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第30話 聖人。の巻!



 アンジーがビケサンの手を少し持ち上げる。手首は力なくグニャリと曲がり、その先の手は柔らかく揺れている。


 手にできた硬いマメも、柔らかく揺れている。努力の結晶が無力に揺れている。


「ビケサンは真面目な男だった。素振りを誰よりもしていた。いつでも真面目で正しくて、もはや聖人と呼ぶにふさわしい。そんな奴だった」


 アンジーは手を戻し、寝ながら気をつけをさせた。それがビケサンらしいと思って。


「ビケサンは本当に真面目で、軍のマラソン大会で、仲間たちに、

「近道を使っちゃおう」

と言われた時も断った。だが、

「仲間同士のルールや絆というのもある。それは隊にとって大事だぞ」

と言われ、

「それは確かに」

と言って、近道を使った。しかしその後、一人で近道を戻り、正規のルートを走り直したのだ」


「確かに、それはめちゃくちゃ真面目ですね」


「あと、角を曲がるときに90度で曲がったし」


「そ…それは真面目なんですか??」


「真面目過ぎて90度を超えて70度で曲がったこともある」


「ははん!?度数が低いほど真面目なんですね?」


「アハハハハ」


(名推理!みたいな感じでツッコんでみた)


「近くにいた馬がその鋭角さに驚いて暴れて、危うく轢かれそうになっていたからな」


(轢かれたら異世界転移したんだろうか?)


「真面目過ぎて0度だったこともある」


「それはただのUターンですね」


「アハハハハハハハ」


(よし!ちゃんとツッコんで受けた)



 アンジーがあごに手を当てて、斜め上を見て、何かを思い出そうとしている。


「あれはいったい何に怒っていたのだろう?…なんで怒っていたのかは忘れたが、その日、私は部下たちに怒って、

「一生素振りでもしてろ!」

と言って、稽古場を出て行った。

まあ、出て行ったところで、やることがないので、稽古場の近くで飼っている犬と遊んだ。

犬の名前はスタッフといって、みんなはかわいくないと言っているのだが、私はかわいいと思う。

スタッフは逃げないし、私が、

「スタッフーーーーッ!!スタッフーーーーッ!!」

と呼ぶとすぐに駆け寄ってきた。かわいい。圧倒的。

かわいすぎて、数時間が立っていて、私が稽古場に戻ると、ビケサン一人だけが素振りをしていた。

「お、おまえ……ずっと素振りをしていたのか?」

と私が言うと、ビケサンは素振りを止めずに、

「はい…隊長に…言われたので…それに…自分の…ためですから…」

と答えた。

私は興味がわいてしまった。私の中の天使と悪魔が戦い、悪魔が勝って、私は、

「えー、じゃあじゃあ、一生反復横跳びでもしてろ!」

と、言ってみた。言ってみて、また稽古場を出た。

そしてまたスタッフと二時間くらい遊び、稽古場に戻ると、兵士たちが、みんなで床を掃除していた。ビケサンは

「すいません。トラブルがあって、反復横跳びを中断してしまいました。本当に申し訳ありません」

と言った。

後日、話を聞くと、仲間たち(後ろで指パッチン指差しをしている奴ら)が来てくれたという」


(まだ指パッチン指差しの練習やってたのか…みんなイケメン風の顔でやっているのでさすがに気持ち悪い。話を邪魔しないように、音の出ないサイレント指パッチンに進化してるし…)


「仲間たちはイイ奴だけどアホなので」


「ほら、言われてるぞ」


「「「ありがとうございます!」」」


「なんでだよっ!」


「アハハハハ」


(なんか…大人のちょっとしたコミュニケーション、みたいな笑いをやってしまった)


