厄病女神、旅行会に潜り込む
通称倶楽部と呼ばれるうちの組織は、幹部である俺をしても一体全体、何を目的として存在しているのか全く不明というわけのわからん組織である。
この為、倶楽部に属する各部署や構成員は各々自分勝手に思うがままに行動しており、倶楽部として一致した方へ向かうことは少なく、意思統一が為され、団結が成ることは非常に稀である。
そのくせ、うちの倶楽部には規則や慣習・慣例といったものが多々存在する。倶楽部の構成員はそれらの決まり事を守らなければならない。
よくよく考えるとそれらのルールを破ったところで、大した問題はなさそうなものだが、しかし、我々の常識というか認識の中では、これらの決まりを守ることは絶対であり、規則や慣習から外れた例外的な行動を取ることは、組織への大きな挑戦と見做され、組織から制裁が下されることや組織から追放されることもありうるのだ。
それらの数多ある決まりの中に、倶楽部旅行というものがある。正式名称はないのだが、倶楽部主催の旅行なので単純に倶楽部旅行と呼ばれている。
これは、いつぞやの倶楽部指導者である頭取首座が、あんまりにもバラバラで団結力に欠ける倶楽部の現状を憂い、倶楽部の結束を高めようと、倶楽部合同の旅行を企画・実行したのが始まりである。それが意外と好評で、例年の行事と化したものである。当初は年一回であったのが、徐々に回数が増えていき、季節ごとに二回となったものである。旅行は幹事長傘下の道中奉行が企画・実行しており、毎回、倶楽部の構成員の過半が参加している。ただ、当初の目的である倶楽部内の結束力向上に役立っているかどうかは極めて疑問である。
この倶楽部旅行に参加すべく俺は朝六時という、極めて非常識な集合時間に大学の正門前に突っ立っていた。
周辺には数十人もの若者が屯していた。全員、うちの倶楽部の連中である。朝早くから大学に用がある人間や、たまたま通りがかった通行人が、一体、何の集まりなのかと奇異な視線を向けてくる。不愉快な気分がして、見物人を睨みつける。すると、あっという間に連中はそそくさと立ち去っていった。
「こーいうとき、この人は便利ですね。目だけで人を追い払える」
「ただ、目つきが悪いだけじゃねえか」
代わりに、もっと近い周辺で不愉快な声が聞こえてきた。まぁ、いい。事実だからな。それよか別のことに俺は強い不満を抱いていた。
「この非常識な集合時間は一体何なのだ。道中奉行は馬鹿じゃないのか? 今の道中奉行は誰だ?」
「中林君だったと思いますけど」
俺の言葉に薄村が答えた。
高校時代、同じ組織に属していた彼女とは、大学でも同じ組織の一員であって大目付という役職にある俺の片腕となっている。大目付傘下ではあるが、今現在は勘定吟味役として勘定方に出向している。
「中林か。あいつは面白い奴ではあるが、常人には理解しがたい行動を取るからな。適切な人事か少々疑問だな」
「面白い旅行になっていいじゃねえか」
だいぶ前からの腐れ縁であり、同じく俺の配下の公用組頭なる役職に収まっている草田がのんきなことを言い出す。
「その面白の為に、こんな朝っぱらから集められるのは我慢ならん。言っとくが、俺は朝が苦手、というか、朝が嫌いと言っても過言ではない」
「んなもん昔から知ってるっつの」
そう言って草田は大きく欠伸をした。
「しかし、朝が嫌いな双葉じゃなくても、この時間は辛いな」
「その名を口にするなっ!」
俺が草田の頭を叩いていると、四台のマイクロバスと三台の普通乗用車、二台の軽乗用車からなる車列が近づいてきて停まった。マイクロバスは全て「わ」ナンバーである。
「みなさーん、これから出発しまーす」
先頭の乗用車から降りた男が大声で呼びかけた。道中奉行の中林だ。
「えー。みなさん、それぞれ、事前に配布しました旅のしおりの配車表に従って乗車してくださーい。マイクロバスが先頭から一号車、二号車、三号車、四号車でーす。その後ろの普通乗用が、前から五号車、六号車、七号車になってます。軽は幹事の車でーす」
旅先まではなんと車移動らしい。マイクロバスはレンタカーを借りてきたようだ。二九人以下だったか未満だったかまでは中型免許以上があれば運転できるのだが、持っている奴がいて、運転しているようだ。
いや、それはさておき。
「この人数で車移動か。しかも、自分たちで運転してか。危ない上に、非効率だし、環境にも悪い。道中方は馬鹿揃いなのか?」
「うーん、でも、この人数でずらずら並んで電車とかバスに乗っていくのも大変だし、周りに迷惑になるんじゃねえか?」
「誰かはぐれたり、迷子になったり、誰か我儘な人が勝手にどっか違う所に行ったりしそうですしね」
「それは、アレか。高校の修学旅行で単独行動を取った俺に対する嫌味か?」
「まぁ、そのとおりですね」
俺の言葉に薄村はあっさりと頷きながら、手にした旅行鞄の中身を漁る。
「私たちの車って何号車でしたっけ?」
「お前の乗る車を聞かれても俺は知らん」
薄村の疑問にそう答えると、彼女は呆れ顔で俺を見上げた。
「何言ってるんですか。私とあなたと草田君の乗る車は同じだったじゃありませんか」
「む。そうなのか?」
「え? そーなの?」
俺と隣に佇む草田が同じようなことを口にして、薄村は俺たちを睨んで溜息を吐いた。
「……あなたたち、旅のしおりちゃんと読みました? 要点だけでもチェックしました?」
彼女の言葉に俺は黙っていた。草田も声を発しない。
