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消えた灯

作者: 月城 葵



 朝は嫌いだ。特に徹夜明けの朝はなおさらだ。


 宿舎の扉を開けると、冷えた空気が顔面に直撃した。

 目が覚めるどころか、逆に布団に戻りたくなる。そこで戻れば間違いなく一日が終わるので、しぶしぶ足を前に出す。


 階段を降りたところで、管理人の婆さんに捕まった。

 俺の顔を見て「ずいぶん具合悪そうだねぇ」なんて言ってくる。

 そりゃ、徹夜明けにバラ色の頬してたら逆に怖いわ。


 通りに出れば、自由都市ペテルの朝はとっくにスタートしていた。

 八百屋の親父が「今日のは畑直送だ!」と大声を張り上げる。主婦は洗濯物を干しながら、風の精霊をこき使って布をばさばさ揺らしている。おまけに子供どもが光魔法で火花を飛ばして遊んでいた。


 ……通行人をビビらせる遊びをやめろ。


 平和な朝だ。少なくとも、俺が昨夜見たもんを知ってれば、そんなに無邪気にはしゃげないだろうけどな。


 石畳を踏んで中央通りを抜ける。露天のパン屋の親父に「おう、アルディン!」と声をかけられ、焼きたてを差し出された。ありがたいけど今はパス。俺は調査員であって、食レポ担当じゃない。


 さて、ギルド本部に到着だ。外からでも分かる賑わい。あれは喧噪というより騒音に近い。

 命をかけて稼ぐ連中と、命を落として借金だけ残した仲間のために稼ぐ連中が同じ建物に出入りするんだから、そりゃ空気も重たい。


 ……まあ、俺にとっちゃただの職場だ。


 重い扉を押し開けると、いつものカオスが展開されていた。

 カウンターではカエデが百点満点の笑顔で冒険者相手に愛想を振りまいている。

 俺に向けたときだけ、ほんの少し角度が甘いのは、気のせいだと信じたい。


「アル、こっちだ」


 背中に声が飛んでくる。振り向けば、マルセル課長が手を振っていた。


 ……はい、目の下のクマも健在。


 あの顔を見ただけで今日の終わりが透けて見える気がするのは、俺の職業病だろうか。


「顔色悪いな、寝てないのか?」


 課長の第一声がそれだ。

 鏡見なくても分かってる。俺が元気そうに見えたら、そのほうがホラーだろ。


「で、今度は何です?」

「港の灯だ」

「……灯?」

「夜になると、火が勝手に消えるらしい」


 課長は机の上の書類をとんとんと揃えながら、吐き捨てるように言った。


「商人も漁師も大騒ぎだ。『妖精のいたずらだ』なんて噂が広がってる」

「妖精ねぇ……。そんなロマンチックなもんじゃない気がしますけど」

「だから、な?」


 はい、来ましたよ。徹夜明けの俺に、追加業務。

 冒険者連中は「火が消えるなんて怪談めいて嫌だ」と逃げ腰。結果、残ったのは調査員。つまり俺だ。


 ……役得ってやつか? 違うな。


 課長から任務を押し付けられた俺は、ため息まじりにギルドを出た。

 と、その出口でばったり同僚のナックと鉢合わせした。


「よう、アル! 今日も元気にお仕事か?」


 満面の笑顔で手を振ってくる。声はでかいし、態度は軽い。徹夜明けの身にそのテンションは毒だ。


「ああ、まあな」


 適当に返す。こっちは雑務を押し付けられた直後なんだ。お前の陽気さを分けてもらえる気分じゃない。


 ……にしても、あいつ元気だな。


 つい先週は「幽霊屋敷だ!」なんて騒いで、鼻水垂らして逃げ帰ってきたくせに。

 ギルド中の笑い者になったのを、もう忘れたのか。ある意味、羨ましい神経してやがる。


「じゃ、俺は朝飯いってくるわ! またな!」


 肩を軽く叩いて去っていくナック。背中が遠ざかるのを見送りながら、俺は思う。


 ……こいつの元気さと図太さだけは、いつか欲しいもんだ。



 ◇ ◆ ◇



 何が出るかはわからない。準備を怠らないのも調査員の仕事だ。

 もう昼過ぎなわけだが、決してサボっていたわけじゃない。

 さて、道具の調達も終わったことだし、さっさと向かうとしよう。

 

