02 奄美剣星 著 『エルフ文明の暗号文 08』
08 魔除け
レディー・シナモン少佐と私ドロシー・ブレイヤー博士は、洗濯船で殺されたアベラールの聞き込みのため、依頼者・バティスト大尉の案内で、北辺の町・アラスの町に住む女性教師エロイーズを訪ねた。だが着いてみると、その女性は自宅アパルトマンで縊死していた。
レディー・シナモンが本庁に在籍するグラシア・ホルム警視に電話すると、警視の計らいで、いろいろと便宜を図ってくれた。
自死したというエロイーズは、両親が寄宿学校の教師をしていた。身長百六十センチ、体重三十八キロ。生前の写真にある彼女の瞳と髪は栗色で、細い眉は性格がきつそうな印象を受けた。
黄金の髪を、短く刈り揃えた、若い貴婦人は、地元警察署にある遺体安置所に行って、実物を検分させてもらった。土蔵内部のような部屋で、肌寒い。そして肉をエージングしているような特有の臭がした。検視官たちは馴れたもので、解剖をするとき鼻で息をせず口でして、悪臭の直撃をかわす。彼らは我々にもそうするように勧めた。
遺体は、死後、血液凝固によって発生する、紫斑の状態から、発見の前日である、二月九日の午後十時前後に亡くなったとのことだ。まだ、警察署の遺体安置所に、保管されていた。
バディスト大尉は、旧友の妹の亡骸を前にして、黙祷した。
黄金の髪をした若い貴婦人は遺体を観察した。――エロイーズは居間の梁にロープをかけ、輪に首を入れ、乗っていた椅子を蹴って宙吊りになった。トレイ式の簡易ベッドに横たえられた遺体をみると、わずかだが、ロープ痕が二重になっていること、両手の指の爪に皮膚がへばりついていたことを見つけた。
検死にあたった医師は、観察が甘い。年寄りで目が悪くなっていたのか、あるいは医師になって間がないのかもしれない。
「犯人は、被害者を後ろから締めた。その際、被害者は、息ができない苦しさから、犯人の腕を引っ掻いた。ロープのわずかなズレは、犯人が、被害者の首をしめたものを、首吊り自殺に見せかけるため。――つま先に紫斑が集中しているのは、首吊りの特徴で、確かに、納得出来るものです。けれども、絞殺直後であれば、違和感なく、偽装出来ることでしょう」
「やっぱりそうか」大尉が深く息を吐いた。
レディー・シナモンの発見によって、再度の鑑識が行なわれ、犯人の血液型は、A型と判明した。
*
急行列車〈ラ・リゾン〉が、ダンケルクの駅で折り返し、戻って来たのは、夕方だった。バディスト大尉とレディー・シナモンは、それに乗った。
食堂車では、バッハの「珈琲カンタータ」のオルゴールが奏でられていた。本来、「珈琲カンタータ」が演奏されるとき、舞台では、ちょっとした、寸劇が添えられていることがある。
珈琲党の令嬢が、「お嫁に行くより珈琲一杯を口にするひと時のほうが幸せよ」と言って、珈琲嫌いの父親と、微笑ましい親子喧嘩をやるのだ。
四人テーブル席に、バディスト大尉とシナモン、そして私が座った。
大尉は珈琲を、シナモンは紅茶を、ボーイに注文した。
「兄アベラールに続いて、妹エロイーズが死んだ。――連続殺人か単なるある偶然か」
「手口が、まったく、違いますね。エロイーズ様のほうが、殺害方法に粗さが見られます」
「犯人は複数? 別個の事件?」
「その可能性はありますが、まだ、断定できません」
黄金の髪を短く刈りそろえた貴婦人は、野帳に、幾つかのメモを書き加えた。
「警察が撮影した、エロイーズさんの遺体の発見された部屋に、珈琲カップが写っていました」
「毒は?」
