厄病女神のいる朝
目が覚めると、朝であった。ここ最近、卒業する先輩方の送別会やらこの不景気で就職先から内定を貰えなかった先輩方の残念会やら卒業できなかった先輩方の留年おめでとう会やらこれ以上留年できず大学を放逐される先輩方を偲ぶ会やらと、まぁ、名目は何であれ、とにかく、毎夜毎夜飲み会飲み会のオンパレードで、毎朝毎朝二日酔いに見舞われ、朝から便器に向き合って、昼間は頭痛と気持ち悪さと腹痛に悩まされ、夕方にはだいぶ気分が良くなり、夜にはまた飲み会というのが最近の俺の生活習慣であったのだが、今日の朝は二日酔いの症状もなく、中々にすっきりとした体調であった。
「気分が良い朝だな。何故だろうか?」
ベッドから起き上がりながら考えるとすぐに合点がいった。
そうだ。俺は、昨日、徹夜した後、朝から散々吐いた後、すぐに寝て、夕方に起きて、その後、胃の残りを更に吐瀉して、更に寝たのだった。ほとんど一日吐くか寝ていたから酔いも何も全てなくなってしまっているのだろう。当然といえば当然である。
本日は天下の休日日曜日である為、今日はゆっくりと過ごすこととしよう。
そう考えながら洗顔を行う為、洗面所に向かった俺は驚愕した。
なんと、洗面所が冷蔵庫で封鎖されているではないかっ!
「これは、どーいうことだっ!?」
叫んでから、思い出す。
あぁ、そうだ。俺がやったんだった。この中には忌々しい厄病女神とついでに京島都が封印されているのだった。
自分でやっておいて忘れるとか。記憶力の減退が嘆かわしいな。
「しかし、何だって朝一番の寝起き直後から、こんなことをせねばならんのだっ。クソッタレめっ!」
冷蔵庫をガタガタ移動させながら、一人でぶちぶちと悪態を吐く。
障害物を取り除き、洗面所に入り、顔を洗う。
洗顔していると、背後から恨めしい声が聞こえてきた。何だ。また、メリーちゃんか。いつまで引き摺るんだこのネタ。
「ぜーんぱーい……」
全敗? 全廃?
頭の中で疑問符を浮かべていると、
「せーんぱーいー」
という声と共に、背後から何者かが抱きついてきた。いや、誰だかぼかす意味などない。こんな台詞を言いながら抱きついてくる奴の覚えは一人しかいない。
「先輩ー。ひどいじゃないですかー。一晩こんなところに閉じ込めるだなんてー。先輩のばかばかばかー」
「ヴぉいっ! 人が顔を洗っているときに叩いてくるなっ!」
背中に抱きついて頭をぽかぽか叩いてくる絹坂を一喝してから、俺はしっかりと洗顔した。
顔をタオルで拭いた後、振り返ると、絹坂と京島がバスタオル一枚で俺を睨んでいた。
「何だというのだ」
「何だというのだじゃありませんよー! 私と京島さんを閉じ込めて、一晩放置って、ひどい放置プレイですよー! 夜になってどれほど寒かったかー!」
絹坂はぷりぷりと怒っている。
あぁ、そういえば、確かに、季節は春とはいえ、まだ夜は冷えるな。暖房設備もなく、着るものもない洗面所及びトイレ及び風呂では寒かったかもしれん。
「お陰で、体を温める為に、ずっとお風呂を温めては入りっぱなしでしたよー! そのせいで、なんか、体がふやけてる感じがしますー!」
絹坂の言葉に京島も強く頷いた。
なんだか、すまんことをしたのかもしれんな。
「まぁ、何だ。さっさと着替えろ」
「うきーっ! 言うことはそれだけですかーっ!?」
絹坂が喚くのを無視して俺はのんびり歯磨きをしていた。
絹坂と京島は俺の背後でなんだかんだとわいわい騒いでいたが、そろそろ、寒くなってきたのか。くしゃみをしながら居間へ向かっていった。
というか、貴様ら、着替えを洗面所に置かず、居間に置いていたのか。まぁ、うちの洗面所狭いからな。