 港までは中央通りを抜けて石畳の坂を下る。


 通りには荷車を押す商人や、漁から戻った魚籠を担ぐ男たちが行き交い、潮の匂いが風に混ざり始めていた。

 ペテルの街は、朝から晩まで「稼ぐための音」が響いている。

 俺も仕事に向かっているはずなんだが……どうしてこう、気が重いんだろうな。


 潮の匂いが強くなってきたあたりで、港の喧騒が耳に飛び込んできた。

 魚を並べる声や船乗りの怒鳴り声に混じって、ひときわデカい口論が聞こえる。


 ……ああ、現場はあそこだな。


 到着する前から胃が重い。いや、胃じゃないな、足取りか。


「だからよ! 灯が消えたのは管理の怠慢だろ!」

「違う! 俺はちゃんと火を点けたんだ!」


 漁師と商人が顔を真っ赤にして怒鳴り合っていた。

 片方は魚臭い格好、もう片方は香水ぷんぷんの上着。水と油がぶつかればこうなる。混ざる余地なんて最初からなかった。


 その横で、若い娘が必死に割って入ろうとしていた。


「お願いです、父の代からずっと続けてきた仕事です! 私たちはちゃんと火を点けたんです!」


 涙目で訴える娘。健気だが、説得力はゼロだ。声は震えてるし、手はぎゅっと握りしめて真っ白だし。これじゃ「私は怪しいです」と自己紹介してるようなもんだ。


「おいおい、やめろやめろ。港で殴り合いなんて見物料は取れないぞ」


 思わず口が勝手に出た。案の定、二人の男は俺を訝しげに見た。知らないやつがいきなり割って入れば当然だ。


「ギルドの者です。灯の件で調べに来ました」


 仕方なく真面目に名乗ると、二人は少しだけ声を落とした。険悪さは相変わらずだが、少なくとも俺に殴りかかってくる気配はない。

 よしよし、今日は徹夜明けなんだから、余計な戦闘イベントは勘弁してくれ。


「とりあえず現場を見せてもらえますか」


 俺が娘に声をかけると、彼女は泣きそうな顔のままこくりと頷き、港の突端に建つ灯台へと歩き出した。


 小さな石造りの塔に登り、火皿を確認する。

 油は十分残っている。風避けの板も壊れていない。芯もまだ燃える状態だ。


 ……にもかかわらず、炎だけが消えている。


「なるほど。課長の言った通りか」


 ぼやきながら空を仰ぐと、夕日が沈みかけて港を赤く染めていた。

 もうすぐ夜だ。これでまた勝手に火が消えれば、妖精だろうが幽霊だろうが、証拠写真代わりになるだろうな。カメラがあれば、の話だけど。



 ◇ ◆ ◇



 日は沈み、港はすっかり夜の顔になった。漁師の怒鳴り声も消え、残ったのは潮の匂いと波の音だけ。静かすぎて逆に落ち着かない。


 俺は灯台の上で、火皿の前にしゃがみこんでいた。

 さっき点け直した炎がゆらゆら揺れている。油も風除けも完璧、あとは消える瞬間を待つだけ。徹夜明けで、こんな残業してる自分に拍手を送りたい。


 下から娘の視線を感じる。彼女は塔の根元で、心配そうにこっちを見上げていた。


 ……おい、そんなに見つめられても、俺は炎と会話できるタイプの人間じゃないぞ。


 しばらく待っていると、火がふっと小さく揺れた。風はない。だが炎が吸い込まれるように細くなり――次の瞬間、消えた。


「……マジかよ」


 俺は火皿をのぞき込む。油はしっかり残っている。芯もまだ黒くなっていない。自然に消える条件はゼロだ。


 そのとき、背筋をなぞるような冷たい感覚が走った。温度が下がったわけじゃない。ただ、空気が急に重くなった気がする。


 ……やれやれ、こういうのは冒険者の領分じゃなかったのか?


