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第1話  こんばんは、ハルマキです。の巻!

 もしも、これがゲームの世界で、この表情筋が上腕二頭筋だったら…この男はきっとラスボスをも一撃で倒す戦士であったろう。


 そんなLv.99の表情筋を持つ、ものまね芸人のハルマキは、楽屋の鏡の前で顔面をスライムのようにドロドロに動かしていた。


「よし、こんなもんか」


 この顔面の準備運動が一つの「芸」と呼べるほどで、鏡には毎度のように、のぞき込む他の芸人の顔が映り込んでいた。



「ハルマキさん!お願いします!」



 ハルマキの出番だ。



「はい、よろしくお願いします」



 あいさつだけはきちんとしろと先輩芸人から教えられた。


 楽屋を出る。

 



「こんばんは、よろしくお願いします」



 50歳を超え、ベテランと呼ばれるハルマキだが、廊下ですれ違う見たことのない若いスタッフにも挨拶をする。「謙虚に生きて損はない」そう信じて生きてきた。



 

 ひとつ前の芸人のネタが続いている。


「これが終わったら、僕が出て行ってMCで呼び込みますんで」

 


 この若手芸人はハルマキの弟子である。




  ◇◇



 5年前のある日、街中を歩いているハルマキの前でいきなり


「弟子にしてください」


 と、男が土下座をした。


「やめなさい君。こんなところで」


 ハルマキは驚いている。


「弟子にしてもらうまで帰りませんっ!」


 声がでかい。何事かと人々が注目する。


「私は弟子なんて取るつもりはありません。申し訳ないが帰ってください」


「そこをなんとか。田舎から電車に揺られ、片道切符でやってきたんです。お願いします!」


 ハルマキは「ワードが古いな」と思ったが、ツッコまず、聞き分けもなさそうなので、そのまま立ち去ることにした。



 土下座をスルーされた男は、そのたび、ハルマキの前まで移動して土下座をするという動きを繰り返した。


 最終的に土下座をしたままハルマキに追いつくという技をマスターし、周りの人たちがその動きを見て「ちょっと気持ち悪い」と、SNSでバズりそうなくらい写真を撮っていたし、ハルマキも


(キモイんですけど~~っ!!)


と思ったので


「わかった、わかったから……話は聞いてやるからとりあえず立ってください」


 と言って、なんとか『【悲報】ハルマキの追っかけがヤバすぎる!』というネットニュースは回避できた。


「100%尊敬しています!」


ハルマキは、男の嘘のないまっすぐな思いを聞き、しばらくして弟子になることを認めた。



◇◇



 そらから5年の月日がたち、ハルマキは男に「ハムカツ」という芸名を与えて、ハムカツはハルマキのことを98%尊敬して、2%バカにするようになっていた。



 イケメンで、人前でのしゃべりは達者で、MCなどを任せると見事にこなす。


 しかし、残念ながらハムカツには、ものまねのセンスがまるでなかった。


 ハルマキも「ものまねは諦めてピン芸人になれ」と言っているのだが、師匠へのあこがれが強く、どうしてもものまねを諦められないという。


 ハルマキは「こいつを何とか一人前にしなければ…」という責任を感じていた。






「さあ、次はハルマキさんのものまねショーです!どーぞーー!」



 ハムカツのMCでステージに上がる。



「こんばんは、橋本雪男(はしもとゆきおとこ)です!」


 得意のものまねであっという間に客の心をつかむ。


 さらに、


「こんばんは、祝崎(いわいざき)ひよりです。それでは……音楽の方、大丈夫でしょうか?さあ、それでは聴いてください……『シャンデリア派手ルーム』」



 みんな笑っている。ベテランの確かな能力(チカラ)を見せつける。


 自分が何かをして、それに対してたくさんの人が大きなリアクションをとる。それが、ハルマキにとって最も幸せな瞬間だった。


 謙虚なハルマキだが、本心では、もっともっと大きなリアクションが欲しいと思っていた。








「しぇ……しぇ……しぇんしぇい……」


 出番を終えたハルマキは、楽屋に戻り、鏡の前に座っている。


「しぇ…しぇ…しぇん…しぇ……」


 安心してほしい。


 これはものまねの練習をしているのだ。


 学園ドラマだったろうか?若者に人気でちょっとクセのある俳優が、確かそんなセリフを言っていた。



 ハルマキの最近の悩みは、若い世代に向けたネタがないことだった。


 米酢ナイトのものまねをしてみたが、前髪で顔芸が封印されてしまうので諦めた。



「しぇ……しぇ……しぇ…………」



 「しぇ……」の声に合わせてグイっと下あごを突き出す。Lv.99表情筋を使いとてつもなく面白い顔をしている。


「ぶおっ!、お……お疲れさまでした」


 帰り際に挨拶に来た芸人も、思わず笑ってしまうほどの破壊力だ。





      「ちゃ~す」



 ハムカツの声が聞こえる。楽屋から少し離れたところで仲のいいスタッフに挨拶をしている声だろう。



「お疲れ様です。師匠」


「お疲れ様です。」


 ハルマキは、楽屋に入ってきたハムカツに、丁寧に挨拶をした。

 

