厄病女神と京島都再び
京島都はいつも無愛想な無表情顔で、男らしいというかぶっきらぼうな話し方をする俺と同い年の娘だ。ただ、凄く真面目な印象がある。
女にしては背が高く一七〇cm半ばはある。くっきりとした目鼻立ちの凛々しい顔つきで、艶やかで長い黒髪を平素は後ろ下方で一つに纏めている。
さて、この京島都と俺には少なからぬ縁がある。まず、俺が通う大学の同じ学部の学友で、我が部屋に毎朝、新聞を届けてくれる新聞配達員で、あと、あー、俺のことが好きだと過去に告白してきた相手であり、あー、
「はっ! な、何でこの人がうちにーっ!?」
と、ここで、俺にひっついてゴロゴロしていた絹坂が部屋の隅に立つ京島に気付いて素っ頓狂な声を上げた。
「なっ! 何しにきやがったーっ!?」
絹坂は騒がしく喚きながらベッドの上に立ち上がり、京島を指差して叫んだ。警戒感バリバリだ。
まぁ、致し方ないかとは思う。絹坂にとっては、恋のライバルというか敵なのだからな。
京島はかつて絹坂と俺の恋人という座を巡って争ったことがあるのだ。その当人である俺が言うとなんか自慢みたいでなんとなく後ろめたい気分になるな。特に悪いことはしていないはずなのだが。
「え、えっと、こんばんは」
保健所職員に対する野良猫のように敵愾心バリバリな絹坂と、暫し静観している俺に対して、京島は低姿勢にまずは挨拶。さすが、京島だ。人ができている。知人の中では最もよくできた人間だと俺が評価しているだけある。
「おう」
俺は軽く手を挙げて挨拶。素っ気無い挨拶だが、これはしょうがない。俺は昔から挨拶がどーも苦手なのだ。無愛想で短気で気難しい性格な上に、挨拶まで不自由では円滑で健全な人間関係は作り難い。だから、俺の持つ人間関係はどれもこれも歪だったり腐れ縁だったり変な形だったりするのだろうな。
まぁ、それはさて置き。挨拶を交わした京島は、暫し俺と絹坂を見つめてから、思い出したように言った。
「そうだ。ビーフストロガノフを作ってきた」
確かに、それらしき独特の臭いがする。と、それを意識すると急に腹の虫が騒ぎ出した。そういえば、今日は朝からずっと寝ていたから何も食っていないのだ。考えれば、まだ顔も洗ってないし、歯も磨いてないぞ。やや、昨日から風呂にも入っていない。
「な、なんで、この人が先輩に、び、びーふ、すとろがのふ?を作ってきてるんですかー!?」
絹坂が騒ぐ。
まぁ、騒ぐのも当然といえば、当然である。
一応恋人という身分にある厄病女神こと絹坂が、遺憾ながららその相方である俺の部屋に来たところ、何でか、平然とその俺と同学部の友人であり、かつて俺に何故だか告白してきたことがある京島がビーフストロガノフ持ってやって来たともなれば、俺の彼女身分にある奴にとっては大事以外の何者でもあるまい。絹坂は俺と京島の間柄を知っており、その間に過去何があったかも承知しているので尚更である。
この状況は俺が判断するに修羅場というものではないか?
「先輩ぃっ! 一体全体これはどーいうことですかっ!?」
絹坂は怒髪天を突く勢いで俺に詰め寄ってきた。
「な、何をそんな怒っているんだ?」
「怒るに決まってるじゃないですかっ!?」
俺の疑問に絹坂は吼える。
「だって、これ! これ! ほら! えっと! ねえ!」
絹坂は、俺と京島を何度も交互に指差して、拳を振り回して、騒ぎまわる。
「おい、落ち着け。日本語になってねーぞ」
呆れた俺が声をかけると、絹坂は血走った目で一瞬俺を睨んでから、目をつぶってすーはーふーっと深呼吸した。
それから、きっと俺を見て口を開く。
「先輩」
「何だ?」
「何で、京島さんがここにいらっしゃるんですかー?」
「うぅむ」
絹坂の質問に、俺はとりあえず唸っておく。何で、京島がここに来ているかというと、まぁ、それには複雑な事情があるっていうわけじゃあないのだが、どう説明したものか。
ふと、残りの一人を見ると、京島は鍋を持ったまま所在なさげに突っ立っていた。
「とりあえず、京島。その鍋を台所へ。絹坂、布団から出れ。話がし辛い」
俺たちは寝室から居間みたいに使っている部屋へと舞台を移した。
一人で使うには十分、二人だと少し狭いくらいの、ちまっこいテーブルに俺たちは着いた。俺の隣には絹坂が陣取っていて、俺の腕を掴んでいる。その向かいにジャージ姿の京島が居心地悪そうに正座している。
「で。何で、京島さんが先輩の部屋にー? そもそも、何で、こんな時間にここにいるんですかー?」
絹坂が刺々しい口調で問う。
確かに、時刻は既に夕刻過ぎであり、そろそろ、日も沈もうという時間帯である。
「確か、京島さんの家はだいぶ離れたところにー」
「いや、京島は今ここに住んでるんだ」
「こ、こ、にーっ!?」
「ち、違うっ! 俺の部屋にって意味じゃない! この木暮荘にだってことだ!」
修羅の如き形相をした絹坂を慌ててなだめる。
「木暮荘にですかー? どうしてですかー? 今まで、自宅から通学していたのにー」
確かに、京島は大学入学後一年ほど自宅から通学していた。
