すことはなかった。
父と妹が怒り狂って反論すると知っていたからだ。このふたりは身分に対する執着が強かった。
ナターリアは冗談で「交代する」と口にしていたけれど、妹のノエラがやっているような社交の場での婚約者探しは自分には向いていないと知っていた。
だから、本当にただの冗談だったのだ。冗談以外の何ものでもなかったのに。
「がんばってね、ノエラ」
「わかってるわよ!」
ナターリアは心からノエラを励ました。
数日後にはその冗談は冗談で済まなくなってしまうとも知らずに。
そして、姉を跡継ぎにして、妹を嫁に出して支援を得るという父の方針はあっけなく崩れ去る。脆い。
ある夜会の次の日、王都でも強い権勢を誇るネルファ・ハドソン公爵がビウボーン子爵家に突然やってきた。
公爵家と子爵家なので大きな身分差があるとはいえ事前の連絡がないなど異常だった。
心の準備もできずにハドソン公爵と顔を合わせることになったナターリアは公爵の威圧的な雰囲気に息をのむ。
その隣には、顔を伏せて泣いているノエラがいた。いつもの噓泣きなどではなく、鼻水まで垂らして本当に泣いている。これはヤバい。ヤバすぎる。
その後ろには小さく縮こまる父ヌマールの姿があった。
このふたりが何かやらかしたのだとナターリアは瞬時に理解した。もうダメかもしれない。
「それで、そこの娘の実に品のないおこないについて、何か弁明はあるのか、子爵? それとも婚約者のいる男性に色仕掛けをするのがこの子爵家の教育なのか? それも私の妹の婚約者に、だ」
ハドソン公爵の低い声が響く中、ナターリアはノエラのやらかしを理解した。
ここまでの怒りをみせているのだ。色仕掛けをしただけでなく、公爵家の婚約を破綻させるか、もしくはその寸前までいくようなことになったのだろう。
ナターリアは血の気が引くのを感じた。寒気がする。
「いえ、そのようなことはございません。ただ、ノエラはその……なかなか婚約者がみつからずにあせっていただけで……」
「ふん! 姉の婚約者はみつかっているではないか! 知っているぞ!」
「そ、それはどうにかこの子たちの従兄弟を婿に迎えられるというだけの話でしかなく……」
「ならば姉の婚約者を妹に与えるがよい。姉の方には……そうだな。フルーツマクス辺境伯だ。彼をこちらで紹介しようじゃないか。辺境の地ゆえ相手がいないが、私の友人だ。もう訳アリでも構わないとさえいっているのだから問題ない」
ハドソン公爵は制裁として、そんなことをいい出した。
そして、そのまま帰っていった。
「……公爵閣下に逆らうわけにはいかん。いわれた通りにする」
「そんな、お父さま!」
ナターリアは思わず叫んだ。
ナターリアはこの家を継ぐ……正しくは入り婿となる従兄弟が継いでそれを支えるためにこれまで仕事をしてきたのだ。
納得できないのも仕方がないだろう。
「あきらめろ、ナターリア。それとも公爵閣下に逆らってこの家を潰す気か?」
「そ、そんなつもりは……」
相手は公爵だ。逆らえば潰されるのもまちがいない。ナターリアの声から勢いが失われていく。
「公爵閣下も怒りで我を忘れていたんだろう。制裁というには甘い。ノエラには婚約者がみつかり、ナターリアも嫁ぐことができる。嫁ぎ先に支援を求めるわけにはさすがにいかないだろうが……公爵家の婚約を潰しかけたのにこれで許されるのならもうけものだ」
父ヌマールの言ってることは正しい。確かに、制裁というには甘いのだ。
ここで逆らえばどうなるかは分からない。
それでもナターリアは、今まで努力を積み重ねた日々を思って、弱々しく口を開く。
「で、でも、私がいなくなればこの家の仕事は……」
「うるさい! おまえの仕事はもともと私がやっていたことだ! できるに決まってるだろうが! おまえは荷物をまとめて嫁入りの準備をしろ! もう反論するな!」
ヌマールは声を荒げた。
母が亡くなってから家の運営を任され、自分の能力を信じてきたナターリアにとって、それは存在の否定だった。
これが冗談で口にしていた妹ノエラとの交代が実現してしまった瞬間である。下手な冗談など口にするものではない。
この時、ハドソン公爵による制裁が正しく制裁であることに気づいた者は、ビウボーン子爵家には誰ひとりとしていなかった。
ノエラとの交代に納得できていないナターリアさえも、ハドソン公爵は甘いと感じていたくらいだった。
王都からフルーツマクス辺境伯領への旅は、10日間の過酷な道のりだった。
ナターリアは自分の価値を見失っていた。