朝の身支度を済ませた俺たちは居間でのんびりと昨夜京島が持ってきたビーフストロガノフを食いながらテレビを眺めていた。
「まったく、先輩ったら、本当にSですねー。こんなに酷い仕打ちをするなんて考えられませんよー」
「うるさいな。黙って食え。うん、美味い」
「あ、ありがとう」
「何で、京島さんを褒めてるんですかー!」
「何でって、京島が作った飯だからだろうよ。貴様、自分の言ってる意味知ってる分かってるのか?」
「け、喧嘩は、止めて。ほら、えーと、おかわりは?」
「いる」
「くださいー」
台所へ向かった京島を見送りながら、絹坂を見る。
「そーいえば、貴様。うちの大学に進学したんだったな」
「えぇ、そーですよー。先輩を追いかけてきちゃいましたー」
俺の言葉に絹坂は阿呆っぽくへらへら笑いながら答える。何が、そんなに楽しそうなのか全く意味不明だな。
「それで、何で、ここに来ているんだ? お前、準備とか色々せんとならんのじゃないか?」
俺と絹坂の地元は大学のあるここからはかなり離れた場所にある為、俺たちは大学進学にあたって転居が必要となる。ただの転居でも引越しやら何やらで色々とせねばならんことがあるというに、それに加えて大学進学の手続きやら何やらもあり、やらねばならぬことが山ほどあるはずだ。俺の部屋でごろごろしている暇などあるのか?
「ふぇ? えー? あるえー? 言ってませんでしたっけー?」
絹坂は首を傾げ傾げしながら呟く。一体、何が言いたいというのだ?
「あ。そうだ」
彼女はそんなことを呟くと、俺を見て、にやにやと笑い出す。何だ。気持ち悪い。
「うふふー。いやぁ、まーだ、ちょっと、引越しの支度がまだでしたねー。準備ができるまで、少しの間、ここに置いて下さいよー」
「はぁ? 何でだ」
「何でだって、それ、おかしくないですかー? 彼女なんですから、いいじゃないですかー。それにー、私、居候できる先なんて、ここしかありませんしー」
まぁ、言われてみれば、確かにそうなのだが、どーにも、昔からの癖というか、習性で、絹坂の言葉は全て最初否定から入ってしまう。あんまり、悪い習性だと思わないのは何故だろうか。
「まーた、寄生する気か。まぁ、致し方ないかとは思うが」
「まーまー、いいじゃないですかー。何日かしたら、引越し先の部屋の準備ができるんで、そっちに移りますからー」
絹坂はにこにこと笑いながら言ってきた。
「むぅ。まぁ、いいか」
「えぇー。いいんですかー?」
「ダメだ言っても強制的に居つくのであろう。貴様をどうこうしようなどというのは最早不可能の域にあるのだ」
「わーい。ありがとうござますー」
皮肉の効かん奴だな。
ふと、視線を感じると、おかわりを持ってきた京島が不思議そうな怪訝そうな顔をして突っ立っていた。
「何で、そんなところに突っ立っているのだ?」
「え。あ、いや、えーっと」
京島はとりあえず座って、俺と絹坂におかわり分を渡してから、まごまごとしていた。何か言いたそうな気配だ。
「何だ?」
「あ」
「そうだ。京島さん、ちょっと教えて欲しいことがあるんですけどー」
京島が口を開いた瞬間、絹坂が割り込んできた。
何事かと思えば、絹坂の聞きたいこととは、近所のスーパーはまだ残っているのかとか。商店街の店に変わりはないかとか。といったような他愛もないことだった。んなこと、今、京島にわざわざ聞かなくてもいいんではないかと思うが、まぁ、人の会話に文句をつけることもないか。
しかし、この二人は一晩一緒にいただけあって、関係はやや改善されているようだな。面倒くさいことが少し減って何よりである。