03 紅之蘭 著 『天才紅教授の魔法講義 其の五』
私は、紅教授の魔法教室で助手を務めている、魔法人形・縫目フラ子である。
東京都・黄戸島村立大学のある小笠原諸島の梅雨が明け、夏の盛りとなった。大半の学生が内地に帰省し、島に残っているのは、昔からいる島民と、大学一部職員のみである。
「縫目ちゃん、今年もあれが始まるねえ」
いつになく先生がはしゃいでいる。
島に寄港するのは地元の漁船以外は、内地との連絡船、そして毎年夏になるとやってくる〈クルーザー〉だ。――とある財団が所有する大型クルーザーは遠洋航海が可能で、世界各国から魔道具に必要な珍品を揃えている。
近代魔法は欧州貴族たち富豪の同好会から始まっている。所謂、シャンデリアが吊り下げられたロビーは空調が効いているというのに、燕尾服紳士やパニエでスカートを膨らませた淑女達で溢れていた。
この日に合わせ、船には、外国からも名だたる魔法使いたちが集まって来ていた。
ロビー壁際には出品者たちがテーブルを並べ、上客たちと商談をしていた。――東京晴海のコミケ会場をぐっと小さくしたみたいなムードがある。
商談とは言っても、客達は決して値切らない。このことに関して紅教授は、
「なぜ、値切らないですって? ふっ、値段が高いのは、そのぶん、素材に対してある種の《呪い》が付与されているからよ」
紅教授はさらに、
「魔法の杖や剣といった補助具は魔道具師がつくらないでもないが、召喚魔術の場合、魔法使い自身が素材を集めて一からつくるのが望ましい。――例えば木の枝から杖をつくる際、削るためのナイフも、自作の炉で鉱石を溶かして鉄塊を取り出し、金づちを振るって制作すると魔術の高価があがる」
つまるところ、極力手つかずの状態のものから製品を創り出すことで、魔法使いの用語で、「処女性」と言われているものだ。
マーケットで、肥った髭の紳士が紅教授に、
「マドモアゼル・ベニ、前に話したこと、そろそろ返事が聞きたい。私と君とが夫婦になれば生まれて来る子供は、最強魔法使いになれると思うのだがね」
女性魔法使いが処女でなくなれば、魔力を減じる。魔法を捨ててまで女性魔法使いが結婚するメリットは少ない。
そこでゴスロリドレスに身をまとった私の登場だ。
「ママン……」と言って、教授の腕に顔を埋めて紳士に、甘え他たところを見せつけてやる。
「こ、これは驚いたマドモアゼル・ベニ。いや、マダム・ベニ――お子さんがいたのか!――既婚者だったとは……」
と、そそくさ逃げて行った。
目的の素材を手に入れた紅教授は、大学官舎の裏に設けた工房小屋に小鍛冶炉をつくり、教授と私が交代で、金槌を使い金床の上に載せられた、熱した鉄丁をヤットコで挟み、何度も槌で打っては引き伸ばし、折り畳んで、水槽〈舟〉に突っ込んで冷やす。
こうしてできたナイフで、トネリコの枝を削って、杖をつくった。――杖といっても二十センチほどで、オーケストラ指揮者が振るう指揮棒に近い代物だ。
「縫目ちゃん、はい、プレゼント」
えっ?
なぜだろう、涙が出てきた。
了
〈引用参考文献〉:アレイスター・クローリー著/島弘之訳/世界魔法大全2A『魔術――理論と実践 上』株式会社国書刊行会1983年/第Ⅷ章 〈均等〉について、また〈神殿〉の〈調度〉と〈作業〉の〈道具〉との準備の一般的・個別的方法について/第Ⅱ節(111‐113頁)より