しかし、困ったことに、京島は自宅である、アパートの部屋から出なくてはならなくなったのだ。
「それはだな」
言い淀む俺に代わって京島が口を開く。
「あー。私がずっと住んでいたアパートが、あー、火事で焼けてな」
「火事ですか?」
「うん」
「あの火でぼーぼーの?」
「うん」
不運にも京島は真冬に火事でアパートを焼け出されてしまったのだ。
さて、どうしたものかと。途方に暮れた京島はどーいうわけだが、俺に相談してきた。何故、俺なのかといえば、大学内に、他に相談できる相手がいないからだという。最も話し辛い奴として有名な俺しか相談相手がいないとは、全く妙なことだ。
まぁ、それはさて置き。その時、聞いたことだが、京島家は両親が既に亡くなっており、援助してくれる親戚もおらず、自治体の補助金や京島のバイトなどでなんとかかんとか生きてきたような、もう絵に描いたような不運な娘であった。こいつを主人公にして小説を書けば小金を稼げるのではないかと、真剣に思うほどである。
そのような事情を聞いた俺は手立てを考えることにした。全くどーでもよさそうな奴であれば、堂々と放り捨てることを躊躇しない俺ではあるが、京島は知らぬ仲でもなく、その不幸性は俺の限りなく少ない同情心をくすぐるに値した。しかも、俺は数ヶ月前に、彼女を振っているのである。負い目があるのだ。そして、何とも都合が良いことに、俺には京島の窮地を救う手に心当たりがあったのだ。
俺が住んでいる木暮荘は、非常に家賃が安くされている。というのは、ここがあまり営利を目的としたアパートではないからである。ここの大家である人物は俺たちの先輩に当たる現役大学生で、何の因果かこのアパートの大家の座を手に入れ、知り合いや気に入った奴を入居させているのだ。その為、必要最低限な管理費や修繕費と大家の酒代を賄えるくらいの家賃しか徴収していないのである。
そのてきとーな不動産経営をやっている大家と俺は親しい友人であり、京島も知らぬ仲ではなかった。そこで、俺が仲介人となって木暮荘に移住できるよう取り計らったのだ。京島は怠惰な大家に代わって管理人を務めることで家賃を更に割り引いてもらい、かなり楽な生活ができるようになったらしい。
そのことを恩義に思ったのか。京島は日々俺の部屋を訪れて夕飯のおかずをお裾分けしてくれたり、俺の部屋を掃除してくれたり、俺の服を洗濯してくれたり、
「ちょっと待ってくださーいっ!」
今までの経緯を説明していると突如絹坂が叫んだ。
何だ。人の話の途中に。
「ちょっと待ってくださいよーっ!」
待っとるっちゅーねん。
「何ですかそれっ!? それ、おかしくないですかっ!?」
「何がだ?」
「だって、そもそも、先輩、告白してきて振った人がちょくちょく部屋に来て気まずく思ったりしないんですかー?」
「そりゃあ、確かに気まずいは気まずい」
「じゃあ、何で、ちょいちょい部屋に来るのを許容しているんですかー?」
うぅむ。言われれば確かにそうなのである。そうではあるが、しかし、はっきり言って俺は家事が得意ではないし、好きでもない。というか、嫌いだ。家事をやってもらうのは非常に楽である。夏休み中、厄病女神が俺の部屋に寄生している間、そいつを追い出さなかった理由の一つは、絹坂が家事をやってくれたことであることは否定できない事実である。
しかしながら、恋愛感情の縺れは置いておき、同じアパートに住んでいる同じ学部の友人とのコミュニケーションは、健全な御近所関係といって差し障りないのではないかと思うわけだ。その二つは、完全に別個な人間関係であり、これはこれ、それはそれである。という脳内言い訳を駆使してきたわけだが、しかし、これも苦しい言い訳だな。
「それ、完全に京島さんの外堀埋め戦術じゃないですかー」
やっぱり、そう思うか。
「先輩の浮気者ー! 裏切り者ー! うんこー!」
「浮気なぞしておらんし、裏切ってもおらん! そして、何で、また、うんこやねんっ!? うんこ言うなっ!」
こいつ、俺の嫌がる悪口がわかった途端、それを多用しやがって、腹が立つったらしゃーない。腹が立つついでに腹が減ってきた。しかし、風呂にも入っていない状態で飯を食うのもアレだな。
「彼女がいない間に、別の女を部屋に連れ込むなんて浮気以外の何者でもありませんよっ! 浮気は恋人に対する裏切り行為ですよーっ! そんな先輩はうんこですよーっ!」
「だから、うんこはやめろってのっ! あーっ! もうっ! やかましい。俺はちと風呂に入ってくる」
少し文章の繋がりが変ではあるが、そうでもせんと風呂に入れそうにないからな。
「はー? 何で、いきなり、風呂入るんですかー?」
「昨日、入ってないからな。風呂出たらビーフストロガノフを食う。腹が減ってしょうがないのだ。話はそれからだ。いいか? 分かったか? OK?」
「むぅ。分かりましたー」
絹坂は不満そうに頬を膨らませたが、渋々と頷いた。
というわけで、俺は問題を丸投げというか延期させた。