妹と交代して嫁にいくなど、ナターリアの予定にはなかったのだ。
今はとにかくハドソン公爵の怒りをおさめるために、フルーツマクス辺境伯へと嫁ぐことだけ。
それは妹のノエラにもできることだとナターリアは感じていた。自分でなくとも問題ないのになぜ自分が、という思い。
やらかしたのはノエラであってナターリアではない。それなのに子爵家を追い出されるように嫁にいくのはナターリアだ。納得できる訳がない。
それでもハドソン公爵には逆らえない。権力者は怖い。
それはわかるとしても、心はついていかない。馬車での10日間はナターリアがあきらめるための時間だった。
とにかくフルーツマクス辺境伯に嫌われないようにするくらいだとナターリアは最低限の目標を定めた。
やがて馬車が止まり、外に出た。そこは広がる畑と山々、そして不釣り合いなほど立派な大邸宅が建つ辺境の地だった。
ナターリアは、邸の主であるニコラス・フルーツマクス辺境伯と対面した。
結婚相手がみつからないと聞いていたのでどのような人なのか不安だったけれど、ニコラスは朗らかで誠実そうな青年だった。
「遠いところをよくここまで来てくれました。馬車に揺られる長旅で疲れたのでは? ああ、婚約者となるのですからナターリアと呼んでも?」
「は、はい……」
社交にほとんど出ていなかったナターリアには耐性がない。男に対する耐性というものがないのだ。
名を呼ばれただけで、ナターリアはふらふらしそうになってしまった。胸の奥に温かい感情が広がっていく。チョロい。
落ち込んでいたところを優しくされたというのもあった。でも、チョロい。チョロすぎる。
「ようこそ、ナターリア。私はニコラス・フルーツマクスです。ニコラスと呼んでほしい。今日はひとまず部屋でゆっくりと体を休めてください。ナターリアのための侍女もいますから遠慮なく頼ってくださいね」
ニコラスの言葉には、心からの歓迎が込められていた。
王都のタウンハウスを追い出されるようにして出た時の父の冷たい視線とは真逆の温かさに、ナターリアは癒されていく気がした。
フルーツマクス辺境伯領での生活は、ナターリアが想像していたものとは全くちがっていた。
ニコラスはナターリアをとても大切にしてくれたのだ。
この縁談がハドソン公爵による制裁だとしたら何かが変だとナターリアは思ったものの、甘い制裁で済むのなら余計なことは言わない方がいいだろうと結論づけた。
「ナターリアは事務仕事ができると聞いています。実は、領地の帳簿がかなり混乱していて……助けてもらえないでしょうか」
頼られている。この素敵な人に。そう感じたナターリアの心は喜んだ。チョロい。
もともとナターリアは尽くす性質だ。頼られたら全力で応える。そして、チョロかった。
なぜなら耐性がないからだ。適齢期の男性なんて従兄弟くらいしかまともな交流はなかったナターリアの心臓に優しいイケメンは貫通していた。ハートを矢で射抜かれてる感じのアレだ。チョロすぎる。
ナターリアはすぐに帳簿を整理した。収支に問題はないけれど、数年分の資料が乱雑に置かれていた。
整理された資料はみやすくなり、再計算した帳簿から領地の財政状況を改善するための方法もいくつかみつかった。ナターリアにとっては慣れた仕事だ。
それは領地の名にもなっているフルーツ……つまり果物だった。
ニコラスは、ナターリアの才能に驚いた。そしてその的確さと迅速さに深く感謝した。
「すごいな、ナターリア。君が来てくれて、本当に助かった。君は私の救い主だ」
父にほめられたことなどなかったナターリアはもう完全に堕ちた。完堕ちである。メロメロだった。
ナターリアの胸は、生まれて初めて感じる満たされた感情でいっぱいになった。これが幸せだとナターリアは知った。
ある日、ニコラスの客人であるネルファ・ハドソン公爵がフルーツマクス領を訪れた。彼は、ニコラスの学生時代からの友人だった。
「まさか、あの辺境領がここまで豊かになるとはな。想定以上だ」
「君のお陰とまではいいたくないが……まあ、ゼロではないか。ナターリアを紹介してくれたからね。でも、領地の発展は全てナターリアのお陰だよ」
「その発展の秘訣を教えてもらいにきたんだが?」
そういってネルファは微笑んだ。
ネルファは大切な妹の婚約を潰しそうになったビウボーン子爵家に制裁を科した。
ただ、子爵家を潰すだけなら何の利益もない。
だから優秀な姉を取り上げて友人の妻とした。ちょうど結婚相手がみつからないと友人が嘆いていたというのもあった。