「カップには、洗濯船で殺害された、お兄様のアベラール様と同じくに、青酸とか砒素といった毒物反応はなかったと報告されています。共通点はここ。――けれど、相違点は、妹さん・エロイーズ様の場合、珈琲を飲んだ後に、犯人によって、首を締められ首を吊ったように偽装されたというプロセスが続きます。いったいなぜ? 何のために?」
副王府シルハへ戻ると、中央駅でバディスト大尉と別れ、レディー・シナモンと私は地下鉄を乗り継いで、滞在先である博物館通のホテルに戻った。
*
翌日、シルハ警視庁のグラシア・ホルム警視がレディー・シナモンを訪ねて来た。
「レディー・シナモン、アベラール兄妹殺害の件だが、お土産を持って来てやったわよ、感謝なさい」
事件の捜査はシナモンにとってまったくの善意で、手柄はすべて警視のものになる。――何が感謝なさいだ。
笑みを浮かべた黄金の髪を後ろで束ねた若い貴婦人が、内線でフロントに、紅茶とお茶請けを頼んだ。
部屋に備えられたリビングセットの椅子に腰かけた警視が、鞄から一冊の本を取り出した。本の外装は羊皮紙が使われている。
「レディー・グラシア警視、これは新大陸在住の富豪や有名人の住所氏名を綴った『シルハ紳士録』最新版――」
「兄妹の殺人でまず、洗濯船で殺害されたフリー・ジャーナリストのアベラールは貸金庫を利用していた。管理している銀行に捜査権限で開けさせたら出て来たのよ。――たぶん、手がかりになるんじゃないかしら」
本に記載されていた人物は二百四十名で、政財界・軍関係者、貴族のほかに著名な学者、文筆家、音楽家や芸術家の名が挙げられていた。
早速、レディー・シナモンが付箋を貼っていく。彼女が着目したのは先日のアラス旅行で搭乗した急行列車ラ・リゾンにいた人々だった。
まず依頼者のバティスト大尉、シルハ大学学生で美術評論家のオスカー青年、シルハ副王領駐在軍のシャルゴ大佐、ヒスカラ王国本国から派遣された連絡武官フルミ大尉、そしてトージ画伯だ。
レディー・グラシア・ホルム警視が帰り際、自分が首にかけていたロザリオを外し、黄金の髪を後ろで束ねた貴婦人にかけてやる。
「これは?」
「新大陸には旧大陸とは異なるタイプの魔物が棲んでいるの。ちょっとした御守りだと思えばよくってよ」
直後、レディー・シナモンはフロント経由でタクシーを呼び、私とそれに乗った。
*
レディー・シナモンには気になる人物がいた。アラス行き列車に、シャルゴ大佐と一緒にいた、連絡武官のフルミ大尉だ。
新大陸副王領の駐留軍は、本国・ヒスカラ王国の目の届かないことをいいことに、時として暴走することがあった。連絡武官は、本国との連絡役だが監視役でもある。通常は、駐留軍の高級官僚と旅行を共にするといった馴れ合いはしないものだ。
フルミ大尉が詰めている連絡武官事務所には職員寮が併設されている。受付に大尉との面会を求めると係員が、「不在です」と答えた。
私達は待たせていたタクシーに再び乗る。
「レディー・シナモン、不審な車がつけている」
運転手にタクシーを右左折させてもぴったりついて来るのは黒いセダンだった。
ノート20240818
【登場人物】
01 レディー・シナモン少佐:王国特命遺跡調査官
02 ドロシー・ブレイヤー博士:同補佐官
03 グラシア・ホルム警視:新大陸シルハ警視庁から派遣された捜査班長
04 バティスト大尉:依頼者
05 オスカー青年:容疑者。シルハ大学の学生。美術評論家。
06 アベラール:被害者。ジャーナリスト。洗濯船の貸し部屋に住む。
07 シャルゴ大佐:シルハ副王領の有能な軍人。
08 フルミ大尉:ヒスカラ王国本国から派遣された連絡武官。
09 トージ画伯夫妻。急行列車ラ・リゾンで同乗した有名人。