「くくっ…」


 鏡の中の師匠を見たハムカツが、思わず笑いそうになる。



「しぇ……しぇ……ハムカツ、ちょっとそこに座りなさい。しぇ……しぇんしぇ……」



 ハムカツは重い空気を感じ、正座で座る。



「あの挨拶はどうなんだろうね……」



 さっきの「ちゃ~す」のことだ


「いや、でも、あれは仲のいいスタッフで……」


「しぇ……しぇんしぇい……」


「もちろん、ほかの芸人さんにはきちんと挨拶してます」


「うん、でも周りで見ている人は、その事情を知らないよね。周りで見ている人に……しぇ」



 説教を始めたハルマキだが、手ごたえがあるのか、練習をやめない。そして顔はめちゃくちゃに面白い。



「おまえが挨拶のできない人間だと思われないか、私は心配になってしまうんだよ。しぇ……しぇんしぇい……」


 その言葉を真剣に受け止めたいハムカツだが、人としての限界を突破したと思えるほどのふざけた表情で、真面目なことを言ってくるので、少しでも気を抜くと笑ってしまいそうになる。



「ぐぐっ……ぐぅっ……」(うひーーっ!「しぇんしぇい」ってなんだーーーっっ!!すごい顔で「しぇんしぇい」って言ってるーーっ!!…だめだ!だめだ!笑っちゃだめだ!!)


 ハムカツは必死に笑いをこらえっている。だが、鏡越しに見える師匠の顔はLv.99の攻撃力だ。



「しぇ……しぇ……しぇんしぇい……」



 (ぶひょーーーっっ!!な、なんでこの状況で練習を続けられるんだーーっ!!)


「わたしはね、いつも言われていましたよ。「挨拶だけはちゃんとしろ」って…しぇん輩芸人に…」


 (ぶひーーーーっっ!!!しぇんぱい芸人ーーーーっっ!!練習しすぎて「先輩」が「しぇんぱい」になってるーーーっっ!!)


「しぇんしぇい……しぇんしぇい……先生……しぇんしぇい……」


(ぐぐぅぅっっ!!急に普通に「先生」って言ったぁぁっ!!しかも素の顔でぇぇーーーっっ!!なんでぇぇーーっっ??!!ふっ…普通の「先生」がわからなくなっちゃったのぉぉーーっっ??!!ぶぶーーっっ!!)


 説教を始めてしまったが、今つかめそうなこの感覚を逃がすわけにはいかない。ハルマキも必死なのだ。


(やばい!やばい!このまま必殺パンチをもらい続けたらさすがに耐えられないっ!!)


 ハムカツはハルマキに聞こえない声で「助けて神様」とつぶやこうとして…


「助けて神しゃま……」


(神しゃまーーーっっ!!ぶひょーーーっっ!!自分で言っちゃいましたーーっっ!!自爆でしゅーーっっ!!自分に必殺パンチでしゅーーっっ!!ぶぶーーーーっっ!!)


「いいですか。挨拶というものは人間関係を作るうえでの、先制(しぇんしぇい)パンチなんです」


(しぇ……しぇ……しぇ……しぇんしぇいパンチーーーー!!!必殺パンチじゃなくてしぇんしぇいパンチだったぁぁーーー!!!ぶひょーーー!!!ぐひひ~~!!だめだ~~死ぬ~~……)


 ハムカツは笑いをガマンしすぎて涙を流している。

 それを見たハルマキは


「そんなに反省しているのか」


 と言い。


 ハムカツは


「は…はい……反しぇい…してましゅ」


 そう言って肩をブルブル震わせた。



「まあ、茶でも飲んで落ち着きなさい」


 そう言ってハルマキはうなだれて下を向いているハムカツの前にお茶を置く。


 お茶を口に含み顔を上げると目の前にハルマキの顔が…ハムカツはおもしろフェイスの0距離攻撃にガマンしきれず。


「ぶぶーーーーーーーっっっ!!!!」


 と、お茶を全部ふき出してしまう。ケルヒャーくらい吹き出してしまう。実際、ハルマキの毛穴の汚れもちょっと取れた。


「バカ!何しやがるっ!!」


 温厚なハルマキもさすがに怒って


「えい!」


 とハムカツを殴る。


 殴りなれていないのだろう。 猫パンチがハムカツの顔をなでるように振り下ろされた。


 ハムカツはまったくのノーダメージだったが


「痛ぇ」


 と、意をくみ取って『サービス痛ぇ』を言い。


「師匠をなめているからこんな目に合うのだぞ!」


 と、言ったハルマキは、ちょっと手首を痛めた。……でも、黙っていた。


 吹き出されたジャスミンティーで濡れた服を、ステージ衣装として持ってきていた服に着替え、「しぇ……しぇ……」を30分くらいやって、そして重い空気のまま2人で劇場を出る。


