01 奄美剣星 著 『エルフ文明の暗号文 07』
07 海への分岐点
ステージェ地中海を囲む形で、氷の大陸セレンディブ、砂漠の大陸タプロバネ、緑の大陸シルハの三大陸がある。
副王府が置かれているシルハ大陸を覆う鉄道網のうち幹線路線となるのは、副王府から北へ向かってアミアン、アラスの町を経由しリールに向かう幹線路線〈北部鉄道〉だ。
アラスは人口三万の地方都市で、ここから支線を使って西へ向かうと、保養地でもあるステージェ地中海に臨む港町・ダンケルクに至ることになる。
「人口の割りにずいぶんと兵士が多い町ね、バティスト大尉」
「ドクター・ブレイヤー、シルハ大陸における人類生存圏最北端の町はアラスで、戦略上重要な拠点なんだ」
「未踏査領域が消滅したというマスコミの話しは嘘なのね」
「まんざら嘘というわけじゃない。いつか消滅するだろうさ」
「それって希望的観測って言わない?」
「そうとも言う」
大尉が首をすくめて見せた。
駅周辺にある赤煉瓦の倉庫群は軍が抑えている。そこには最も近い港町であるダンケルクから送られて来た物資も集積されていた。街中で、たくさんの兵士達を見かけたが、バティスト大尉によると、三個軍団は集結しているだろうとのことだった。
アラス規模の小都市の主要交通機関といったら、バスとタクシーしかない。
バディスト大尉とレディー・シナモン、そして私は、セダン車のタクシーを拾って、〈洗濯船殺人事件〉被害者アベラールの妹・エロイーズのアパルトマンへ向かった。
パトカーが大通りに停まっていた。
レディー・シナモンは胸騒ぎを覚え様子だ。
タクシー・ドライバーの話によると、エロイーズがいるアパルトマンへの入口は、小路地にあるとのことだ。タクシーを降りた二人は、小路地を抜けて、敷地に入った。アパルトマンは三階建物三棟がコの字になった中庭に面していて、それぞれの玄関がある。
アパルトマンは、やはり、捜査されていた。
バディスト大尉が、「どうしたんです?」と訊くと、住人は、「エロイーズさんが亡くなったんですよ。首吊り自殺らしいですね。検死に立ち会った医師の判断です」という答えが返ってきた。
バディストとシナモンがしばし顔を見合わせていると、警察官は、「エロイーズさんのお知り合いですか?」と訊いてきた。
「ご本人との面識は、ありませんでしたが、パリに住んでいたお兄さんのアベラール・ランティエと、交友がありましてね。それで、ご遺体は?」
「遺体安置所に保管されています」
レディー・シナモンは、立ち会っていた大家を見つけると、電話を借りた。それから、捜査を指揮しているというロラン警部に声をかけた。
「貴女が、レディー・シナモン? 本庁のグラシア・ホルム警視から連絡がありました。亡くなったエロイーズさんの部屋を見たいってことでしたね、どうぞ――」
――なんだかんだと姫様が〈親友〉グラシア警部の名前を出すと、風通しが良くなる。
そういうバディスト大尉は、またも黄金の髪をした貴婦人に刮目した次第である。
管理人は、六十を過ぎた白髪の老婆で、小柄な体躯の割に頭が大きく不釣合いだ。廊下を掃除していたため、モップを持ったまま、来訪者二人に対応した。腰が異様に曲がっていて、モップが杖の代わりにもなっていた。
「ああ、エロイーズさん? 家賃の払いは良かった。礼儀正しいしね。――しかし首吊りしたのは、はっきり言って、迷惑だよ。アパルトマンの評判が悪くなる」
「亡くなられたころ、部屋にやって来た人とかはいらっしゃいますか?」
「耳が遠いんでね。もう少し大きな声でいっとくれ」
管理人の老婆は、若い貴婦人の口元に、自分の耳を押し付けんばかりに近づけた。
居間には、フランス窓があり、中庭が望める。房室には他に台所と寝室が備わっていた。エロイーズの遺体が発見された居間は、庭に面していて、大窓越しに庭を望むことができた。逆にいえば外からも丸見えということになる。
