第13話 ハイタッチ② の巻!
アンジーが一歩を踏み出す。その時に蹴られた、足元のめくれ上がった土がちょっとだけ空を飛び、ハルマキにはそれがスローモーションのように見えていた。
小さなアンジーの一歩を、こんなに大きく感じたことはない。
押し寄せる壁のように容赦なく、絶望的に近づいてくるのだ。
(逃げ出すことはできないのだろうか?)
ハルマキは考える。その頭の中。
「すいません。おばあちゃんの遺言で、ハイタッチはできないんです」と言ってみるか。
「おばあちゃんに何があったの?」と聞かれるかもしれない。言い訳を考えなければ…
「おばあちゃんは子供のころ、父親のハイタッチに苦しめられて、そのせいで両親は離婚、母親も「ハイタッチさえなければいい人なのに」と言っていつも泣いていたそうです」…いや、どんな家族だ。
野生のハイタッチに足をかまれた?ハイタッチを食べてお腹を壊した?もう、わけが分からん。やはり逃げるのはやめよう。なにより、おばあちゃんはまだ生きている。
(やるしかないのか。もう、覚悟を決めよう)
アンジーが近づいてくる。
(どう迎え撃つ?こちら側も進むべきか?いや、こちら側からも進めば、相対的なスピードは増加し、ミッションはより難易度を増す。さらに、歩くことにより、体の安定性も失われ、ミートする確率はさらに低下する。ここは待とう)
ハルマキの脳内ではゴジラっぽい音楽が流れ、歩いてくるアンジーの姿に合わせて「ズシン、ズシン」と効果音が響いている。
まず、コントロール問題がある。
自分の手を、見ている場所に正確に動かせるかだ。
さすがに若い頃だったらできたであろうが、今は元々の運動神経の悪さに加え年齢からくる衰えも加わり、自分の手をイメージ通りに動かす自信がなかった。
ハルマキが、いやな記憶を思い出す。
◇◇◇
先日、お笑いコンビ『PK王』の山下君と一緒の楽屋になった。そこには山下君の後輩たちもたくさんいて
「ペットボトルのお茶余ってるから、飲みたい奴手を上げろ」
と言って、後輩たちに投げわたしていた。
「私にもくれませんか」
今、考えれば敬語だったせいもあるのかもしれない。
山下君は、本当はとても優しくて気が利く後輩で、先輩芸人に物を投げて渡すなんてことは絶対にしないのだが、その時は、後輩芸人に投げわたしている動きのまま、先輩芸人のハルマキにもペットボトルを投げてきた。
空中にペットボトルがある。それを見て、そこに手を移動させ、手を閉じる、それだけでキャッチできるはずだった。
だが、ハルマキの手は空中をつかみ、ペットボトルはハルマキの顔面に直撃した。
あの時の悪夢がよみがえる。
PK王の山下君は、額を床にこすりつけながら、土下座で謝罪していた。可哀そうなことをしてしまった。
◇◇◇
パワー問題はどうだろう?アンジーのあの小さな手に、全力でハイタッチしていいのだろうか?変な角度で迎え撃って、骨と骨がぶつかったりしないだろうか?
いや、でもアンジーは戦士だ。ちゃんと鍛えられていて、イタコスキルを使う前でもそれなりに戦える力はある。衰えたハルマキよりははるかに強いパワーを持っている。これは気にしなくてもいいだろう。
(待てよ……ハイタッチが成功したとして、その時、私は何と言えばいいのだ?「フゥーーッ!」か「イェーイ!」の二択だろうか?どちらも私には似つかわしくない。ものまねのキャラクターとして言ったことはある気がするが、プライベートでそれらの発言をしたことはない)
ハルマキの皮算用が始まった。ちなみに、関係ない話だが、「余った春巻きの皮」で検索すると、200以上のレシピが出てくる。
(そういえば、さっきのハムカツは何と言っていたのだろう?全く思い出せない。無言でもいいのか?いや、真顔で無言でハイタッチ?…うーん、少し怖いかも…)
ハルマキは、なんとか自分に合ったワードがないか考える。
(「やったぜ!」はどうだろう)
想像してみる………。
(ちょっと、主人公感が強すぎるかもしれない。「どうも…」くらいでいいのだろうか?いや、いくらなんでもハイタッチというパリピムーブとの整合性が取れていない。もうちょっと若さが必要か?)
ハルマキが、ちょっとだけ若いイケメン風の顔をしている。
(「ヤバいぜ!」…とかどうだろう?うーん、なんかすごく不自然。おそらく、アンジーさんも「気持ち悪い」と思うだろう…。「ヤッホー」くらいでどうだろうか?ああダメだ、時間がない。もう全然分からない。もういい。「ヤッホー」でいこう)
そして、アンジーの移動が完了した。
永遠とも思える時間がやっと終わったのだ。その移動距離、7.5歩。
アンジーがハルマキの前に立つ。