厄病女神歓迎会
「えー。本日はお日柄も宜しくー」
確かに、天気は悪くないな。忌々しいくらい太陽が輝いておる。俺は晴天が嫌いなのだ。眩しいし、暑いからな。曇天くらいが宜しい。
「この狭っ苦しい部屋にお集まり頂きありがとうございます」
人の部屋を狭っ苦しいとか言うな。というか、あんたの持ち物の物件の部屋だろうが。しかも、集まってもらったというよりは、あんたが半強制的に集めたんだろうが。まぁ、その手先となって、実際に声を掛けて回った俺が言うことじゃないが。
と、心の中でぶちぶちと文句を唱えつつも、口には出さないでおく。人が喋っているときに横から口を出すのは非常識なことだからな。自分の言いたいことを我先に言おうと人の言葉を遮って押し退けてでも声を張り上げるような奴とは違うのだよ。誰のことかって? テレビを付けろ。すぐ分かる。
さて、そんなわけで俺が常識を弁えて大人しくしている前で、二十日先輩はふらふらと体を前後左右に揺らしながら益体もない挨拶を続け、他の面子は俺と同様に大人しく先輩の話を聞いたり聞いていなかったりしていた。
眼鏡先輩は二十日先輩を無視して堂々とテレビと向き合ってチューハイをちびちびやっていた。柚子はするめを齧っている。清原は真面目に二十日先輩の与太話を聞いている。京島は一応真面目に二十日先輩の話を聞く姿勢をとってはいるが、なんだか納得いかないといった渋い顔で首を傾げている。俺の真下の部屋の後輩女子はニコニコとにこやかな笑顔で二十日先輩を見上げている。そして、絹坂は俺の横に居座って何が面白いのかニヤニヤしている。
「えー。というわけで、本日はお絹ちゃんの歓迎会なんだけど、まぁ、これから皆、楽しく仲良く元気に暮らしていきましょうってことで、乾杯の挨拶をしたいと思います。かんぱーいっ!」
既に酔いの回っている二十日先輩がぶつくさ何かを言った後、なんか、よくわからんうちに乾杯の発声が為され、めいめいは慌てて自分のコップを手に取ってコップをぶつけあった。この酔っ払いは結局何が言いたかったのか全く分からなかった。
しかし、こんな朝っぱらから酒を飲むなんて、なんとも不健全だなと改めて思わざるを得ないな。まだ、タモさんが絶妙なトークをする時間の前だぞ。
「さ、冴上」
朝から酒を飲む行為に大きな違和感を感じていると、京島が遠慮がちに話しかけてきた。何故だか絹坂が無言で俺の腕を抱き寄せ、京島の表情が険しいものになるが、素早く、その腕を絹坂から取り上げて、自由にさせておく。右腕を取られては酒が飲めんではないか。
結局、三人は気まずい空気で一瞬黙り込む。あぁ、この空気、勘弁してくれ。
「あ、あー、で、何か用か?」
重苦しい空気を打破すべく、軽く咳払いをしてから京島に用件を尋ねる。
「あ、あの、だな。えっと、その、用事っていうか、私に部屋に来てくれって言ったのは、この、彼女の歓迎会のためなの、か?」
「うむ。そのとおりだな。いや、二十日先輩がやるといって聞かんのだ。こんな面倒くさい上に、昼日中から酒を飲むなんていう非常識かつ不適切な行事だからな。まぁ、二十日先輩とすれば酒さえ飲めれば何だってよいのだろうよ」
「そ、そうか。そうだな」
京島は硬く薄い笑みを浮かべて、何やらぶつぶつ口の中で呟いてから、チビチビとレモンサワーを飲み始めた。
「先輩。先輩」
京島との会話が終わったところで、絹坂がこっちを向けとばかりにガクガクと俺の体を揺さぶってくる。
「何だ。揺らすな」
飲酒している人間を不用意に揺らすなどゲロをかぶっても文句を言えぬ所業だぞ。とはいえ、まだ飲み出してからいくらかしかしていないゆえ、胃の中のモノを逆流させることはないが。
「先輩は次何飲みますかー?」
絹坂はにこにこ笑いながら俺の持つビール缶を指差す。
気付けばいつの間にか中身がすっかり空に近くなっている。のんびりしている割には、相変わらず細かいことに気付く奴だ。
「ふむ。では、ウイスキーにするか」
「何。ウイスキーにするの? 早くない?」
目の前に空のビール缶を目の前に積んでいた二十日先輩が言った。相変わらず酒のことになると目敏いな。テストがいつだったか忘れるくせに、酒が商品に出るというイベントは忘れない先輩らしい。
