02 紅之蘭 著 『天才紅教授の魔法講義 其の八』
私・縫目フラ子はここの職場において優雅な所作の人とは無縁のはずだった。
黄戸島村立大学・紅教授の助手をしている私は、一日の大半を彼女の付き人として過ごす。
芝生の中庭を囲むように学舎四棟が連結され、回廊をなしている。一階にはカフェテリアがあり、私の朝はそこで、クロワッサンサンドのモーニングを口にすることで始まる。
一人でいると、
「やあ縫目ちゃん、一人?」
眼鏡君ほか、男子学生四人があつかましく同席し、休日の予定とかしつこく訊いてくる。肩に手を回してきた子までいた。――これはセクハラだぞ!
そんなときだ。
「縫目君、先日、君がだしたレポートを読んだ。珈琲でも飲みながら講評しようじゃないか」
カフェテリアは大学職員も利用する。学科長・島村教授が、私を呼んだ。これを天祐と言わずしてなんというのだ。迷わず学科長の席へ避難する。
後ろでたむろしている学生どもが、ああと嘆息しているのが聞こえる。
ロマンスグレイの学科長がはにかんで、
「この大学というか、村では妙齢女子比率が極めて低いからね。君のようなお嬢さんには男子学生がモーションをかけてきて大変だろう」
「いえ、それほどでも……」
島村教授はすらっとしたロマンスグレイで、モノグルをかけ、英国ブランドの紳士服をそつなく着こなし、内ポケットにはスイス製懐中時計を違和感なくしのばせている。――やっ、ヤバイ、イケオジすぎる。私はファザコンだったのだろうか? ――私は頬の火照りを感じた。
自然界の地脈・気脈から派生する魔素を体内に取り込み、出量を調節しつつ放出するのが物理魔法だ。これに対してターゲットの深層心理に入り込み、強力な暗示をかけてメンタル崩壊に追い込むものが精神魔法だ。
俗にいう魔法というのは、念力で岩を砕くような物理魔法のことで、対して呪法は、人を呪殺するような精神魔法のことを指している。
ロマンスグレイの学科長は呪法の大家だった。その人が読んだ私のレポートというのは呪術の一種である〝魅了〟についてのレポートだった。
「なるほど縫目君――呪術は流し目のような、ちょっとした仕草や、媚薬のような香りも有効といえる」
教授が振り返って、眼鏡君たち男子学生カルテットにウィンクしてみせる。学生たちは急に息を荒げ、互いに肩を抱き合い、顔を近づけた。――こいつら潜在的BLか!――そこで教授がパンと両の手を叩く。すると連中はハッと我に返り顔を赤くして、「危なくキスするところだった」ぺっぺっとばかりに、互いを突き放すのだった。
「学科長、何をなさったのです?」
「龍涎や白檀は媚薬効果がある。だがそれだけでは弱い。だから君がレポートに書いたように、私はウィンクしてみた」
「つまりそれがスイッチになると?」
ロマンスグレイの学科長がはにかむ。
朝食を済ませた私は研究棟四階講師室に入ると、珍しく早く来ていた紅教授が、お茶請けのママレードとストレートティーを用意して待っていた。ほのかな甘みのある香りが部屋中に漂っている。
「紅教授、私をつかって何かの呪法実験でしょうか?」
「バレたか」
油断も隙もない。
了