「この人たちは……。道中方を批判する前に、旅行のしおりくらい読んでは如何ですか?」
全くもって仰る通りである。屁理屈と詭弁に関しては誰にも負けないつもりである俺をもってしても反論のしようがない。しようがないので、
「ハハハハハ」
と、草田と二人して空笑いしてみる。
「もういいです。車に向かいましょう」
「で。結局、我々の車は何号車なのだ?」
「自分でしおりを出して調べようとは思わないのですか?」
さっきから、薄村の言葉が刺々しい。ここは大人しく自分で調べるとするか。
受け取って以来、一回ぺらぺら捲って眺めたきりで、全く読んでいなかった旅のしおりを取り出して捲る。
「えーと、配車が書いてあるのは何頁だ?」
「うーん。前の方だったと思うけどなー」
周りの連中が続々と各々の指定された車に乗り込んでいく中、俺と草田は二人して阿呆みたいに鞄を漁って引っ張り出した旅のしおりを睨みつける。しかし、探せど探せど配車が書いてある頁は見えてこない。
「あ、あった。七号車だってよ」
「おい、待て。その配車の頁はどこだ?」
「いや、それ、もういいから、七号車に行こうぜ」
「いや、ちょっと待て。配車の頁が見つからんぞ」
「もうそれいいから、早く乗ろうぜ」
「そうですね。もう、先頭車が出発していますし」
「配車の頁なんぞないぞっ!? 頁が抜けているのではないかっ!?」
「そーいう文句は車の中で言ってくれよ。車に乗ってねーの俺たちだけだぞ」
「いや、しかし、配車の頁が」
「いいから、こっち来てください」
俺が躍起になって配車の頁を探しているというのに、薄村と草田は俺の両腕を組んで最後に残った車へ向かって歩き出す。不承不承ながら、俺も、しおりの件は暫し棚上げし、車へと向かうこととした。
「そういえば、お前、ほら、あの娘はこないの?」
「誰のことだ?」
草田の問いに俺は首を傾げる。
「すっ呆けるなって。ほら、お前の、彼女」
「はて、何のことだか」
「絹坂さんのことですよ。いつも一緒じゃあないですか」
俺がとぼけていると、薄村まで余計なことを言い出した。
「俺とあいつはそんないつも一緒にいるわけではない。ただ、あやつがよく俺の周りをうろちょろしているだけだ」
「あー、はいはい」
「その言い訳も聞き飽きました」
草田と薄村は腹の立つ笑みを浮かべた。非常に腹立たしい限りだ。
これも、全てあの厄病女神のせいだ。あやつはどうも俺の調子を狂わせる。
「それで、やっぱり、あの娘は来ないのか?」
「来るわけがなかろう。これは倶楽部の行事だぞ。あいつは倶楽部には何の関係もない」
「あなたが入っていると知ったら、すぐに加入するでしょうけどね」
遺憾ながらその可能性は非常に高い。そうなると、家でも学部でも倶楽部でもすぐ近くでうろちょろされる羽目になる。大変憂鬱なことである。
しかも、奴には、既に、この倶楽部の存在と、俺が所属していることを勘付かれている。この倶楽部はそこそこの規模を誇るが、あくまで秘密組織であるがゆえに、ごくごく真面目に正しくキャンパスライフを送る者は大学卒業するまで、ついぞ、その組織の存在に気付かぬほどの隠密性を誇るというのに。
とはいえ、絹坂もまだ大学に入り立ててであり、まだ右も左も分からぬ五里霧中の心境であろうからして、この怪しげな秘密結社を気取る組織の存在は知っていても、その行動の仔細を把握するまでは至っておるまい。
「あやつがこの旅行に参加するのならば、俺が欠席してやるわ」
俺はぶちぶちと文句を言いつつ、歩いていると、我々が乗車すべきと割り当てられている七号車の傍らに着いた。艶々とした赤いミニバンである。それも、最新のタイプと見える。普通に買えば、一五〇万円ほどするのではなかろうか。リッチな学生もいたもんだ。そのくせ、全面ガラスには初心者の証、若葉マークなんぞを付けている。
「なんなんだ。この真新しい車はどこの貴族様が運転してやがるんだ」
「これから、一緒に旅行に行こうってのに、そんな毒づかないで下さいよ。親とか知り合いの車を借りているのかもしれないじゃあありませんか」
イライラして言った俺の言葉に、薄村が言った。なるほど、確かに、その可能性も考えられる。しかし、これほどピカピカの新車を免許取り立てに運転させるとは、なんとも大胆なことをさせる。
「新車に見えるくらい綺麗に使ってるのかもしれねーじゃん」
「それならば、尚の事、車を大事していよう。どちらにせよ、初心者マークに運転させるとは、剛毅なことだ」
「まぁ、こんなご立派な新車で送迎して頂けるんですからありがたいと思って乗っていましょうよ」
「しかし、初心者の運転に命を任せるのはなぁ」
「文句ばっかり言ってないでさっさと乗って下さい」
薄村に睨みつけられ、俺は渋々と黙って助手席に乗り込んだ。助手席に乗ったのは、なんとなくである。まったくの偶然である。たまたま、薄村と草田の先を歩いていた為、彼らの方が後部座席に近く、俺の方が助手席に近かった為である。ミニバンは五人用なので、後ろに三人並んで座れなくもないが、助手席が空いているのに、わざわざ、三人くっついて座る必要もあるまい。
助手席に乗り込んで、運転手の面を見て、俺は助手席に乗り込んだことを大いに後悔した。
「いらっしゃいませー。どちらまでー?」
「とりあえず、お前のいないところまで行きたいな」
運転席では、厄病女神がニンマリと笑っていた。