「いや、いいウイスキーがあるんで、飲みたいかなと」
有名国産メーカーの歴史のある代物だ。このウイスキーの中にもランクがあるのだが、今あるのは、中の下くらいのレベルのものだ。それくらいのレベルのものでも云千円くらいの値が張る。普段何百円のビールやチューハイを飲み、千数百円の焼酎を水で割ってちまちまやっている大学生からすればかなりハイレベルな値の酒だといえる。こんな高い酒を味わうのは、以前、先輩が手に入れてきたスコッチを飲んだ以来ではないか。
「あ。ホントだ。確かに、いい奴だ。あたしも飲みたい」
「ん? 先輩が持ち込んだんじゃないんですか?」
いつの間にか置いてあったから二十日先輩が以前のスコッチのように持ってきたのではないかと思っていたのだが違うらしい。
「あたし、こんな高いの買わないもん。高いの買うくらいなら安いのたくさん飲む」
あぁ、まぁ、確かに、ウワバミと名高い先輩だとそうかもしれんな。酒の味なんてわかっているのか疑わしい。とはいえ、酒か酒じゃないかだけは敏感で、酔っ払ったところで、「焼酎水割り」だと偽って水を飲ませようとしても、目敏く非アルコールであることを見破り、酒を寄越せと大暴れする人なのだ。
「じゃあ、あのときのスコッチは?」
「馴染みの飲み屋のおっさんがくれた。これやるからいい加減帰れって」
どんだけ迷惑かけたんだ。先輩だと出禁の店とかありそうだな。
「じゃあ、これ、誰が持ってきたんだ?」
「あー。はい、私です」
俺の問いかけに予想外にも俺の部屋の真下に住む後輩女子が名乗りを上げ、俺だけでなく他の連中も合わせて驚いた。俺はてっきり二十日先輩か眼鏡先輩か誰かが持ち込んだのだと思っており、他の連中もそんなふうに思っていたようだ。まさか、酒とは縁遠そうな大人しい感じの後輩女子が渋いウイスキーを持ち込んできたとは。
「気が利くじゃーん! よーしよし! 良い子だ! 良い子だ!」
二十日先輩は大喜びで後輩女子を抱きかかえて頭をわしわしと撫で始めた。あんたは動物王国のじいさんか?
「あ、わ、わー。あ、ありがとうございます」
後輩はされるがままになり、困ったように笑いながらも礼を言った。礼を言うのは実際に酒をがばがば飲む二十日先輩や俺、眼鏡先輩たちのような気がするのだが。
「一体、これ、どーしたの?」
眼鏡先輩が気を使って尋ねる。
「えーと、春休みに実家に帰ったとき、親がお土産にって持たせてくれたんです」
二十日先輩に揉みくちゃにされながら後輩が言った。
「親がお土産に?」
「うちは酒屋なんです。だから、お酒は手に入りやすいんです」
はぁ、なるほど。ん、ていうか、じゃあ、それは店の商品なんじゃないか? 店の経営的に大丈夫なのか? あぁ、でも、小売店の利益分を差し引いて、かかるのは仕入れ値だけだから、土産に持たせても大した損ではないのか。
「あと、他にもワインとか焼酎とか日本酒とかうちの冷蔵庫とかにたくさんあるんですけど、持ってきていいですか?」
後輩は更に殊勝なことを言い出した。彼女の言葉に、人並み程度に酒が好きな俺と眼鏡先輩は顔を見合わせた。酒は欲しい。特に上手い酒は。このウイスキーを見る限り、残りの酒も期待できる。しかし、後輩に酒を強請るのはみっともない。俺と眼鏡先輩はさほど仲がいいわけではないが、目だけでそれだけを会話した。しかし、一つの事実に思い当たって俺たちは黙っていることにした。
「え? 酒!? わーい! ホントにくれるの!? ラッキーありがとーっ!」
黙っていても、酒大好きな二十日先輩が貰いたがるに決まっているのだ。
「ええ。親も世話になっている人にあげなさいって持たせてくれたもんですから。今、持ってきます」
中々よくできた酒屋の娘はずっと浮かべている穏やかな微笑のまま言い、席を立った。
「それなら、ありがたく頂こうじゃないかっ! 後輩! 取りに行くの手伝ってやれ」
二十日先輩が意気揚々と酒を求めた結果、俺と眼鏡先輩は一言も口を開かず、後輩の酒に集るような言動をすることなく、酒を口にできるというものだ。やれやれ、変にプライドが高い奴ってのは面倒くさいもんだな。