黄金の髪をした若い貴婦人は、パリの洗濯船で殺害された、エロイーズの兄、アベラール・ランティエの部屋を捜査したときと同様に、シナモンは小型巻尺コンペックスを自在に操って、正確な間取りを野帳に描いた。
「ごく短い時間で、鮮やかに仕留めています。恐らくはその道のプロによる犯行でしょう」
一同は部屋を見渡した。
庭とは反対側の壁際にピアノ、床にはひっくり返した椅子、天井の梁にはロープを引っ掛けた痕があった。
「見た目には首吊り自殺の現場にしかみえないんだがなあ」バディスト大尉がつぶやいた。
居間のほかにあるのは寝室と書斎の二部屋だ。寝室には特に注意をひくものはなく、書斎をのぞくと大きな机と書棚があった。
問題の手紙は、案外と目に付くところに隠されていた。
――灰色猫が、机の上にポンと飛び乗って、レターケースを興味深そうに見遣った。
レターケースには、部屋の借主であるエロイーズの兄アベラールからの手紙があった。その中には、水色のスーツを着て赤いストールを首に巻いた男の子のイラストが描かれてあった。
オリジナルイラストはバディストが描いたものだ。アベラールが妹に書き送った手紙の余白に落書きしてあったのは、友人であるバディスト大尉のイラストの模写したもののようだった。
アベラールは、一連のイメージ・イラストを面白がって真似、妹宛の書簡に送っていたようだ。
「これは?」シナモンが小首を傾げた。
「僕の分身『とある星の小公子』だ」
「バディスト様は絵も描かれるのですね」
「画学生をしていた時代もあった。――若いときはいろんな夢があったさ」
バディスト大尉は四十歳になっていた。お世辞にも美男子とはいえない。髪は後退して、腹もたるんできた。猪首だし、二重顎だし。白色系人種特有の赤っぽい日に焼け方をしていた。――しかし背が高く肩幅が広い。身長は百九十二センチもあり、男性平均身長が百六十五センチそこらだというのに比して、外観は、悪くはない。初期の飛行機は重量の問題で、小柄なパイロットが好まれていた。中盤以降はエンジンの改良が進んで、大柄なパイロットでも乗るのに耐え得られるようになった。
その人は幼少期、父親が早くに亡くなったので、親戚筋の伯爵夫人の館に、家族ともども厄介になった。上流階級子弟が通う寄宿学校で勉学に励み、民間の飛行機学校でパイロットの資格を取得、直後兵役に就き陸軍飛行隊に入隊。除隊後に予備役少尉になった。
その後、何度か兵役については期間満了で除隊。その間に、飛行機乗りをモチーフにした自伝的小説を著して好評を博す。現在は、再び兵役に就いて大尉となり、偵察部隊に所属している。
*
警察官たちはシナモンや大尉が、およそ事件と関係ないものに興味を示していることに、奇異な印象を受けていた。
「――大事なことは、目に見えないか、あるいは、目につきやすいが注意を引かないところに置かれてあるとよく言われます」
レディー・シナモンは、私を見遣った。そして部屋を出る際、玄関の表札に落書きがあるのを見つけた。
――Entrez dans la porte etroite.――
福音書の一節で、「狭き門より入れ」と、鉛筆で殴り書きされてあった。
管理人によると、「大方、近所の子供たちの悪戯だろう」と言っていた。そして部屋の借主が亡くなる直前、「次の休みまでには消しておく」と話していたとも証言した。
ノート20240731
【登場人物】
01 レディー・シナモン少佐:王国特命遺跡調査官
02 ドロシー・ブレイヤー博士:同補佐官
03 グラシア・ホルム警視:新大陸シルハ警視庁から派遣された捜査班長
04 バティスト大尉:依頼者
05 オスカー青年:容疑者。シルハ大学の学生。美術評論家。
06 アベラール:被害者。ジャーナリスト。洗濯船の貸し部屋に住む。
07 シャルゴ大佐:シルハ副王領の有能な軍人。
08 フルミ大尉:ヒスカラ王国本国から派遣された連絡武官。
09 トージ画伯夫妻。急行列車ラ・リゾンで同乗した有名人。