誰の記憶にも残らない光
パソコンのモニターに映る白い検索窓が、部屋の明かりよりまぶしくて、
わたしは視線をそこに置いたまま、しばらく何も打ち込めずにいた。
指が、少し震えてる。
画面の前で「タヒに方」と検索した履歴が、いくつも並んでいるのが見えた。
何度も調べた。
痛くない方法、確実なやり方、誰にも見つからない場所。
でも結局、それを読めば読むほど、身体のどこかがざわついて、
わたしはずっと“準備中”のままだった。
消えるにも、いろんな種類があるらしい。
痛いもの、静かなもの、一瞬で終わるもの、終わらないもの。
…ネットが教えてくれた。そんな“消え方の比較”なんて。
無機質な言葉がいくつも並んでいて、
どれも“情報”のはずなのに、読んでいると感情がじわじわと満ちてくる。
この人たちは、どうしてそんなことを知っているんだろう。
試したんだろうか。本当に?
人は消えてしまったら、生き返らないはずなのに。
誰にも「どうだった?」なんて聞けないのに。
生きてるってことは、未遂だったってこと。あるいは失敗したか。
じゃあ“それ”を語る資格って、どこまであるんだろう。
誰かの最後の直前が、ただの文章になって、
冷静な口調で解析されて、
それをわたしは、暗闇の中で読んでいる。
ネットの匿名の言葉は、どこまでも正しげで、どこまでも無責任だった。
誰が書いたのかもわからない、けれど読んでしまったわたしには、
どこか信じてしまいそうになるほどの現実味があって、怖かった。
生き返った人なんて、本当はいないはずなのに。
「痛いよ」「苦しいよ」「やめとけ」っていう投稿に、
なぜか、妙な重さと説得力を感じてしまうのは、
そこに残った“未遂の声”が、“失敗の声”が、
どこか自分と同じ場所にいたかもしれないからだと思う。
でも、知ってるようで、誰も知らない。
誰にも“本当の最後”のことなんて、わからない。
それなのに人は、死について語る。
語れる言葉を探し続けてる。
たぶん、それくらいに「生きるってこと」が、
いつも“終わり”と隣り合わせだからなんだと思う。
わたしも、今こうして画面の前で思ってる。
知りたくないけど、知りたい。
分からないままでいたいけど、
誰かに「こうだったよ」って言ってほしい。
その事実だけで、自分の存在がぼんやりと輪郭をなくしていく気がした。
モニターの下で、わたしの手のひらはぬるく湿っていて、部屋の空気が、変に静かだった。
リビングでテレビの音が聞こえる。
日常の音が、今のわたしには異世界のノイズみたいに響いて、
わたしは、自分がすごく遠くまで来てしまった気がした。
椅子に深く腰を沈めると、背中が痛くて、
いつの間にかこんなに力が入ってたんだって気づく。
心も、体も、ずっと緊張してた。
「ここまで来た」っていう場所まで、自分を連れてきたけど、その先へは、どうしても進めなかった。
さっきまで屋上にいた。
たとえ痛くても、一瞬で終われるなら、それでもいいと思ってた。
けど、屋上の縁に立つと、足がすくんだ。
身体が、やめてって言った。
心は終わりたがっているのに、
なぜかこの体は、生きようとしてしまう。
怖くて仕方なかった。
風の音がやけに大きくて、
雲が流れる速度が、いつもより速い気がした。
風の音と、街の明かりと、わたしの震える手。
すべてが、あまりにも“本当”すぎて、
現実に戻った今のこの空間のほうが、むしろ夢みたいだった。
でも戻ってきた。
こうしてモニターの前にいて、検索履歴を前に、《《まだ》》生きてるって思ってる。
消えたいのに、
消えることばかり考えてるのに、
どうしてまだ、パソコンの電源を切ってないんだろう。
カチカチと無意味にマウスを動かしながら、
わたしは“このまま朝が来てしまえばいい”と願うような気持ちで、画面を見つめていた。
こんな夜でも、
“飛べなかった理由”とか。
“次はどの方法を試してみようか”とか。
わたしは何かを探してしまってる。
そんなものを、検索してしまいそうで、
キーボードに手を伸ばすのが、少しだけ怖かった。