 ハルマキは、暴力をふるってしまったことを反省している。


 ハムカツも、元々、何について怒られていたのか、全く思い出せないことを反省している。


 


 沈黙の夜を歩く。駅まで少し遠いのだ。






「なんだ?」


「どうしました?師匠」


「何か聞こえないか?」


「……車?…トラックですかね?」



「いや違う、なにか…わたしを呼ぶ声が聞こえた気がしたんだ……」



「呼ぶ声……ですか。いや、気のせいですよ」


「頭の中で聞こえたんだ……わたしを呼ぶ声が……お前には聞こえなかったのか?」


「すいません。…聞こえてないです」


 確かに聞こえてはいなかった、それは嘘ではない、でも、実はハムカツには心当たりがあった。



 (ここ……中華料理屋の裏なんだよなぁ…)



 怒られて、ニャンコパンチをくらっているハムカツとしては、師匠が恥をかくようなことは言い出しにくく、餃子のいい匂いで


「ぐぅ~…」


 と、腹だけなった。


「うん、気のせいか…」


 と、ハルマキは自分を納得させて歩き出す。

 ハムカツもパタパタとついて行く。



 ハムカツが無意識に蹴った暗がりの石が、コロコロとよく転がって、野良猫を驚かせる。野良猫はトラックの前に飛び出して、トラックの運転手は慌ててハンドルを切る。


 トラックのライトで光るハムカツ。


「危ないっ!!」


 ハルマキがハムカツを突き飛ばし、光に包まれる……。




 ハルマキはその日、死んだ………はずだった。



 気を失っていたハルマキが目を覚ます。


「生きて……いる……?」


 ハルマキは混乱していた。


 暗い。

 街灯がない。


 月明りで見るに、さっきまでの場所ではない。

 道路はあるがアスファルトじゃない。

 建物もまるで違う。

 もちろん病院に運ばれたわけでもない。


 

「異世界……いやいや、そんな馬鹿な」


 と、苦笑いをする。


 ハルマキはハムカツが好きだという異世界アニメというものをいくつか見ていて、実はちょっと気に入っていた。なのでそういう発想になる。


「せめてもう少し明るければ、あたりを見渡すことができるんだがな…」



 雲が流れ、二つ目の月が街の様子を照らす。



「うん、異世界だね」


 ハルマキは、とりあえずいったん受け入れた。



 あたりを少し歩いてみる。


 30分ほど街をうろうろしてみた。造りとしては中世のヨーロッパ的な雰囲気だ。疲れてしゃがみ、


「さて、どうしたものか?宿屋を探して、仮にあったとして言葉は通じるのか?通じるパターンなのか?さすがに日本円は使えないだろう。キャッシュレスもオダギリジョーならずとも使えないだろうし…」


 夜なので人通りがなかったのは良かった。人と会っていたら不審者として通報されてたかもしれない。



「まいったなあ……」


 と言ってうなだれる。絶望の渦の中で、誰かの足音にも気づかなかったが「カサッ」と、何かが落ちて草むらに入る音には反応した。


 バッジだろうか?半円形のデザインで、なんだか芋虫のようにも見える。


 辺りを見ると、女剣士の歩いている後姿が見える。彼女が落としたのだろう。


「落としましたよ!」


 思わず声を掛けてしまったが


(怪しい人間だと思われないか?そもそも言葉は通じるのか?)


 振り返った女剣士は、二十代前半くらいだろうか?とても美しい人だった。


「あ…え…?ない…ない!ない!」


 女剣士は胸のあたりに手を当てて、慌てている。


「あなたのもので間違いありませんか?」


「ありがとう!それ無くすとめちゃくちゃ怒られるの!国王にエルボーされるの!あなたは恩人よ!!」


(エルボーをしてくる国王のイメージがわかないが、とにかく大事なものらしい。声を掛けてよかった)


 女剣士は受け取ったバッジを胸につけながらハルマキを見ている。


「あなた…不思議な格好をしているわね。イタコ祭りの時期でもないのに」


 確かに…異世界の服装と、元の世界の服装は少し違うだろうし、ハルマキは美山憲二(みやまけんじ)のキラキラのド派手衣装を着ていたので、かなり違う。月明りでちょっと光っている。


 のちに彼女は「オーラのようなものが出ていた」と語る。


 とりあえず立ち上がり、ハルマキは言う。





「こんばんは、ハルマキです」

 



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