 視界の端で、光でも影でもない何かが揺らいだ。俺は息を殺して耳を澄ます。波音の合間に、かすかな囁きが混ざっていた。


「……娘に……」


 耳の奥に響くような声だった。

 俺は思わず顔をしかめる。


「……おいおい。今度は“妖精のいたずら”じゃなく“幽霊のひとりごと”かよ」


 囁き声のあと、炎が消えた火皿の上に、淡い光がにじみ出した。

 最初は月明かりの反射かと思った。だが、それは形を持ち始め、やがて人影の輪郭を描く。


 ぼんやりとした光の中に、背を少し丸めた男の姿。粗末な外套の影、肩には縄の痕……見覚えがある。いや、見たことはないはずだが、誰なのかは分かった。


 ――灯台守。娘が「父の代から」と言っていた、その人だ。


「……やっぱり幽霊かよ」


 口が勝手に動いた。目の前の光は特に反論しない。ただ、炎の代わりにゆらゆらと揺れながら、俺をじっと見ていた。


「娘に……伝えてほしい」


 声は風に混じるようにかすれているのに、不思議と耳にははっきり届いた。


「……結婚、おめでとう、と」


 一瞬、言葉が出なかった。

 てっきり「灯を絶やすな」とか「仕事を継げ」とか、そういう説教じみたことを言うのかと思ったのに。出てきたのは、ただの父親としてのひと言だった。


「……あんた、それだけのために毎晩火を消してんのか?」


 俺がぼやくと、光の影は小さく頷いた。


 なるほどね。娘に会いたいけど会えない。だから火を消してでも気づかせようとした。


 ……やれやれ、泣ける話じゃねぇか。


 俺は火皿から視線を外し、下にいる娘に声をかけた。


「おーい、ちょっと上がってきてもらえるか」


 娘は不安そうにこちらを見ていたが、おずおずと階段を上ってきた。火が消えたのを目にして、さらに青ざめた顔になっている。


「ご、ごめんなさい! 私、ちゃんと……」

「落ち着け。お前のせいじゃない」


 言いながら、俺は火皿の上に浮かぶ淡い光をちらりと見やった。娘には見えていないらしい。だが、じっとこちらを見つめる気配は確かにある。


「……お前の親父さんな、まだここにいるんだ」

「え……? そんな……」


 娘は首を振った。涙声ではあるが、信じられないという顔だ。そりゃそうだ、俺だって他人に言われたら頭おかしいと思う。


「父は去年亡くなって……それで……あの」


 そういうことか。親父さんは、それで伝えたかっただけか。


「『結婚おめでとう』って言ってるぞ」

「……え? で、でも……」


 娘の瞳が揺れた。俺は肩をすくめて続ける。


「あと、『灯台の階段をよく抜け出して港を見に行っただろう』だってさ。小さい頃に、な」


 娘がはっと息を呑んだ。

 さっきの光がふっと揺れ、まるで頷いたみたいに見えた。


「そんなこと……家族しか知らないのに……」


 娘の目が大きく見開かれ、次の瞬間、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。


「……お父さん……!」


 娘は涙を袖でごしごし拭うと、震える手で火打ち石を取り出した。


「お父さん……もう一度、ちゃんと灯します」


 カチリ、と音がして火花が散る。何度か空振りしながらも、ようやく芯に火が移った。小さな炎がゆらりと揺れ、やがて油に吸い込まれて大きく燃え上がる。


 その瞬間、港の空気が変わった。

 炎はただの灯りじゃなく、まるで父親の笑顔の代わりみたいに、塔の上で力強く輝いていた。


「……ありがとう、お父さん」


 娘がそっと呟く。


 淡い光――灯台守の幽霊は、しばし炎を見つめていたが、やがて静かに揺らいで薄れていった。港に吹く夜風に溶けるように消えていき、もう気配も残っていない。