ネルファはあの愚かな子爵が自滅してしまうように、姉のナターリアを取り上げて妹のノエラを残した。
姉と妹で教育の質がちがっていたことは既に調べていたのだ。
ナターリアがいなくなればビウボーン子爵家はまともに経営できない。
妹のノエラは何もわかっていないのだ。入り婿の従兄弟とやらがどれだけ頑張ったとしても無理がある。
子爵自身に才覚がないのはノエラを貴族家に嫁がせようと考えている時点で明白だ。どう考えても商家を狙うべき盤面だったというのに。愚かなものだ。
そもそも才覚があるのなら貧乏子爵になっていない。
それをたったひとりで支えていたのがナターリアだ。彼女は実に有能だった。
そして、この国の次期宰相としても……フルーツマクス辺境伯領の防衛力を高めておきたかった。
武力に不安はない。親友の強さはネルファのよく知るところだ。
しかし、武力だけで領地は富まなくともよいという話にはならない。豊かな領地だからこそ武力を確実に維持できるのだ。
ナターリアは知らず知らずのうちに、ネルファの策に嵌っていたのだが……別に知らないままでいいのだろう。
「私の妻はね、フルーツが好きだったんだ。それも、ドライフルーツが、ね」
「ドライフルーツ……?」
ナターリアが心を込めて仕込んださまざまなドライフルーツをニコラスは領民たちに真似させて量産した。
フルーツマクス辺境伯領は年間を通して、リンゴやナシ、ブドウ、モモ、オレンジやビワなどさまざまな果物が手に入る。
だが最大の消費地となる王都からはもっとも遠いため、商材として出荷することができるのは近隣の領地までだった。
王都へ出荷できるものはワインくらいしかなかったのだ。
それを変えたのがドライフルーツだ。
収穫したままの果物とちがって日持ちがいい。よすぎるくらいに。
大きさも変わるし、形も変わる。そもそも商品とはならない形の悪いものが全部形を変えることで商品になっていったのだ。
さらにナターリアはそのドライフルーツを使ったパンやケーキも披露した。その美味しさといったらもう言葉では表現できないくらいのものだった。
もちろんそれをニコラスは領民たちにも伝えて、広めた。
そして、王都にもパン屋やケーキ屋を出店したのだ。
これが大成功となり、王都の社交界での流行となった。それも貴族の女性陣の、である。
貴族女性の人気を手にすると、それはもう大きな金額が動く。驚くほどの。
「ナターリアのドライフルーツはこの辺境に貴重な娯楽と安らぎを与えてくれた。もともと事務仕事だけでも彼女の助けで領地の財政は改善したというのに、それ以上の利益をドライフルーツ事業は与えてくれたのさ。私の妻は、単なる花嫁ではなく、最高のパートナーだよ」
「……それならあの家からは支援を求められているんじゃないかい?」
「ああ、そういう手紙は届くけれど、全て私が握りつぶしているよ。あちらには死なない程度の支援はしているのだし、ナターリアには気兼ねなくここにいてほしいからね。フフフ」
フフフと笑ったニコラスの顔はひとつも笑っていなかった。
ネルファは苦笑した。
「それにしても、君がそこまでのろけるとは……これは私も惜しいことをしたかもしれないな」
「……私からナターリアを奪おうというのなら、相手が君でも一戦交えるつもりだが?」
「いや、そんなつもりはない。王国の武の象徴と戦ってどうする? さて、甘いにおいをさせるふたりの邪魔は無粋なようだ。私は帰るとするよ」
ニコラスのナターリアへの揺るぎないだけでなく極度に重たい愛情を感じたネルファ・ハドソン公爵は逃げるように帰っていくのだった。おかしいな? 私のお陰で結婚できたはずなのに……と思いながら。
どうやら甘い制裁の「甘い」の意味が姉のナターリアにだけは色々と別物だったらしい。全部ニコラスが悪い。
「……あら、旦那さま。公爵閣下は?」
「もう帰ったよ。彼がみるとナターリアが減るから会わせたくないと伝えたらすぐにあきらめてくれたんだ」
「また、そのようなご冗談をおっしゃらないで。気をつけないと冗談が本当になるかもしれませんよ?」
「大丈夫だよ。冗談ではなく本気で言ってるからね」
そんなやりとりをしながらニコラスの隣に座ったナターリアのおなかは大きい。
新たな命がそこに宿っているのだ。
ニコラスはナターリアの頭を優しく撫でた。
それが気持ちよくてナターリアは微笑んだ。そこには幸福な時間があった。
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