「ビケサンはアホたちに、

「隊長から反復横跳びの指示が出ている。お前たちも一緒にやろう」

と言ったが、仲間たちは、

「でも、俺たちはその指示を聞いてないからな…」

と言ったので、

「なら、素振りをやめていいという指示も受けていないはずだ」

と言うと、

「いやいやいや、我々はもう反復横跳びという次のステップに乗り遅れたから、今はもう素振りの時代じゃないよね。「えっ?まだ素振りやってるの」って言われちゃうから…」

と、動揺した。

「そんなことより、ほらほら、疲れただろう。水を持ってきたぞ。飲め」

と言って、カップになみなみと注がれた水を、反復横跳び中のビケサンに渡してきた。

予想通り。水の半分はビケサンが飲み。残りの半分は床にばらまかれた。

ビケサンは、足を滑らせて転びそうになったので、

「すまない。雑巾を持ってきてくれ」

と言って、反復横跳びをしながら床を拭き始めた。

仲間に頼めばいいと思うのだが、

「自分でぶちまけた水は自分で拭く」

と言って、ちょっとずつ床の水を拭いた。

仲間たちはその真面目さに感動し、

「腹が減っただろう。何か持ってくる」

と言って稽古場を出る。

しばらくして、食べ物を持って帰ってきた。卵かけご飯だった。

仲間たちは茶碗に入った白米をビケサンに渡し、その上に卵を割ろうとした。

ここで問題が起こった。

ご飯が動くのだ」


「もう、いやな予感しかしないじゃないですか」


「アハハハハ」


「ものすごいスピードだった。

ビケサンは私からの指示に対して、手を抜くような男ではない。歴史上、こんなにも横移動を繰り返す白米を私は知らない。

「うおおおぉぉ!!!速すぎるぅぅぅっ!!どうしたらいいんだああぁぁぁっっっ!!!!」

卵を割ろうとしている仲間が叫んだ!恐怖で手が動かない!眼球も左右の動きで披露している!ちょっと泣きそう!!!

「行け!がんばれ!タイミングだ!タイミングを体に刻むんだ!!」

仲間の応援が勇気になった。覚悟を決める!

「行くぞっ!!」

しかし、ビケサンの胸には私の指示が燃えている。速度が緩むことはない。顔も真顔だ。白米を持って反復横跳びしている男史上、最も凛々しい顔をしていただろう」


「いや、どこの図書館で、『白米を持って反復横跳びしている男史』見れるんですか」


「アハハハハ」


「「うおおおぉぉ!!!」

と、卵割り担当の仲間は、タイミングに注意して卵を割った。

「行けーーーっ!!」

醤油かけ担当の仲間も、醤油を構えたまま叫んだ。

…………………。

…………………。

…………………。

卵は床に落ちた」


「ほらーーー!」


「アハハハハ」


(ウケた。ちゃんとしたツッコミではないけどウケた)


「その時!指がパチンと鳴った。仲間の中にタケボンがいたのだ。

「いったん落ち着こう」

ビケサンと白米以外のみんなは、いったん落ち着く。

「まず、床に落ちた卵は食べられない、つまりは、もったいないということだ」

「おお、そうだ、ではどうすればいいのだ」

「そこでだ、落ちる床にもう一つのご飯を置いておけば、もし、ビケサンのご飯に卵がかからなかったとしても、下のご飯で卵かけご飯が完成し、我々のだれかが食べることができ、無駄にはならない」

「おお、確かに。すばらしい。俺が食べるぞ」

もう一つ白米が用意され、床に置かれる。

「準備は整った。いざ、卵を割る!」

ビケサンが持っているごはんの表面が、ちょっと乾き始めている」


「売れない回転寿司じゃないんだから!」


「?????」


(しまった、この世界に回転寿司はなかったか…)


「「2度目のチャレンジだ!今回はうまくいく気がするぜ!」

卵割り担当は、保険ご飯のおかげで強気になっている。

体もビートを刻んでいる。

リズムに合わせて卵を割る。

…しかし卵は、ビケサンのご飯にはかからなかった。

「大丈夫!下にもご飯はある!」

そして、

「やった!とらえた!!」

下ご飯が見事に卵をキャッチした!

そこにすかさず、醤油かけ担当が醤油をかけ、卵かけご飯は完成する。が、その瞬間、

「ああああっ!!」

ビケサンが、完成した卵かけご飯を蹴ったのだ!

ここまで休まずに反復横跳びを続けてきた疲れと、なかなか卵かけご飯を食べられないショックでよろけたビケサンの足が、床の上で完成したばかりの卵かけご飯を蹴飛ばしてしまったのだ!」


「もう!何やってんだおまえら!」


「アハハハハハハハ」


(普段使わない言葉遣いになってしまった。でも、ウケた!)


「卵かけご飯は、稽古場の床にぶちまけられた。

〈※床に落ちた食べ物は、後でスタッフがおいしくいただきました。〉

結局。

ご飯に卵としょう油をかけて、完成した状態の卵かけご飯をビケサンに渡して、食べることに成功したという」


「最初からそうしてください」


「アハハハハハハ」


「ちょっと考えればそれくらいわかるでしょ……特にタケボン!」


「アハハハハハハハハハハ」




(ウケた)



 アンジーが拳を強く握っている。


「ビケサンは誰よりも正しく、努力して努力して、死んだ。死にたくなくて、たくさん努力して、死んだ。私が救いたいのはこの男の努力だ。なんでかっていうと、それはとても美しかったから…変な話かもしれないが、私はこの男の努力を自慢したいんだ。まるで自分の手柄のように」



「…いやいや、なんでアンジーさんが」



「アハハハハハハハハハハハハハハハハハ」




 みんな、泣くほど笑っていた。



 みんな、みんな、泣くほど笑っていた。






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