 俺はしばらく無言で炎を見ていた。

 徹夜明けの頭にはちと重い出来事だが……まあ、たまにはこういうのも悪くない。


 ……泣かせやがって。俺には残業代なんか出ないんだぞ。


 心の中でぼやきながら、灯火の明かりに背を向けた。



 ◇ ◆ ◇



 港の灯火が再び安定して燃え続けるのを確認してから、俺は塔を降りた。

 幽霊の気配はもうなく、残ったのは静かな炎と、ぐったり泣き疲れた娘だけ。

 肩を軽く叩いて「大丈夫だ」とだけ告げ、俺は港を後にした。


 石畳を踏んで中央通りへ戻るころには、空は群青色に染まり、街灯の光が一つ、また一つと灯っていた。


 ペテルの夜はこれからが本番だ。酒場から笑い声が漏れ、屋台からは香ばしい匂いが漂ってくる。腹は減ったが、まずは報告が先だ。


 ギルドに近づくと、中から冒険者たちの喧噪が漏れてきた。昼間とはまた違う騒がしさだ。


 依頼帰りの連中が酒を煽り、成功談を大げさに吹聴し、失敗談は三倍に膨らませて笑い飛ばす。あれを“日報”としてまとめられたら、俺の仕事は三倍どころじゃ済まなくなる。


 重い扉を押し開ければ、夜のギルドはまさに混沌。

 酒と汗と香辛料の匂いが混じった空気に、思わず顔をしかめる。

 受付のカエデは、昼間と同じ笑顔を保ちながらも、心なしか目の下にクマができている気がした。


 ……仲間だな。


「戻りました。港の件、片付きました」


 俺は課長の机に向かい、報告書の下書きを差し出した。


「おう、どうだった?」


 課長は机に肘をついたまま、目の下のクマをさらに濃くして俺を見上げてきた。夕刻のギルドの騒がしさも、まるで耳に入っていないらしい。


「港の灯、原因は……まあ、幽霊絡みでした」

「……は?」


 課長の片眉がぴくりと上がる。


「詳細は報告書にまとめます。要約すると、亡くなった灯台守の霊が、娘に『結婚おめでとう』を伝えたくて火を消してたってオチです」


 俺が肩をすくめながら答えると、課長は大きなため息をついた。


「……事故で済んでよかった、ってことにしておけ」

「ですよねぇ」


 ……え~っと、港の灯。異常なしっと。


 俺は報告書の紙束を机に置いたところで――。


「課長、戻りました~!」


 陽気な声がギルドの扉から飛び込んできた。ナックだ。両手をぶんぶん振って、まるで遠足帰りの子供みたいに。


「どうだった?」課長の声がすぐ飛ぶ。


「猪にまたがったゴブリンが三匹。村への被害はありません。本体は十五匹程かと」

「村への対処は?」

「魔物除け三日分、渡しておきました」

「じゃあ、クエスト貼っとけ」

「は~い!」


 ナックは軽快にカウンターへ走っていく。その背中を見送りながら、俺はため息をひとつ。


 ……同僚は猪ゴブリン調査、俺は幽霊の親心の仲介。バランスがいいんだか悪いんだか。


 酒場スペースでは誰かがテーブルをひっくり返し、カエデの「やめてくださーい!」という叫びが響く。


 ……あれも結局、俺が報告書にまとめることになるんだろうな。


「じゃあ課長、俺はこれで」

「おい待て、まだ――」


 背後で課長の声が追ってきたが、俺はそそくさと足を速めた。


 ……徹夜明けに、幽霊の親心まで仲介させられる調査員の身にもなってくれ。


 俺は夜のペテルの街に出ながら、心底ぼやいた。


 まぁ、冒険者なんかやるよりは――俺にはこれぐらいがちょうどいい。










ここまで拙い文を読んでいただきありがとうございます!

ほぼ、勢いで書きました。


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